大津市街地から近江神宮を目指し、参道入口前を右折しひたすら県道30号を走る。
少し行くと、国道161号との分岐を示す案内標識があるので、迷わず県道30号「下鴨」方面に進む。広い道のほうへ左折すると西大津バイパスで振出しに戻ってしまう。
県道30号は西大津バイパスをオーバークロスして、比叡山へと向っている。
やがて、県道30号は登り勾配がきつくカーブが続く。暫く登っていくと、カーブの途中右に比叡山ドライブウェイの田の谷ゲートが急に現れるので、対向車に注意して右折する。
比叡山ドライブウェイには、琵琶湖や大津市街地が一望できる「夢見が丘」というビュースポットがるので、立寄って眺望を楽しむのがお奨め。
※ 東塔から西塔・横川へは別会社の奥比叡ドライブウェイを通行することになります。
通行方法によって料金が異なるので、事前にWebサイトで確認して置くことを推奨します。
比叡山ドライブウェイ 奥比叡ドライブウェイ
※ 通行料金が高額なので、事前に割引クーポンを入手するか、JAF会員証による割引が便利。
割引クーポンを配布しているガソリンスタンドもある。
比叡山延暦寺は、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院で、天台宗の本山寺院である。
延暦寺とは比叡山の山上から東麓(滋賀県側)に至る境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)など、三塔十六谷の堂塔の総称である。
延暦7年(788)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりで、時の年号をとり「延暦寺」とした。高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。
平成6年(1994)、「古都京都の文化財」の一環として世界文化遺産に登録されている。
東 塔 |
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大津市街から比叡山へ登っていくと、最初に到着する区域で、比叡山延暦寺三塔の中心を成し、本堂である根本中堂をはじめ重要な塔堂が建っている。
ここで三塔共通拝観券550円を購入して東塔内に入る。
根本中堂
拝観入口を入ると、左手の一段高い場所に大講堂が建っているが、こちらは後から拝観することにして、先ずは根本中堂から参拝する。
大講堂先の大坂を下ると延暦寺の総本堂である国宝「根本中堂」が建っている。
延暦寺を開いた伝教大師最澄が延暦7年(788)に建立し、以来幾度となく焼討ちに遭い都度復興してきた。現在ある建物は徳川家光公の命で寛永19年(1642)再建されたもの。
桁行十一間、梁間六間、瓦棒銅板葺の入母屋造には、堂々とした風格を感ずる。
入口で靴を脱ぎ、国指定重文の廻廊を左回りに進む。
中陣に入るとかなり低い位置に石敷きの土間になった内陣が見える。
須弥壇には厨子に納められた最澄作といわれる秘仏の本尊薬師如来が安置されている。
内陣はかなり暗くてよく分からない。この中での読経は目が悪くなりそう。
本尊の前には、菊の紋章が付いた釣灯篭があり、静かに灯りがともっている。「不滅の法灯」と呼ばれ千二百年間灯り続けているという。本尊、法灯が参拝者の目の高さに置かれているのだそうだ。
文殊楼
根本中堂の正面前にかなりキツイ石段があり、上り切ったところに文殊楼が建っている。
三間一戸の入母屋造二重楼門は、どう見ても山門だよなぁ。と思ったら、やはり延暦寺の山門だった。比叡山ドライブウェイではなく、徒歩で来るとこの門に出るらしい。
当初の堂宇は、慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って建てたものということだが、寛文8年(1668)焼失しその後に再建されたのが現在の文殊楼だそうだ。
上層には文殊菩薩像が安置されているとのことだが、ちょうど修学旅行の生徒達が内部を見学中だったので上がらなかった。
大黒堂
文殊楼から更に進むと大黒堂・万拝堂・一隅会館などが建つ広場に出る。
ここに建つ堂宇は新しいもので、街中にあるお寺に来たような感じだ。
大黒堂は中に上がって参拝できる。
本尊の大黒天は、「三面出世大黒天」といわれ、大黒天と毘沙門・弁財天が一体になった姿をしている。
万拝堂
大黒堂に相対して建っているのが万拝堂で、隣に無料休憩所の一隅会館が併設された新しい建物だ。
中に入ると中央に、延暦寺にしては派手っぽい金色の千手観音が安置されている。
万拝堂は日本全国の諸仏諸天善神を勧請しているとのことで、周囲の壁には絵が掛かっていた。
千手観音の台座の周囲には数珠を模した大きな玉が取り付けられており、それを回しながら周回する。
輪蔵やマニ車を見るとカンガン回したくなるので、久々にいい物を見つけたとばかり力一杯回した。
鐘楼
大講堂へ向う石段を上がると朱塗りの鐘楼があった。
どっしりと形の良い鐘楼は、昭和の建立だそうで新しさが残っている。
中に吊るされている梵鐘も大きい。
50円で撞くことができるので、早速撞木を思い切り引いて撞いてみた。
梵鐘が大きいので重低音の響が凄く、余韻もよい。
余りにも音が大きかったせいか、大講堂の見学を終えて出て来た修学旅行の生徒が走ってきて列ができてしまった。
大講堂
東塔地区に入って最初に目にする建物が国指定重文の大講堂。ここは経典の講義などが行われる学問修行の道場だそうだ。
現在の堂宇は、昭和31年(1956)の焼失後、昭和39年(1964)坂本にあった諸仏堂を移築したもの。
本尊に大日如来を安置し、左右には比叡山で修行した各宗派宗祖の木造を祀っている。
戒壇院
大講堂から阿弥陀堂に向う途中、右手の高い位置に国指定重文の「戒壇院」が建っている。
戒壇院は天台宗の僧侶に大乗戒(規律)を授ける堂として延暦寺で最も重要なお堂といわれている。
伝教大師最澄の死後7日目に嵯峨天皇より勅許が下され、天長5年(828)に第一世義真座主により創建されたのだそうだ。現在の堂宇は延宝6年(1678)に再建されたもの。
桁行三間、梁間三間の建物は五間四面の二重に見えるが、一重裳階付である。屋根はとち葺宝形造で正面軒に唐破風を付している。
他の堂宇が朱塗りなだけにかえって歴史的な趣と重厚さを感ずる。
内陣には釈迦牟尼仏,文殊・弥勒菩薩が祀られている。
阿弥陀堂
戒壇院から再び元の道に戻り、更に奥へ進むと長い石段の先に阿弥陀堂などが建ち並ぶスペースが広がっている。
正面に建っているのが阿弥陀堂で、昭和12年(1937)に比叡山開創千百五十年を記念して建立された。
阿弥陀堂は、滅罪回向の道場として全国壇信徒各家の先祖御霊を祀り、日々念仏回向する仏堂である。
五間四面、裳階付一重の宝形造で、一間の裳階部分を吹き放しの廻廊としている。京都法界寺の国宝阿弥陀堂とよく似た建築様式である。
本尊に丈六(=1丈6尺:約4.85m。これより大きい仏像を大仏と呼ぶ)の阿弥陀如来を祀っている。
法華総持院 東塔
阿弥陀堂の西側に建つ東塔・灌頂堂・寂光堂を総称して法華総寺院といい、天台密教の根本道場として伝教大師最澄の発願により、慈覚大師円仁よって貞観4年(862年)に創建された。
根本中堂とともに延暦寺の重要な信仰道場である。
東塔は、最澄が国土と国民を護ることを目的に全国6箇所に建立した宝塔の一つで、それらを総括する宝塔が近江宝塔院(東塔)である。
信長の焼き討ちによって法華総持院は灰燼に帰し、以降再建されずにいた。昭和55年(1980)天台宗徒と佐川急便グループ創業者佐川清氏の寄進により四百年ぶりに復元再建された。
東塔は高さ30mの木造桧造の二重塔である。現代仏教建築用語では多宝塔は二重平面が円形のものを言い。天台系に見られる初重・二重平面が平面方形のものは二重塔という。
本尊は大日如来をはじめとする五智如来を初重に祀っている。上層には仏舎利と法華経が安置されている。
西 塔 |
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東塔を後に西塔へ向うが、道路は奥比叡ドライブウェイに替わっている。何で別会社なのか分からないが、とにかく通行料金が高い々々。富士山有料道路で富士5合目へ行くより高い。
西塔は第2世天台座主寂光大師円澄によって開かれたところで、本堂に相当するのが転法輪堂(釈迦堂)である。
東塔と比べると、観光客が一段と少ない。
常行堂・法華堂(にない堂)
駐車場から緩やかな坂を下っていくと、朱塗りの同形の堂が2棟建ち、渡り廊下で繋がっている通称「にない堂」にでる。
にない堂は”担う”から発生した名称で、「弁慶が渡り廊下を担い棒としてかついだ」などという有り得ない言い伝えによるものだ。へ〜ぇとして聞いておこう。これらは国重文に指定されている。
二つの堂は、五間四面の宝形造で、宝珠を載せた屋根はとち葺。正面に一間の向拝を付し、高欄を付けた縁を巡らせている。
外装は黒塗りの蔀戸と板唐戸で造られている。いずれも文禄4年(1595)に再建された建物である。
向って左側に建つのが「常行堂」で、本尊に阿弥陀如来を祀り、四種三昧行という修行のうち「常行三昧」の修行を行うところ。右側に建つのが「法華堂」で、本尊に普賢菩薩を祀り、「法華三昧」の修行を行うところである。
法輪転堂(釈迦堂)
にない堂の渡り廊下の下を通り抜けると石段が出てくる。その下に西塔の本堂ともいえる「法輪転堂」が建っている。
本尊として釈迦如来を祀ることから、 一般に釈迦堂と呼ばれている。
開創当時の建物は2代目座主円澄が建立したものだが、信長の焼き討ちで焼失している。
文禄5年(1596)秀吉が園城寺(三井寺)の金堂を無理やり移築させたのが現在の法輪転堂で、南北朝期の貞和3年(1347)に造営された建物といわれ、延暦寺では現存する最古の建築物として国重文に指定されている。
桁行七間、梁間七間の銅板葺入母屋造で、正面及び側面の正面側二間がすべて戸口になっており、その他は連子窓という構造である。
中へ上がると、外陣は板張り、内陣は一段低い土間という根本中堂同様の天台様式の仏堂である。
恵亮堂(えりょうどう)
法輪転堂前石段の途中にある三間四面、宝形造の小さな堂は「恵亮堂」といい、恵亮和尚(800〜850)を本尊に祀るお堂である。
恵亮和尚は大楽大師と称し、当時山の中では修力霊験に最も優れた和尚であると案内板に書かれてある。
東京都調布市の深大寺とも縁のある和尚だ。
横 川 |
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西塔から奥比叡ドライブウェイを10分ほど走ると横川(よかわ)に着く。
東塔からかなり離れていることもあって、観光客は西塔よりも少ない。
横川は第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれたところで、本堂に相当するのが横川中堂である。
横川中堂
参堂をしばらく歩くと、右側の崖の上に丹塗りが鮮やかな舞台造の「横川中堂」が見えてくる。
横川中堂は、首楞厳院(しゅりょうごんいん)或いは根本観音堂とも呼ばれ、横川の中心となる建物で、慈覚大師円仁が嘉祥元年(848)に創建した堂である。
当初の建物は、信長による焼き討ちで焼失したが、豊臣秀頼と淀君により再建されたといわれている。その後、昭和17年(1942)に落雷により再度焼失、現在の堂は昭和46年(1971)伝教大師最澄入滅1500年遠忌の記念として再興された鉄筋コンクリート造の堂である。 本尊は国指定重文の聖観音立像は平安時代の作で、たび重なる焼失を免れている。
横川中堂は新西国霊場第十八番の札所になっている
四季講堂(元三大師堂)
横川中堂前の”近道”の案内看板に従って山中の小路を行くと四季講堂に出る。石段を下りて参道を行くより起伏が無く楽なみちである。
四季講堂は、第十八代天台座主として十九年間在職され、延暦寺中興の祖として仰がれる慈恵大師良源、通称「元三大師」の住房であった定心房の跡を継いでいるお堂で、村上天皇の勅命によって康保4年(967)以来春夏秋冬の四季に法華経の論議が行われたので四季講堂と呼ばれている。と説明書きにあった。
当初、本尊に弥勒菩薩を祀っていたが、現在では元三大師の画像を本尊として祀っている。大師信仰の根本道場であることから、元三大師堂の別名でも呼ばれている。
元三大師という名は慈恵大師良源の命日が正月の3日であることに由来している。
本堂は横川中堂とは反対に地味な感じだ。
承応元年(1652)の建立で、間口五間の入母屋造に、丈の低い高欄を付した縁を巡らせ、正面中央を双折唐戸、左右に蔀戸と舞良戸をはめた素木造の質素な建物である。
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比叡山 延暦寺 |
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薬師如来 |
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天台宗 総本山 |
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西国薬師四十九霊場 第49番
東海四十九薬師 特別札所
新西国三十三所 第18番
神仏霊場 150番
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滋賀県大津市坂本本町4220
077-578-0001 |
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各諸堂朱印所 |
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坂本ケーブル 延暦寺駅 |
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1,000円(東塔・西塔・横川共通券)
3〜11月 東塔 8:30〜16:30 / 西塔・横川 9:00〜16:00
12月 東塔 9:00〜16:00 / 西塔・横川 9:30〜15:30
1〜2月 東塔 9:00〜16:30 / 西塔・横川 9:30〜16:00
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有り 無料 |
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天台宗総本山 比叡山延暦寺 |
延暦寺で戴いた御朱印 |
根本中堂 |
文殊楼 |
大黒堂 |
大講堂 |
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法華総持院 |
満拝堂 |
阿弥陀堂 |
釈迦堂 |
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横川中堂 |
四季講堂 |
オリジナル納経帳 |
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展望台の駐車場を右に出て、更に奥比叡ドライブウェイを仰木ゲート方面に向かい、料金所を抜けて少し行くと仰木郵便局前の交差点がある。ここを堅田方面へ左折する。
そのまま道なりに走ると、案内標識がT字路を示すような表現になっているが、無視して直進。
暫くすると堅田の街中に入るが構わず道なりに行けば浮御堂に着く。
浮御堂は湖面に建った仏堂で国の登録有形文化財に指定されている。
近江八景の一つ「堅田落雁」(かたたのらくがん)として有名なこの仏堂は、臨済宗大徳寺派 海門山満月寺の堂で、
三間四面の瓦葺宝形造で、正面(湖側)に一間の向拝を付し、向拝を含め縁を巡らせているので、正面は広くとってある。
つまり、この堂はレイクフロントになっている訳だ。
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向背に掛かる「浮御堂」の扁額 |
表側(湖側) |
手前に掛かる石橋は長さ17m。橋がある側は軒を唐破風にし、こちらでも参拝できるようになっている。
中に千躰の阿弥陀仏を安置している。
現在の堂は昭和12年(193.7)に再建された建物で、以前あった堂は昭和9年(1934)の室戸台風によって倒壊したという。
手前の石橋を含め、国の登録有形文化財に指定されている。
芭蕉や虚子も浮御堂を訪れているらしく、比較的多いと感じる句碑が立っている。
「鎖あけて 月さし入れよ 浮み堂」芭蕉・「湖も この辺にして 鳥渡る」虚子・「五月雨の 雨垂ばかり 浮御堂」青畝
山門
浮御堂のレポートを先にしてしまったが、満月寺は堅田の町並みを幅員の狭い道路で抜けて行った先にある。
境内へ入るためには小さな山門を通る。山門は楼門になっていて、初層は竜宮門である。
門の前には左右に「海門山満月院」・「名所堅田落雁」と刻まれた石柱が、左側には「浮御堂」と深刻された大きな岩の石標が立っている。
観音堂
山門を入ると参道が浮御堂へと続くが、その手前の左手に「観音堂」が建っている。
三間四面、瓦葺入母屋造の堂は、明和3年(1766)の建築。
内部は瓦敷きで、格天井には草花絵が描かれている。
須弥壇の中央に平安時代の作とされる国指定重文の「木造聖観音坐像」が黒塗りの厨子内に安置されている。厨子は閉じているので、手前に写真が飾られている。
左には十一面観音、右には薬師如来が祀られている。
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観音堂 |
観音堂須弥壇 |
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海門山 満月寺 |
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聖観世音菩薩 |
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臨済宗大徳寺派 |
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近江湖西名刹27ヶ所 第17番 |
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滋賀県大津市堅田1-16-18
077-572-0455 |
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受付 |
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JR堅田駅からバス出町下車 |
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300円 8:00〜17:00 |
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有り 無料 |
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