はじめに
尾道の七つの古刹を巡る「尾道七佛めぐり」をメインに、その道すがらにある神社や由緒ある寺院を巡ります。
全行程をウォーキングを兼ねて徒歩で回ってもよいのですが、午前中に広島空港からレンタカーを使った関係で、部分的にレンタカーで移動しました。
七佛めぐりでは「お守りブレス念珠」を作るという楽しみもある方もあります。
各寺院でそれぞれのパワーストーン(500円)を購入し、7つ集めたらブレス念珠の作り方セット(300円)を購入し、念珠を完成させる。というもの。
山陽自動車道尾道I.Cを出たところのT字路を左折し、国道184号を道なりに進んで国道2号との交差点を左折。
その先の尾道商店街にあるコインパーキングに駐車。
持光寺へは国道2号を横断歩道のある場所で横切り、「古寺めぐり 持光寺」の石標が立つ踏切を渡って、道なりに何回も石段を上がれば右写真の門に出る。
七佛めぐりの打出しはここ持光寺から。
持光寺は縁起によると、承和年間(834〜848)天台宗の寺として草創され、永徳二年(1832)浄土宗の寺として中興改宗されたとある。
以来京都永観堂の名で有名な聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺の末寺となっている。
いざ持光寺へ
尾道は街全体が傾斜地にあるため、石段や坂が多く、ひと一人が通れるくらいの路地が生活道路や観光路になっている。七佛めぐりの地図は必須アイテムである。
国道2号から山陽本線の踏切を渡るのだが、遮断機が下りてから電車が来るまでの時間がとにかく長い。
コンテナ積載の貨物列車だと、長大編成なので踏切通過の時間がまた長い。
やっと開いた踏切の先は石段の連続。
やっと門が見えてきた。
訪れたのは10月だが、メタボな体型に汗が滴る。着替えを持参で歩いて正解である。夏場は厳しいと思う。
尾道らしい景色
門前に立って横を見ると、塀に沿って小路が延びている。尾道ってこんな感じのところが多い。
その先にある建物は小学校。休み時間なのか元気な声が響いていた。
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右側の写真は「二階井戸」と呼ばれるつるべ井戸。
水道設備が無かった頃、坂道に暮す人々は共同井戸から水を汲んで石段を上り下りするのは大変な重労働だった。
そこで、一つの井戸に下層階と上層階用の汲み出す口を設け、両方の階層から水を汲み上げる仕組みにしたのが二階井戸である。
現在は飲用として使用してないが、防災面で急場の役割を果たせるので、定期的にメンテナンスをしている様だ。
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小学校へ通ずる小路 |
二階井戸 |
延命門
何とも変わった門(延命門)ではあるが、寺の裏山から切り出された花崗岩を組んで造られたという。巨岩故にそこから発するパワーによって寿命が増すという設定で、延命門と名付けられているようだ。
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門前の石標 |
内側からの延命門 |
延命門となりのお地蔵さん |
本堂
門を抜けると境内が広がり、門から続く石畳が二手に分かれ、左へ進むと本堂が建っている。
本堂から西側の庫裏まで建物が連なって建っている。朱印所は中ほどの建物。
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左側に本堂 |
右側は庫裏へと建物が並ぶ |
本尊阿弥陀如来 |
持光寺は「あじさい寺」とも称され、その石標も立っている。
ちょっと見え難いが、右写真の中央部分に写っている石板にあじさい寺と彫られてある。
境内には多くの紫陽花が植栽されているが、開花の季節ではなかったのが残念なところである。
持光寺では「にぎり仏」という粘土で仏さまを造る催しがある。
左手で粘土を握り、顔を造るというもの。
後日、焼いたものを配送してくれるのだそうだ。
体験料は1,500円(JAF割引1,350円)
公式ブログでその様子が見られる。
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日輪山 金剛台院 持光寺 |
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五劫思惟阿弥陀如来 |
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浄土宗西山禅林寺派 |
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尾道七佛めぐり |
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広島県尾道市西土堂町9-2
0848-23-2411 |
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朱印所(拝観受付) |
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内部拝観 300円 9:00〜16:30 |
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なし |
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尾道 持光寺公式ブログ |
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ブレス念珠のストーンは
シトリン (黄水晶) |
ご利益:延命祈願 |
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千光寺
せんこうじ七佛:千手観世音菩薩
一旦駐車場に戻って、車を千光寺山ロープウェイ駅近くの長江口にある駐車場へ移動する。
ここからは徒歩で4ヶ寺2社を巡る。
先ずは
ロープウェイで千光寺山山頂を目指し、そこから「文学のこみち」というのを通って千光寺境内へと下って行く。
大同元年(806)弘法大師の開基とされる千光寺は、千光寺山の中腹に位置し、千光寺公園と共に尾道を代表する観光地である。
ロープウェイで山頂まで上がってきたので、千光寺参拝の前に展望台からの眺望を楽しむ。
眼下に尾道の市街地を一望し、その先は瀬戸内海が広がり、しまなみ海道がすぐのところに見える。
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しまなみ海道方向 |
尾道駅方向 |
山頂から文学のこみちを通って、ロープウェイ全線の山頂から1/3ほど下山する。
九十九折で下ってきた文学のこみちが終わると、石段が続き更に建物とそそり立つ巨岩に挟まれた路地に入る。
狭い通路の右側に石仏郡が現れ、干支の守り本尊が祀られていることが分かった。
取りあえず守り本尊の千手観音にお参り.....上を見ると看板に「↑鏡岩」とある。
その先を目で辿ると表面が丸く平らになった岩があった。でも、パンフにある様な白い輝きはない。
大師堂・鐘楼
狭い通路を抜けた角は大師堂だった。
ここで、お守り等々を販売している。大師堂の先に小さな門があり、抜けると朱塗りの鐘楼があり一気に視野が広がる。
ここからの眺望が素晴らしい。
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山陽本線が大きくカーブしている |
瀬戸内海を望む |
本堂へ
眺望を堪能した後は本堂へ。
赤堂と呼ばれる本堂は正面が舞台になっており、山寺(立石寺)の五大堂を思わせる雰囲気がある。
やはり千光寺の人気スポットで混んでいた。
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大師堂からのアプローチ |
ロープウェイから見た本堂 |
祀られている本尊は千手観世音菩薩で、33年に一度開帳の秘仏である。
中国観音霊場 第10番の札所本尊でもある。
三十三観音堂と石鎚山鎖修行
ここから次の天寧寺へ向うが、もう一つ千光寺の奇岩を見てから下ることに。
本堂をぐるっと回った裏側に修行大師像が立っているが、その背後にあるのが三重岩(みかさねいわ)。
大きな岩が三重に重なっているように見える。 大師さん重圧に耐えているのかな。
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次に本堂脇の石段から一段低い場所に降りると、西国三十三所観音霊場の各札所本尊を祀る三十三観音堂がある。
向拝には百八煩悩滅除大念珠が下げてあり、引くと上から珠が落ちてバチバチと音がする。この手の仕掛けは時折見ることがあるが、この音で苦しみの根源である煩悩を打ち消して、観音さまの御守護が授かると言われている。 |
三重岩 |
三十三観音堂 |
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三十三観音堂の脇を奥へと行くと巨岩が露出している場所に出る。
くさり山と呼ばれ、
石鎚山鎖修行が行われた修行場らしい。
今でも鎖を伝って登る事ができ、最上部の石鎚蔵王権現が祀られている場所からの眺望は本堂より高く素晴らしいと寺は云う。
朱塗りの小さな社には石鎚蔵王権現(石造の社に祀られている)と共に千光寺鎮守の一つ熊野権現が祀られている。
その背後にある巨岩が夫婦岩と称して、この岩の前で二人が愛を誓うと叶うそうだ。......今さら、ねぇ。
再び三十三観音堂に戻り、更に石段と坂道を下りて行く。
愛染明王御朱印帳
持佛堂襖絵の開眼法要を記念して、愛染明王の朱印帳を作成したと案内があった。
普段、この手の誘いには乗らないんだけど、愛染明王の仏画を見て思わず買ってしまった。
裏表紙は大寶歓喜天が描かれている。
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大寶山 権現院 千光寺 |
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千手観世音菩薩 |
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真言宗単立 |
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尾道七佛めぐり
中国観音霊場 第10番
山陽花の寺24ヶ寺 第20番
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広島県尾道市東土堂町15-1
0848-23-2310 |
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大師堂朱印所 |
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9:00〜17:00 |
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有り 有料 千光寺公園駐車場 他 |
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尾道 千光寺公式ホームページ |
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ブレス念珠のストーンは
ラピスラズリ(瑠璃) |
ご利益:開運厄除祈願 |
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次は 天寧寺へ で約 5分 |
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天寧寺
てんねいじ七佛:釈迦牟尼佛
千光寺から山を降りてくる。
道は石段・坂道と極めて狭い路。
毘沙門堂の前を通過して、更に石段を下りると左手には天寧寺三重塔が。
塔の脇から更に下っていくと天寧寺への案内看板が出てくる。
そこを右に入り狭い路を行くと、急に境内へ出た。
縁起によると、開基は貞治六年(1367)に尾道の人万代道円の発願により、足利二代将軍義詮が父尊氏の遺志をついで工費を寄進し、普明国師を講じて開山したもの…とある。
創建当時は七堂伽藍を配した大寺院であったとのことだ。
天和二年(1682)雷火のため全山を焼失、僅かに後山の海雲塔(三重塔)を残すのみであった。
元禄年間(1688〜1703)に、三原宗光寺の一雲椿道によって再興され、そのとき改宗して曹洞宗になった…と記されてある。
裏口から入ると、右に庫裏・本堂が建ち左手に山門が見えた。
せっかくだから、山門から入り直してみる。
山門
この山門へは、国道2号から山陽本線のガードをくぐり石段を上がってくるのだが、千光寺から来たのでここは通らず近道である裏からのアプローチになった訳だ。
山門は鐘楼門なっており、上層には梵鐘が吊ってある。
写真の右側後ろ部分に上層へ上がる鉄の階段が取り付けられてあった。
山門から入った先に建つのは庫裏で、本堂はその左隣に建っている。
写真最上部にあるように、外観はよく見るタイプの入母屋造、瓦葺に唐破風の向拝を付けた建物だが、窓部分に斜め格子を用いているのは珍しく独特の雰囲気がある。
向拝には山号の「海雲山」と書かれた扁額が掛けてある。
扉を開けて中へ入ると、外陣は板の間、内陣及び脇間を畳間にして、小壁だけで仕切っている。
正面中央は鴨居が高くなっており、彫刻を施した欄間を設け、その上に「天寧寺」の扁額が掛かっている。
内陣中央の須弥壇には本尊の宝冠釈迦如来像が安置されている。
脇間の奥にも部屋があり襖で仕切られているがこの襖絵が凄い。
五百羅漢
本堂を出て右に行くと五百羅漢が安置されているお堂がある。
釈迦入滅後、結集(けつじゅう=仏典編集)に集まったという500人の釈尊直弟子を五百羅漢と称し、その像を尊崇することが盛んに行なわれてきた。
天寧寺の五百羅漢は、木彫彩色で文化年間(1804〜1824)から明治初期までの60年間に壇信徒や信者から寄進された像だと説明があった。
他に最前列には、釈尊の勅を受けこの世に永く住し衆生を導く16人の大阿羅漢である十六羅漢、2列目に釈尊の十大弟子、3列目以降に五百羅漢の計526体が祀られている。
十六羅漢
賓度羅跋羅堕闍 ※
(ひんどらばらだじゃ) |
迦諾迦伐蹉
(かなかばしゃ) |
迦諾迦跋釐堕闍
(かなかばりだしゃ) |
蘇頻陀(そびんだ) |
諾矩羅(なくら) |
跋陀羅(ばだら) |
迦理迦(かりか) |
伐闍羅弗多羅
(ばじゃらふつたら) |
戎博迦(じゅはか) |
半托迦(はんだか) |
羅怙羅(らこら) |
那伽犀那(なかさいな) |
因掲陀(いんかだ) |
伐那婆斯(ばなばし) |
阿氏多(あした) |
注荼半諾迦(ちゅうだはんだか) |
※ 賓頭盧尊者として知られている。
釈尊の十大弟子
舎利弗(しゃりほつ) |
(まかもっけんれん) |
摩訶迦葉 (まかかしょう) |
須菩提(しゅぼだい) |
富楼那弥多羅尼子
(ふるなみたらにし) |
摩訶迦旃延
(まかかせんねん) |
阿那律(あなりつ) |
優波離(うぱり) |
(らごら) |
阿難陀(あなんだ) |
これだけ揃った五百羅漢像を拝観する機会は無いと思う。
石造の羅漢像は割りとよく見るが、木彫彩色の像は始めて見る。
宗派を超えて一体一体が寄進されたという事を考えると、まさに偉業と言わざるを得ない。
三重塔
当寺境内の外、先程千光寺から降りてきた坂の途中にあった三重塔。
別名海雲塔と称されている。
嘉慶二年(1388)建立で、建築様式としては禅宗様、本瓦葺で総高25m。
天和二年(1682)の火災を免れ、老朽化により江戸時代に改修が施された。
昭和二十四年(1949)国指定重文となった。
文化庁での登録名称は「天寧寺塔婆」と標記されている。
当初、五重塔として建立したが、上部二層を撤去、三重塔へと改修した為に名称を「塔婆」としたのだろうか.....。
言われてみると、むっくり感は否めない。
路地を抜けてロープウェイ山麓駅へ向う。
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海雲山 天寧寺 |
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釈迦牟尼佛 |
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曹洞宗 |
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尾道七佛めぐり
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広島県尾道市東土堂町17-29
0848-22-2078 |
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庫裏 |
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無料 9:00〜16:30 |
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なし |
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ブレス念珠のストーンは
フローライト(蛍石) |
ご利益:病気平癒祈願 |
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次は 艮神社へ で約 2分 |
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艮神社
うしとらじんしゃ
天寧寺の山門でも入って来た裏口からでも艮神社は近い。
因みに、山門を出て石段を一回下りると左へ抜ける路地がある。
山陽本線のガードは通らない。
古寺めぐりの石標と、方向感覚を信じて2〜3度角を折れると
ロープウェイの駅に出る。
駅に向って左側に参道がある。
艮神社は千光寺と同時代の創建で、尾道最古の神社だそうだ。
艮とは丑と寅の間の方角で、北東方向を指す。つまり鬼門の方角で陰陽道では”鬼が出入りする方角”として、総ての事に忌むべき方角としている。
と云うことは、南西方向にあるものの鬼門....尾道駅? まさか。
参道と神門
ロープウェイ山麓駅の左隣、参道の入口に石造の鳥居が立ち、扁額には艮宮とある。
2つほど石段を上がると神門がある。表と裏に唐破風が付いた向唐門で、大棟と唐破風には千木と鰹木が設けられている。
真上をロープウェイが通っていった。
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鳥居と参道 |
神門 |
拝殿へ
神門を抜けると意外に広くなっていて、その先は一段高く、正面に拝殿が建っている。
神門の先、左手には社務所、手水舎。
右手には境内社の一つ塞神社が鎮座している。
手水舎の亀、艮だけに中国の四神(青龍、朱雀、etc.)の一つ、北方を司る玄武だと云う説もあるが、甲羅に蛇をまとってないので亀っぽい。
平瀬萌山の描く日本画の亀ってこんな感じでは....。
正面の拝殿は向拝の屋根が切妻で、大島造と大社造の折衷のようなタイプである。
向拝部分にも千木、鰹木を設けてある。
境内社
意外に多くの境内社が鎮座しているのにはチョット驚き。
境内には御神木となっている樹齢800年以上の楠とそれ以外にも楠の巨木がある。
艮神社のクスノキ群として市の天然記念物に指定されている。
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艮神社 |
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伊邪那岐神 (いざなぎのかみ)
天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ)
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大同元年(806) |
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旧村社 |
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広島県尾道市長江1-3-5
0848-37-3320 |
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社務所 |
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境内に若干の駐車スペース有り |
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次は 妙宣寺へ で約 2分 |
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妙宣寺
みょうせんじ
艮神社の神門を出て左に見える路地を行くと、左手に妙宣寺の参道が現れる。
参道入口に日蓮宗、妙宣寺の石柱があるので直ぐに分かる。
ここへ来ずに、艮神社の奥から妙宣寺境内へと抜けられるらしい。
妙宣寺は尾道市では少数派の日蓮宗の寺院。
文和三年(1354)大覚大僧正妙寛の開基で、盛衰があったものの、天明二年(1782)現在の本堂が再建されたという。
案内によると、芸州藩は片岡大記を大隊長とする一ヶ大隊を派兵し、この寺を本陣として尾道を鎮め東の福山藩に備えた。この寺は尾道地方に数少ない幕末維新の史蹟である。.....と記されてある。
予備知識が無かったので、意外な史実に感銘した。
前の路地から入るが、両側が塀という参道も珍しい。
参道の先は石段で、上に山門が建つが、下層にアーチ型部分が付加されているので竜宮門に属するのだろうか.....。
天寧寺の山門に類似している。
竜宮門と云うと漆喰のアーチ部分に幅を持ったものが多いので、こう云うのもあるんだと思った。
門を入ると、その先に御主題が彫られた石柱が立ち、その後ろには持光寺のように横一列に建物が並んでいた。
山門前から庫裏・玄関・本堂と並び、ひと際大きな建物が本堂。
大き過ぎて、正面からだとバックしてもカメラに収まりきれない。
この裏には日蓮宗を篤く信仰した加藤清正公を祀る清正堂があるというのを後から知った。
熊本にある本妙寺に祀られているのと同じ等身大の清正公が安置されているそうだ。
因みに、右の写真が本妙寺の浄池廟(清正公御廟所)で、この中に清正公の木像が安置されている。
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本覚山 妙宣寺 |
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法華宝塔釈迦牟尼仏 |
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日蓮宗 |
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広島県尾道市長江1-4-3
0848-37-3376 |
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庫裏 |
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無料 |
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無し |
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次は 御袖天満宮へ で約4〜5分 |
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御袖天満宮
みそでてんまんぐう
車を駐車した長江のバス通り(県道363号)まで行って左へ。
角に駐車場のある十字路を右に折れて路地を進む。
やがて、石段になり鳥居や石灯籠がでてくる。ひたすら石段を上がれば御袖天満宮の境内に着く。
御袖天満宮は菅原道真公を御祭神とする、いわゆる天神さま。
車も通れない狭い路を歩いていくと、初めて石段が出てくる。
上った所に石灯籠が立っていて、そこには井戸とお地蔵さんを祀る小さな祠があった。
この先長い石段の道が待っているので、ここで一旦休憩。
また2つ石段を上ると「郷社 天満神社」と掘られた社号標、「天満宮」の扁額が掛かる鳥居が立っている。
更に石段はつづき、3つ上ると隋神門が建っている。
一気に上るのではなく、途中に踊場があるので助かる。
でも、息が上がってきている。
隋神門を抜けると、話題の55段の石段だ。
幅5mの一本石で造られているそうで、この石段は歪みも無く綺麗だ。
段差が低いので足腰への負担は少ない。
この最後の石段は途中に踊場もなく、頑張って上るしかない。
映画の撮影現場にも使用されたと言うが、音楽はよく聴くが、映画については知識ゼロなので、撮影現場だったことはここに来て初めて知った。
一直線に綺麗に延びた石段なので、そういう用途にはいいかも知れない。
次に訪れる大山寺とは境内で繋がっている。
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御袖天満宮 |
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菅原道真公
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延久年間(1069〜1074) |
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旧郷社 |
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広島県尾道市長江1-11-16
0848-37-1889 |
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宮司宅 |
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無し |
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次は 大山寺へ で約 1分 |
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大山寺
たいさんじ七佛:大日如来
御袖天満宮の参道途中から、大山寺への参道に行けるが、石段の上り下りを避けて天満宮境内から大山寺へ直接入らせてもらった。
大山寺の歴史は古く、創建は平安時代前期といわれている。
延久年間(1069〜1074)に慶鑁僧正により中興、承安五年(1175)再建したと伝えられている。
先程参拝した隣接する御袖天満宮の別当寺であった。
寺名に天神坊という名称が含まれていることでも、その関係性が伺われる。
御袖天満宮から大山寺に入ると、六角堂があり本堂はその先に建っている。
向拝がなく平面的な正面で、戸が閉じられている。
雨樋が無いので雨だれが凄いと思う。晴れててよかった。
天神坊大山寺と書かれた札が掛けられている所に2段の石段があるので、上がって引戸に手を掛けたら開いた。
アラームが鳴ったら厄介棚と思い、とり急ぎお参りをしそっと戸を閉めた。
鐘楼付近からの素晴らしい。
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NHKの朝ドラで使用されたという鐘楼 |
千光寺の本堂・鐘楼・客殿が望める |
鐘楼の奥に見える建物は御袖天満宮のもので、頭を出している塀の向こう側は例の55段の石段である。
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米瑠山 天神坊 大山寺 |
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大日如来 |
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真言宗醍醐派 |
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尾道七佛めぐり
中国地蔵尊霊場 第10番
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広島県尾道市長江1-11-11
0748-33-0031 |
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朱印所 |
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無料 8:30〜17:00 |
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無し |
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ブレス念珠のストーンは
カーネリアン(赤瑪瑙) |
ご利益:合格祈願 |
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次は 西國寺へ と で約 10分 |
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西國寺
さいこくじ七佛:薬師瑠璃光如来
大山寺から一旦駐車している長江口に戻って車で移動。
国道2号に出て左折。
徒歩なら…久保町郵便局前の信号を左折し山陽本線のガードをくぐる。角に「大本山西國寺」の看板あり。道なりに直進すれば仁王門に出る。こちらには有料も含め駐車場が無い。
車の場合…次の防地口交差点を左折。右手にヤマザキショップ・村上商店が出てきたら左折して道なりに進む。
道は上りになり、左手にバス停と西國寺参道の石標が現れたら左折してそのまま進めば駐車場に出る。
駐車場は奥の参拝者用に止める。(手前は月極)
駐車場から来ると下の境内に出る。
下の境内
左に十三仏の石造が並び、その奥に鐘楼、右手に最上部写真の金堂がある。
鐘楼は本瓦葺の入母屋屋根で、腰袴付で造られている。
鐘楼の先には参道の石段がある。
108段の石段で、その先に屋根の一部が見えているが、山門(仁王門)がある。
仁王門は本瓦葺、三間一戸の楼門で室町時代末期の建立という。
表側には山号「摩尼山」の扁額が掛かり、両側に長さ2mの大草鞋が吊るされている。
大山寺から徒歩で来た場合は、この石段を上がって来なければならない。
金堂
石段を上がって来ると、目の前に構える丹塗りのお堂は金堂と呼ばれる建物である。本尊を祀り、一般には仏殿・本堂と呼ばれているが、本山クラスの寺院では金堂と呼ぶことがある。
至徳三年(1386)建立の金堂は、桁行五間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺で、流れ向拝一間を設け、低めの高欄を付した縁を巡らせた構造である。
正面を蔀戸、側面を引違い舞良戸、背面中央を板戸、脇間を桟唐戸とし、背面両端のみ漆喰壁にしている。
内部は真言密教の基本的な形で、外陣・内陣を仕切り、内陣両脇に脇間を設けている。
全体的に和様と禅宗様の桟唐戸.妻飾りなどを組入れた折衷様であると云えよう。
収納される厨子と共に国重文に指定されている。
英霊殿・尾道護国神社
金堂左手前に建つ三間四方の宝形造のお堂は、かつて経蔵だったもの。
現在は内部の輪蔵に経典ではなく、英霊約三千体の位牌が収納されているという。
年4回開扉され、遺族会の方々や一般の人も参拝に訪れるという。
英霊殿の右奥に鎮座しているのは尾道護国神社。尾道出身の英霊を祀っている。
因みに、護国神社の右側にある社は加茂明神社。おそらく西國寺の鎮守かと.....。
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英霊殿 |
護国神社(左)と加茂明神社(右)
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子もらい地蔵
子宝に恵まれない人が祈願すれば、子宝を授かるという子もらい地蔵が金堂右奥の石段脇に祀られている。
この石段の上にある唐門は法事門と呼ばれ、法事があるときのみ開かれる。
上の境内
境内右手の石段を上がると、本坊をはじめ各種のお堂が立ち並んでいる。
参拝のメインはこちらのようだ。
持仏堂
この境内で一番に目がいくのは持仏堂と呼ばれる仏堂である。
入母屋造、本瓦葺で、右側に唐破風の本玄関がある。
本尊に金剛界大日如来坐像を祀り、内陣正面左右に胎蔵/金剛界の両部曼荼羅が掛けてある。
有料にて持仏堂の内拝ができる。
不動堂・毘沙門堂
持仏堂に続いて不動堂(護摩堂)、その隣に毘沙門堂が建っている。
不動堂は寄棟造で重層屋根になっている。堂内護摩壇で護摩を焚くので排煙用に窓を設けてあるのかな。
堂内に安置されている本尊不動明王立像は寄木造で室町時代の作、脇侍に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と(せいたかどうじ)を従えている。また、
脇仏として木造准胝観音菩薩坐像を安置している。
毘沙門堂は不動堂の左隣にあり、三間四面の寄棟造、本瓦葺、天正十六年(1588)の建立。
本尊に毘沙門天立像、脇侍に木造吉祥天立像と善膩師童子(ぜんにしどうじ)を安置している。
大師堂
毘沙門堂の前に直角方向(東向)に建っている。
高い位置から屋根を見ると分かるが、境内に面した入母屋造の部分は礼拝堂で、通常ここで参拝する。
正面からは見えないが、宝形造の堂宇が接合して建っている。
大師堂左に立つ3本の石塔....何だろうると見てみると、弘法大師の千五十回忌,千百回忌,千百三十回忌の塔婆型五輪塔だった。
正面右前には青銅の不動明王が眷属2体を従えて立っているが、お不動さまの顔に鳥の糞が付いて可哀そう。
三重塔
毘沙門堂の左脇から石段と坂道をかなり上がっていくと、国指定重文の三重塔に出る。
塀と鉄門扉で囲まれており、基壇に近づくことはできない。
総高22.3m、三間三重、本瓦葺の塔で、永享元年(1429)足利六代将義教によって建立されたという。
塔内部には如意輪観音坐像が安置されているとか。
手水舎
境内左側、持仏堂の前あたりに手水舎があるが、かなり変わっている。
普通の切妻屋根だが、柱は2本だけで、彫刻を施した板で側面を支えている。
やたら彫刻だらけの手水舎である。
納経
納経等は持仏堂左手前の納経所で受付けている。
持仏堂内拝、不動堂での護摩祈願もここで申し込む。
納経朱印は五つの札所を兼ねているので、数種ありサンプルが提示されてある。
七佛めぐりと観音霊場を戴いた。 |
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本尊朱印 |
観音霊場 |
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摩尼山 総持院 西國寺 |
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薬師瑠璃光如来 |
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真言宗醍醐派 (大本山) |
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尾道七佛めぐり
中国観音霊場 特別霊場
山陽花の寺24ヶ寺 第19番
中国四十九薬師霊場 第16番
備後西国三十三カ所観音霊場 第6番 |
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広島県尾道市西久保町29-27
0848-37-0321 |
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納経所 (持仏堂) |
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参拝 8:00〜17:00
納経 9:00〜17:00
持仏堂内拝 9:00〜16:30 500円 |
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有り 無料 |
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尾道西國寺公式ホームページ |
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ブレス念珠のストーンは
アメジスト(紫水晶) |
ご利益:
健脚祈願 |
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次は 浄土寺へ で約 7〜8分 |
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浄土寺
じょうどじ七佛:十一面観世音菩薩
来た道を国道2号の防地口交差点まで戻る。
この変則六叉路を山陽本線のガードを潜ったら、即左折して再度山陽本線の狭いガードを潜る。
ガード内は離合できないので対向車の侵入に要注意。
そのまま進むと市立中央図書館に突当るので右へ分岐。
道は狭く上り坂になり、右眼下に山陽本線を見ながら走る。
更に上って行くと、目前に浄土寺山門が道路にはみ出てるのが見えるが、通り抜けられるから大丈夫。
参拝者の横断と右側の石段へ落ちないよう注意して進む。
浄土寺の塀に沿って進むと、左カーブした先に境内へ入れる所がある。
山門ではなく駐車場側から入ったら、お地蔵さんが出迎えてくれた。
一番大きな延命地蔵と、その隣のお地蔵さんの傘が面白い。昔見た煙突のよう。
善光寺如来三尊像の石仏に至っては初めて見た。
浄土寺の創建時期は不詳であるが、聖徳太子の開基と伝わる。
足利尊氏と縁ある寺で、建武三年(1336)尊氏が九州に落ち延びる際、浄土寺本堂で戦勢挽回を祈願し、九州での戦いに勝利再起し、再び浄土寺本堂に参籠したという。
寺紋である「二つ引門」は足利氏の家紋であり、足利氏との関係が深かった事を感じさせられる。
本堂
山門から入ると正面に建つのが国宝に指定されている本堂。
現在の建物は鎌倉時代末期に火災により消失した本堂を、嘉暦二年(1327)再建したものだそうだ。
美しい丹塗りの建物は桁行五間、梁間五間、入母屋造で屋根は本瓦葺、正面に一間の流れ向拝を設け、高欄を付した縁を巡らせている。
基本的には和様に禅宗様や妻飾りの大瓶束に見られるような、大仏様の意匠を取入れた折衷様に分類される建物である。
堂内は中世密教様式の平面で、手前二間通りを外陣、奥三間を内陣とし、菱格子の欄間等で仕切り、内・外陣の空間秩序を保持している。
本尊の秘仏木造十一面観音立像は平安時代作と云われ、国重文に指定されている。
阿弥陀堂
本堂の隣に建つのが国指定重文の阿弥陀堂。
貞和元年(1345)の再建と云われ、桁行五間、梁間四間、本瓦葺、寄棟造の堂々とした建物である。
正面全体の蔀戸が印象的である。
阿弥陀堂の本尊は像高88cmの木造阿弥陀如来坐像で、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を配する阿弥陀三尊として安置されている。
多宝塔
阿弥陀堂の手前右手には国宝に指定されている多宝塔が建っている。
国宝指定の多宝塔6基の内1基と云う事で、しっかりと拝観していきたい。
現在ある塔は、鎌倉時代後期の元徳元年(1319)の再建で、方三間、本瓦葺で高さ20.5mと規模としては大きい方である
。
初重は高欄を付した縁を巡らせ、四方に階段が設けられ、中央間板唐戸、脇間連子窓となっている。
組物は初重が二手先、二重が四手先組物とし、軒は各重二軒平行繁垂木を用い、四隅には風鐸を付けている。
内部には本尊大日如来を中心に諸仏が安置されている。
境内諸堂
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護摩堂 |
文殊堂 |
子安堂 |
方三間の宝形造、一間の向拝付、高欄を
付した縁を廻らせてある。
本尊不動明王を祀り、
毎月28日に不動
護摩供が行われる。 |
方三間の宝形造。
本尊文殊菩薩を安置している。 |
子安観音が祀られており、
安産祈願の
参拝者が多いという。 |
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転法輪山 大乗律院 浄土寺 |
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十一面観世音菩薩 |
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真言宗湧泉寺派 (大本山) |
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尾道七佛めぐり
中国観音霊場 第9番
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広島県尾道市東久保町20-28
0748-33-0031 |
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本堂内納経所 9:00〜16:30 |
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境内・本堂外陣 無料
内拝 9:00〜16:00 600円 |
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有り 無料 |
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真言宗湧泉寺派 大本山 浄土寺 |
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ブレス念珠のストーンは
レッドタイガーアイ(紅琥眼石) |
ご利益: 必勝祈願 |
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次は 海龍寺へ またはで約1分 |
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海龍寺
かいりゅうじ七佛:
千手観世音菩薩
海龍寺は浄土寺の東隣。
車は浄土寺の駐車場を出たら、道路を挟んで向い側にある海龍寺の駐車場へ移動するだけ。(駐車場は石段の脇)
海龍寺は浄土寺の塔頭なので、混雑していなければ、浄土寺に置いたままでも勘弁してもらえるかな....どうだろう?。
持光寺からスタートした七佛巡りも海龍寺で結願を迎える。
浄土寺の駐車場入口から出て、目の前に見える比較的緩やかな石段を上って行く。
石段を上り切った所に薬医門の山門が構えている。
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海龍寺入口となる石段 |
山門 |
海龍寺は浄土寺の塔頭で、本堂前の立札には....
『奈良西大寺の定証上人が西国巡教の途路当時、浄土寺の曼荼羅堂と言われていたこの寺に住み、荒廃していた浄土寺を建立したと伝えられている。
その頃備後の大田庄の荘官でこの寺の別当職であった和泉法眼渕信が、この寺を定証に寄進したという古記録がある。』と記されている。
また、続いて『正中二年(1347)には炎上したが直ちに再建され、寛文二年(1662)寺名を現在の名に改めた』と記されているが、和暦と西暦どちらが正しいのであろう。
正中二年は西暦1325年であり、西暦1347年は正平2年(南朝)である。
看板を書いた人が正平を正中と書いてしまったのだろうと想像した。
本堂は享保十七年(1732)再建のもので、
桁行三間、入母屋屋根の小振りな本堂である。
本尊として安置されている千手観世音菩薩は鎌倉時代中期の作と言われ、秘仏のため普段は非公開だが、正月5日間厨子が開扉される。
阿弥陀堂
桁行三間、入母屋屋根の本堂と微妙に接合している寄棟造で、大棟両端に鴟尾を乗せたお堂は、阿弥陀如来を本尊として祀る阿弥陀堂である。
海龍寺では位牌堂と呼ばれていて、家の仏壇に位牌を祀る際、位牌堂にも同様の位牌を祀るという風習が現在も続いているとか。
本尊の阿弥陀如来は柔道家西郷四郎(姿三四郎)の晩年期の念持仏だったそうだ。
地蔵堂・文楽の墓
阿弥陀堂の先にある白いお堂はお福地蔵菩薩を祀る地蔵堂。
中国地蔵尊霊場第9番の札所本尊である。
地蔵堂脇に安置されている千手観音の石像だが、台座には三十三番補陀洛山 那古寺と彫られている。
そう云えば、本堂前の観音像にも二番岩殿寺とある。何れも坂東三十三観音の札所本尊なのだ。
何故、海龍寺に坂東霊場の札所本尊があるのか謎である。
観音像の右に並ぶのが人形浄瑠璃文楽座の創始者である文楽の墓と云うことだ。
納経所と石仏群
山門を入って左の庫裏に納経所があり、その手前には六地蔵と石仏群が置かれている。
赤いよだれかけをしているのが地蔵菩薩で、その他は諸々の仏さまのようだ。
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ブレス念珠のストーンは
ブルーレース(空色縞瑪
瑙) |
ブレス念珠が完成しました |
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ご利益:
技芸上達祈願
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転法輪山 海龍寺 |
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千手観世音菩薩 |
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真言宗湧泉寺派 |
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尾道七佛めぐり
中国地蔵尊霊場 第9番 |
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広島県尾道市東久保町22-8
0848-37-6251 |
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朱印所 |
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無料 17:00閉門 |
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有り 無料 |
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本尊朱印 |
地蔵霊場 お福地蔵 |
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