諸國放浪紀
寺社を巡る旅
東北関東甲信越東海北陸近畿中国四国九州
大津から東近江へ近江寺社回廊

     


はじめに

大津地区から琵琶湖大橋を渡って、対岸の東近江地区へ。
今回の大津は坂本からスタート。坂本へのダイレクトアクセスは、名神高速の大津ICではなく、京都東ICから西大津バイパスを経由して滋賀里ランプまで直行。
日吉大社、西教寺など大きな寺社を巡って、琵琶湖大橋で近江八幡市へ向う。
最後は、長い石段が待つ西国三十三ヶ所霊場の長命寺で締めくくる。

 坂本地区の地図を開く 近江八幡の地図を開く 



日吉大社ひよしたいしゃ大津市坂本

総持寺本堂道順
名神高速京都東ICから西大津バイパスを経由して滋賀里ランプで下り、県道47号を北上する。
滋賀里ランプより約7分ほどで着く。

参拝メモ
日吉大社は全国に約3,800社ある日吉,日枝,山王神社の総本宮。比叡山の東側山麓に鎮座し、約40万平米の境内を有する大きな神社である。

創祀は崇神天皇7年とされ、平安京遷都の際、都の表鬼門に当たることから、都の災難除けの社として崇敬された。また、伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建立した際、比叡山の地主神である日吉大社を延暦寺の守護神として崇敬した。

西本宮と東本宮を中心に山王七社と呼ばれる本宮・摂社の他、中七社,下七社の計21社を山王二十一社と称している。

山王七社

社名
御祭神
旧称
西本宮
大己貴神 (おおなむちのかみ) 大宮(大比叡)
東本宮
大山咋神 (おおやまくいのかみ) 二宮(小比叡)
宇佐宮
田心姫神 (たごりひめのかみ) 聖真子
牛尾宮
大山咋神荒魂 (おおやまくいのかみのあらみたま) 八王子
白山宮
菊理姫神 (くくりひめのかみ) 客人
樹下宮
鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ) 十禅師
三宮宮
鴨玉依姫神荒魂 (かもたまよりひめのかみのあらみたま) 三宮

今回の参拝は中心となる西本宮・東本宮とし、往復1時間掛かる山上の三宮宮,牛尾宮は麓の遥拝所で済ませてしまった。

西本宮

西本宮は、日吉大社の中心的な存在で、明治時代には西本宮に主祭神を祀り、東本宮を摂社に格下げした時期もあった。 そのせいか、現在も新嘗祭などの主要行事は西本宮で執り行われている。

大宮橋・走井橋
一の鳥居をくぐり、参道を進むと日吉三橋の一つ国指定重文の大宮橋を渡る。
大宮橋の名は西本宮の旧称が「大宮」であることに由来している。

大宮橋の脇に架かるのが国重文指定の走井橋で、走井祓殿社へ向う橋で、山王祭始めに行うお祓いの儀式では、必ず走井橋を渡るそうだ。
橋の畔には凄い枝振りの松があり、思わず走井橋を渡って見に行ってしまった。
走井橋を渡った先には朱色の小さな祠が建っている。これは「走井祓殿社」である。

大宮橋
走井橋
走井祓殿社

山王鳥居
大宮橋を渡ると坂道の参道が続く。振返るとかなり登ってきたのが分かる。
目の前に朱塗りの山王鳥居が立っている。
笠木の中央に棟柱を建てて、合掌形の破風を架す独特の形をした山王鳥居は、各地に鎮座する日枝神社でも見られる形である。
山王信仰の象徴として山王の教えと文字を形にしたとも言われ、神仏習合の信仰を伝えている。

参道須弥壇

神馬舎・社務所
山王鳥居をくぐって更に進むと、右手に神馬舎と神猿舎が並び、左手には社務所と参集所が建っている。
神猿(まさる)は神の使いとされ、神猿舎には本物のサルが飼われていた。
西本宮楼門まではすぐだ。

神馬舎社務所

西本宮楼門
西本宮の楼門は白壁に丹塗りの建物で、三間一戸、檜皮葺入母屋造である。
中央に見える極彩色の蟇股や、四隅で屋根を支えている猿の彫刻が特徴といわれており、東本宮の楼門より豪華に造られているとか。
造立は桃山期、天正14年(1586)と古く、国の重要文化財に指定されている。

西本宮楼門
猿の彫刻
極彩色な蟇股

西本宮拝殿・本殿
楼門をくぐった先に拝殿、更にその奥に本殿が建っている。 拝殿・本殿とも天正14年(1586)に建立された建物で、拝殿が国指定重文、本殿が国宝に指定されている。

拝殿は桁行三間、梁間三間の方三間入母屋造、檜皮葺で、妻入りで建てられており、壁は無く吹き放しとなっている。
高欄を付した縁を廻らせ、妻壁部分は木連格子の妻飾りが施されている。

天井は、中央部分を一段高くした折上小組格天井になっており、これは西本宮拝殿のみに見られる意匠である。
日吉大社に建つ同形の拝殿の中では一番手間を掛けた構造と言えよう。




本殿は桁行五間、梁間三間、檜皮葺で独特の構造をした、いわゆる日吉造(ひえづくり)である。
また、一間の向拝を付し、縁高欄を廻らせている。丹塗りの高覧が目立っている。

日吉造というのは、西本宮本殿の場合、三間×二間の身舎(もや)の前方、両側面の三方に庇(ひさし)を設け、更に背面の中央三間を捲り上げた様な妙な形をし構造である。

日吉造の社殿は日吉大社にしか存在せず、ここでも西本宮、東本宮、宇佐宮の三本殿のみである。


西本宮の御祭神は、大己貴神 (おおなむちのかみ)で、旧称は大宮/大比叡(おおびえ)と称し、最澄が勧請した三十番神は大比叡大明神であるという。

山王七社(上七社)は二階建て?
外観上は板張りで窺い知ることは出来ないが、 床下には板の間の下殿(”したどの”若しくは”げでん”と読む)という密室が存在する。七社とも間取りは異なるが、外殿の内陣に当たる部分真下は土間になっていて、立入る事を禁じた神聖な場所だという。
外殿内に存在する須弥壇には、神仏分離令以前までは仏体が祀られていたそうだ。


宇佐宮 < 摂社 >
西本宮横の出口から出た一段低い場所に宇佐宮の社殿が建っている。
本来の宇佐宮参道は、西本宮参道から分岐して宇佐宮境内に入り、拝殿に至る道である。

宇佐宮は、摂社であるが、山王七社に列せられ、格上の摂社といえる。
御祭神は田心姫神 (たごりひめのかみ)で、宇佐宮の旧称は聖真子と称し、三十番神は聖真子権現である。

宇佐宮拝殿は、西本宮拝殿と同様、方三間、入母屋造、檜皮葺で妻入りに造られている。
また、木連格子の妻飾りや、高欄を付した縁も同様の構造であるが、折上小組格天井の意匠は施されてない。

本殿と同様、慶長3年(1598)に建てられたもので、国重文に指定されている。

参拝は本殿へ直接詣でる事ができるので、賽銭箱や本坪鈴は備えてない。


宇佐宮本殿は、西本宮と同じ桁行五間、梁間三間、檜皮葺の日吉造で、丹塗りの高欄を付した縁を巡らせている。
摂社で日吉造は宇佐宮のみである。
造立は慶長3年(1598)で、拝殿とセットで国重文に指定されている。

宇佐宮境内には、宇佐若宮、気比社などの末社が鎮座している。



白山宮(白山姫神社) < 摂社 >
宇佐宮から更に下がった位置に白山宮の境内がある。宇佐宮から石段で下りて行けるが、参道は宇佐宮と同様に西本宮の参道がら分岐して通じている。

白山宮も山王七社に列し、御祭神は菊理姫神 (くくりひめのかみ)を祀る。旧称は客人と称し、三十番神は客人大明神である。

白山宮の拝殿も宇佐宮と同じ構造で、方三間、入母屋造、檜皮葺の建物となっている。妻飾りや縁についても同じである。
直接本殿で参拝できるので、本坪鈴や賽銭箱はない。

慶長6年(1601)の造立で、国重文に指定されている。






白山宮の本殿は、三間社流造、檜皮葺で、今まで見てきた西本宮、宇佐宮の本殿とは異なった構造である。
中央の三間×二間が身舎で、手前側に一間通しの庇を設けここを前室とし、前室正面は蔀戸を付けている。

一間の向拝には、本坪鈴が取り付けられ、賽銭箱が置かれている。

慶長3年(1598)の造立で、拝殿と共に国重文に指定されている。


白山宮境内には5社の末社が祀られている。
本殿に近い側から、 瓊々杵命を祀る剱宮社(旧称 剱宮…改修工事中),小白山社(祭神:大己貴神),八坂社(祭神:素戔嗚尊),北野社(祭神:菅原道真)、少し離れて恵比須社(祭神:事代主神)



東本宮

白山宮から近道をせず、一旦「二宮橋」まで行き、東本宮参道を歩いた。

西本宮の参道よりは短いが、緩やかな勾配は変わらない。
幅員も若干狭い。

両側に鎮座している摂・末社は西本宮より多い。
参道を楼門方向へ歩いて、最初に現れるのが、左手に摂社氏神神社と氏永社の2社、参道を挟んで右手に八柱社が鎮座している。
更に先へ進むと、須賀社,厳滝社が鎮座している。
また、祠ではないが、「猿の霊跡」と呼ばれる岩が置かれている。少し離れて見ると猿の顔に見えると言うが、そんな気がしないでもない。
猿よりもゴリラかキングコングに近い気もする。日吉大社では、猿は神の使いだから、猿でもいいか。

氏神神社(摂社)
氏永社
八柱社(末社)
厳滝社(末社)
御祭神:大年神
旧 称:大行事
中七社
御祭神: 祝部希遠 御祭神:五男三女神
旧 称:下八王子
中七社
御祭神:市杵島姫命・湍津島姫命
旧 称:岩滝
下七社


須賀社
猿の霊跡

東本宮楼門
西本宮楼門と同構造の三間一戸、檜皮葺入母屋造である。組物も三手先が用いられ西と変わらない。
極彩色の蟇股は初層のみ付けられている点が西本宮と異なる。
西本宮楼門よりも豪華さを押さえていると聞いた先入観か、そんな感じがしないでもない。

天正年代から文禄2年(1573〜1593)にかけての造立で、国重文に指定されている。
東本宮の授与所は楼門の外側に建っている。


東本宮拝殿・本殿
楼門の先を真直ぐ進み、6段ほどの石段を上がった高い位置に拝殿、その奥に本殿が建っている。拝殿が国指定重文、本殿が国宝に指定されている。

拝殿は桁行三間、梁間三間の方三間入母屋造、檜皮葺で、妻入りで建てられており、四方吹放しとなっている。
高欄を付した縁を廻らせ、妻壁部分は木連格子の妻飾りが施されている。
天井は小組格天井だが、西本宮拝殿の様な折上の意匠はない。文禄5年(1596)の造立とされている。

本殿に直接参拝できるので、本坪鈴も取り付けられてない。




本殿は桁行五間、梁間三間、檜皮葺の日吉造である。
一間の向拝を付し、高欄を付した縁を廻らせているのは西本宮本殿と同様だが、当本殿は背面の中央三間の縁が一段高くなっている。

東本宮の御祭神は、大山咋神 (おおやまくいのかみ)で、旧称は二宮/小比叡(おびえ)と称し、最澄が勧請した三十番神は小比叡大明神であるという。

本坪鈴や賽銭箱が備えられており、本殿へ直接参拝できるようになっている。


樹下宮 < 摂社 >
楼門を入ったすぐの所に建つのが摂社樹下宮で、山王七社に列し、御祭神は鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ)を祀る。旧称は十禅師と称する。
拝殿及び本殿とも文禄4年(1595)の造立で、国重文に指定されている。

樹下宮の拝殿も構造は他の拝殿と同様、方三間、入母屋造、檜皮葺、妻入りで、妻飾りや縁も同様に建てられている。しかし、四方吹放しではなく、格子や格子戸が建てつけられているのが他の拝殿と異なる部分である。

拝殿内には神輿が収納されている。...格子戸になっているのはこの為か?





樹下宮の本殿は、三間社流造、檜皮葺で、中央の三間×二間が身舎で、手前側に一間通しの庇を設けここを前室とし、前室正面は蔀戸を建てつけている。

この時点では白山宮の本殿と同じ構造だが、側面を見ると、懸魚,母屋,軒桁,破風に施された金物飾りが派手である。



東本宮の参道と樹下宮の参道が直交していて、珍しいことであるとよく聞くが、図解とかが無くよく分からなかった。
実際に行ってみて、この事かと分かった。

右写真は楼門をくぐった先で撮ったものだが、中央が東本宮拝殿、右の建物が樹下宮の拝殿、左に見える向拝が樹下宮の本殿で、拝殿から本殿へと敷石が置かれている。
つまり、東本宮参道を通って東本宮の社殿へ行くには、樹下宮の本殿と拝殿の間を横切るという、これが”参道が直交”という事なのであろう。


東本宮楼門内の摂社・末社
西本宮に比べると楼門内は建物が賑やかに建っている。

大物忌神社(摂社)
新物忌神社(摂社)
御祭神:大年神
旧 称:大行事
中七社
御祭神:天知迦流水姫神
旧 称:新行事
中七社
樹下若宮(末社)
稲荷社
御祭神:玉依彦神
旧 称:小禅師
下七社
 

日吉大社の狛犬
本殿と拝殿が対に建っている本殿の縁には、木造の狛犬が置かれている。
本殿に向かって右側に置かれているのが獅子で、左側が狛犬だそうだ。

本殿にいて、本殿全体を守護しているのだそうだ。
このスタイルはひと昔前の形で、現在は境内に降りて境内全体を守護するようになり、雨風にさらされるので石造りになったのだと日吉大社は説明する。

奥宮

背後にある八王子山には山王七社の内、牛尾宮と三宮宮が鎮座している。
西本宮と東本宮の間にある登山道を30分ほど登るそうだ。
今回は滞在時間の制約もあって(言い訳....)、麓の遥拝所で参拝を済ませてしまった。

三宮宮遥拝所
牛尾宮遥拝所
御祭神:鴨玉依姫神荒魂
旧 称:三宮
御祭神:大山咋神荒魂
旧 称:八王子
三十番神:八王子権現


 
名称
 
御祭神
 
社格等
旧官幣大社・別表神社・式内社(名神大)
 
鎮座地
滋賀県大津市坂本5-1-1
077-578-0009
 
最寄駅
 
拝 観
300円 9:00〜16:30
  朱印所
西本宮授与所・東本宮授与所
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 日吉大社 
   
神猿みくじ
御朱印について
   東本宮を除く山王七社と三十番神の御朱印は西本宮授与所でいただく。
   東本宮と小比叡大明神の印のみは東本宮授与所でいただく。
   全部で13種(初穂料3,900円)あるので、巫女さんと相談して今回は4種にした。
     
     



  次の日吉東照宮へは 徒歩 で約3分徒歩 でも約10分で行ける  



日吉東照宮ひよしとうしょうぐう大津市坂本


道順
長浜八幡宮弊殿日吉東照宮は日吉大社の鳥居を抜けて右へ行き、観光駐車場の先に参道の石段がある。
車の場合、「ケーブルのりば」の看板が立つ橋の手前を右折、比叡山高校のグランドを目指して坂を上ると左手に駐車場がある。

参拝メモ
日吉東照宮は、現在日吉大社の末社であるが、単独で掲載した。

日吉東照宮は元和9年(1623)、比叡山天海大僧正により造営され、当初は延暦寺の末寺であった。
明治の神仏分離令により、日吉大社の管轄になり、明治9年(1876)に日吉大社の末社に制定され現在に至っている。

元和9年に造営された社殿は、寛永11年(1634)には本殿と拝殿を石の間で繋ぐ権現造へ改築したと資料に記載されていた。
これが権現造の発祥なんだとか。

県道47号沿いにある参道入口を入るといきなりの石段が待っている。
日吉大社にはこんな石段はなかったので、本日始めての修行である。(メタボな身体を押し上げるのはキツイ)

境内からの眺望は抜群という事なので頑張った。






日吉東照宮からの眺望境内からは琵琶湖が一望できて、確かに眺望は良かった。
晴れていれば、もっと美しかったに違いない。生憎の曇天で残念だった。

石段を上がったところは広い境内となっており、その先に塀で囲まれた東照宮が建ち、右手に受付がある。

受付で拝観料200円を納め、玉垣内へ入り、更に社殿内部を拝観する。 内部拝観は土日祝のみの限定公開である。(訪れた日が祝日だった為、拝観できた。)
日吉大社と比べ、訪れる人も少ないので、団体が入らない限りゆっくりと内部を観ることができる。

建造は江戸前期ではあるが、東照宮独特の極彩色の内外装、豪華絢爛な建物は素晴らしい。
社殿、唐門および透塀は国重文に指定されている。


唐門及び透塀
東照宮の社殿へはこの唐門から出入する。

寛永11年(1634)に透塀と共に造営された建造物で、形状は側面に唐破風が付く平入りの四脚唐門で檜皮葺である。

透塀は全周五十四間、檜皮葺で側面に潜門を付けている。
透塀で囲まれた部分は周囲より一段高くなっている。



拝殿・石の間・本殿
社殿はすべて銅板葺になっており、拝殿は、桁行五間、梁間二間の入母屋造で、正面に千鳥破風を付け、三間の唐破風軒向拝を設けてある。

本殿は桁行三間、梁間三間の入母屋造。

寛永11年(1634)に本殿と拝殿を石の間で繋ぐ権現造の様式で改築された。
これだけ立派な社殿を、築11年でリフォームした訳である。



石の間は、拝殿や本殿より低い位置に床が張ってある。格子天井を含め煌びやかな内装は凄い。
ここに入り込んで、近くで観ちゃってもいいのかなぁ....と思った。

向って正面に徳川家康公、右側に日吉大神、左側に豊臣秀吉公を祀っている。




透塀越しに権現造りを観てみた。


 
名称
日吉東照宮
 
御祭神
徳川家康公・豊臣秀吉公・日吉大神
 
創 建
元和9年(1623)
 
社格等
日吉大社末社
 
鎮座地
滋賀県大津市坂本4-2-12
  朱印所 受付
 
最寄駅
 
拝 観
200円 (日吉大社と併せて参拝の場合150円)
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 日吉東照宮|日吉大社 
日吉東照宮朱印



  次の滋賀院門跡へは 徒歩 で約2分徒歩 でも約6分で行ける  



滋賀院門跡しがいんもんせき大津市坂本


道順
舎那院日吉東照宮から参道の石段を下り、目の前の県道47号を横断して緩やかな坂を下っていく。
左手に天台宗務庁が現れたらその先を左折(カーブミラーが目標)すれば滋賀院に出る。



参拝メモ
滋賀院は比叡山延暦寺の本坊で、里坊を代表する寺院である。
元和元年(1615)慈眼大師天海が京都北白川の法勝寺を移築して創建したのが始まりだという。
江戸末期まで天台座主だった法親王が代々住んでいた門跡寺院である。

当初の堂宇は、明治11年(1878)の火災により焼失してしまった。明治13年(1880)比叡山無動寺谷法曼院の建物3棟を移築し再建が計られた。

滋賀院の入口は右の通用門からで、入って左手に拝観入口がある。
門を入って右側に駐車場があるので、車の場合、構わずこの通用門を抜けてしまえばよい。

拝観の受付を済ませると、ある程度人が集まったタイミングで説明をしてくれので、これは聞いた方が良い。
何も聞かないと、家の中をただぐるっと廻るに過ぎない。

見処は、狩野派渡辺了慶作の襖絵、勅使門、国指定名称の庭園などがある。


庭園
滋賀院庭園宸殿脇の池泉鑑賞式庭園は、三代将軍家光公の命により作庭されてという庭園で、作庭は小堀遠州ということになっているようだ。







勅使門
拝観入口に対面してあるのが勅使門。
形状は四脚向唐紋で、棟が高くかなり重厚な雰囲気を持つ門である。


 
名称
滋賀院門跡
 
本 尊
薬師如来
 
宗 派
天台宗
 
所在地
滋賀県大津市坂本4-6-1
077-578-0310
  朱印所 拝観受付
 
最寄駅
 
拝 観
450円 
 
駐車場
有り 無料
滋賀院朱印



   次の西教寺へは 徒歩 で約3〜4分  


西教寺さいきょうじ大津市坂本

大通寺道順
滋賀院門跡を出て突き当たりを左折、更に左折すると再び日吉大社の入口に出る。
そのまま道なりに県道47号を進むと西教寺の総門に付く。総門脇に駐車場がある。

参拝メモ
西教寺は日吉大社同様、見どころが多いので、昼食を挟んでじっくり時間をとった。


西教寺は天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山である。
創建は飛鳥時代、聖徳太子の開基と伝承されているというが、明確ではないらしい。
時代から見て、比叡山延暦寺より古くからあったという事になる。

長期に亘り衰退していたが、慈恵大師良源が入山して以降、延暦寺の高僧が入山し、次第に栄えるようになったらしい。....が、余り決定的ではなかったようだ。
文明18年(1486)、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖とされる真盛上人が入山してからは大いに栄え、以来400余の末寺を有する総本山となったそうだ。
駐車場が2ヶ所有り、駐車する場所によって本堂へのアクセスルートが異なる。今回は総門からのスタートだ。

総門から参道へ
山門西教寺の総門は、天正年間(1573〜1592)に坂本城主明智光秀が坂本城の城門を移築したと伝えられる坂本城遺構という。

幅6.4m 高さ5.6mの高麗門の形状をしている。綺麗に見えるのは、老朽化のため、昭和59年(1984)に形状をそのままで修復したからである。

参道はこの先の勅使門まで、緩やかな上り勾配で一直線に続いている。
訪れたのは紅葉の時期だったので、両側のモミジが綺麗だった。サクラも植えられているので、春の参詣も楽しみである。

参道を進んでいくと、両側には西教寺塔頭が建ち並んでいる。
ここで見て置きたいのは、各坊の門である。禅明坊、禅林坊、徳乗坊、實成坊の門は国指定登録有形文化財である。

参道
禅明坊
實成坊
禅智坊
蓮心坊
聞證坊

勅使門から本堂へ
参道の坂を上った突き当たりに勅使門が建っている。
ここを右に行くと教学総合センター、左へ行くと本堂が建つ区画へと通じている。

渡廊

本堂は、坂本地方独特の穴太(あのう)積の石垣の上にある。
ここは勅使門前を左に折れ、更に右手の長い石段を上がって行くことにする。
本堂から大広間へは渡廊で繋がっている。

本堂
本堂廻縁国指定重文の本堂は、桁行七間、梁間六間の平面に本瓦葺の入母屋屋根をのせ、正面に三間の向拝を付し、高欄を付けた縁を廻らせている。
また、背面には桁行一間、梁間一間の裏堂が付けられている。
総本山の本堂に相応しい堂々とした建物である。(西教寺の項最上段の写真)

元亀2年(1572)の織田信長による比叡山焼討ちの際、本堂は灰燼と化した。後に第二十世真際上人が、檀徒から浄財を集め再建を計り、元文4年(1739)現本堂が落成したと案内板に記されてあった。

本堂に近づくと甲高い鐘の音が響いてくる。
堂内に入って分かったが、年配の尼僧が須弥壇からは遠い場所に座って鉦を叩いていた。
どうやら「不断念仏」の鉦のようだ。でも、会話には応じてくれる。

祀られている本尊は丈六の木造阿弥陀如来坐像。平安時代の作で、国指定重文。丈六と言うだけあって大きく立派な仏像である。

大本坊客殿書院
大本坊本堂の脇から裏手に廻ると、大本坊(庫裏)が建っている。
当初の建物は、信長の比叡山焼討ち後、明智光秀公が坂本城主となった際、西教寺を菩提寺にしようと復興に寄与し、坂本城の陣屋を寄進して再建したものである。

現在の本坊は、昭和33年(1958)に改築が完成した建物である。
堂内拝観の受付はここで行っている。早速、各堂宇を拝観してみる。
本坊へは玄関脇の縁側から上がる。受付のカウンターで拝観申し込みと御朱印帳を預け、先ずは客殿へ。

本坊から客殿〜書院〜再び本坊へと渡り廊下で繋がっている。
一部は国指定登録有形文化財になっている。


客殿
客殿は、桁行十二間、梁間八間で?葺の屋根は南面が入母屋造、北面を切妻にしている。
東面と南面には広縁と落縁がある。

もと伏見城にあった桃山御殿とも呼ばれた旧殿である。

慶長3年(1598)秀吉公の菩提を供養するため、敦賀城主 大谷刑部吉隆の母と、秀吉の家臣山中山城守長俊内室が建立したもので、伏見城の遺構を移築した建物である。
国重文に指定されている。

東面に配置された室には、それぞれ狩野派の襖絵が描かれており、北から控の間、鶴の間、猿猴の間、賢人の間そして花鳥の間に分かれている。
西面は南端に秀吉公が座っていたと言う上座の間があって、北へ内仏、書庫、茶室等が細かく並んでいる。

賢人の間には京都法勝寺の本尊、秘仏の薬師如来が安置されている。
法勝寺は京都白川にあった六勝寺のひとつで、焼失・倒壊、復興を繰り返したが、遂に復興できず西教寺へ移り、賢人の間に本尊を安置しここを法勝寺としているんだとか。

西教寺の正式名称「兼法勝西教寺」というのは、西教寺は法勝寺を兼ねるという意味だそうだ。

客殿通用門
客殿通用門意匠客殿の南側を囲む板塀に付けられた門であるが、国有形文化財に指定されている。
形状は平唐門で、屋根は檜皮葺。大正時代(1912〜1925)に造られたもの。

棟木を舟肘木で受けて、妻には簡素ながら彫物の懸魚を付けている。




書院 書院
書院は大正5年(1916)に建てられた比較的新しい建物で、桁行十三間、梁間九間の平面に桟瓦葺の入母屋屋根をのせた構造をしている。
内部は南側4室の表書院と北側6室の裏書院から構成されている。


阿弥陀如来二十五菩薩
廊下にずらりと並んだ石仏。
「阿弥陀如来二十五菩薩」といい、阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、浄土の世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏者を極楽浄土へ導くという教説に従って造られたのだとか。

屋外に安置されていた石仏だが、破損が著しいため平成16年から客殿と書院を結ぶ「欣浄廊」に奉遷したそうだ。
天正12年(1584)の作、というかなり古いもので、それぞれの手に楽器を持っている。


観瀾亭
観瀾亭客殿庭園の奥に建つ平屋の建物は明治時代後期の建築で、南側入母屋造・北側寄棟造の桟瓦葺構造。

間取りは床の間・棚付の8畳間と6畳間の2間で構成されているそうだ。内外装とも朱の砂壁を塗り、面皮長押を用いている。
何の建物か分からない。国指定有形文化財なので聞いてみればよかった。





庭園
西教寺には本坊庭園、客殿庭園、書院庭園、裏書院庭園の4つの庭園がある。前述の諸堂拝観で3つの庭園を鑑賞できた。 客殿庭園は観瀾亭の写真に見られる、江戸時代初期に小堀遠州が作庭したと伝わる地泉式庭園。

書院庭園
穴太衆による作庭の穴太式庭園
裏書院庭園
平成元年に作庭された池泉鑑賞式庭園

鐘楼
鐘楼本堂の東側に袴腰のスタイルの良い鐘楼が建っている。
天保2年(1831)の建立で、構造は桁行三間、梁間二間、本瓦葺の入母屋屋根で総檜造である。
大きく張出した軒、三手先の出組、四面に彫られた猿の彫刻、籠彫の木鼻等々優秀な意匠が施された鐘楼は見処の一つである。

中に吊るされている梵鐘は、国指定重文で平安時代に鋳造されたものらしい。明智光秀が坂本城の陣鐘を寄進したとされるが、京都法勝寺から移されたという説があるらしい。

鐘楼からのロープが本堂の縁まで張られている。西教寺の梵鐘は撞くのではなく、本堂の縁から曳いて鳴らすそうだ。やってみてぇ〜


真盛上人御廟
真盛上人御廟客殿南側にある石段を約90段上って行くと真盛上人の御廟がある。
石段を見て、下でお参りしよう....と、実際には上らなかったが、上には国指定有形文化財の御廟が建っているという。

天保13年(1842)の建立で、桁行一間、梁間二間の平面に瓦葺の宝形屋根をつけ、正面に向拝を付した堂宇だそうだ。




宗祖大師殿
本堂が建つ一画の拝観を終え、石段を下った右手にある宗祖大師殿に向った。
白い土塀に囲まれた一画が、 天正9年(1581)、第九代真知上人の発願によって建立されたで宗祖大師殿(開山堂)である。

大師殿水屋
大師殿水屋通用門の前にある六角形の水屋。大正時代の伽藍整備の際造立されたということで、国登録有形文化財に指定されている。

六角形の平面に宝珠を載せた桟瓦葺きの屋根をつけている。中央部分に円形花型の水盤を置いている。






大師殿通用門
大師殿通用門水屋の前に国登録有形文化財に指定されている通用門がある。
1間1戸の平唐門で、屋根は檜皮葺。
扉に西教寺の寺紋「三羽雀」を付け、両側に折れ曲がりの築地塀が続いて延びている。




大師殿唐門
大師殿唐門大師殿の正面に建つ1間1戸の四脚門で、屋根は檜皮葺の入母屋造、前後軒に唐破風を付けている。
通用門と同様で、両側に折曲がりの築地塀が築かれている。
虹梁上に配された龍や獅子などの多彩な彫刻、扉の透かし彫りが美しい。

この門からは琵琶湖が一望でき、眺めを楽しむ為にも門から一歩外へ出てみたい。
通用門と同じ大正時代の建築で、国登録有形文化財に指定されている。


大師殿
宗祖大師殿築地塀と石垣で囲まれた一画の西奥に建てられた大きな堂宇が宗祖大師殿で、祖殿とも呼ばれている。
正面五間と本堂よりは小振りながら堂々とした風格がある。
桟瓦葺きの入母屋造で、正面軒に唐破風を付け、高欄を付した縁を廻らせている。

造立は明治27年(1849)で、国指定登録有形文化財である。
内部には像高73.9cmの木造真盛上人像が安置されている。



菊御膳(ランチタイム
一通り拝観も終了したので、西教寺でいただける坂本の郷土料理「菊御膳」を賞味した。
この時期にしか味わえない、すべてに坂本菊が使われた料理は格別だった。

一日限定150席なので完全予約制だが、10席程度の余剰が出るときがあるので、本坊で聞いてみるのも良いかも。

2月中旬から3月3日までは「雛御膳」が出される。
食事は研修道場内にていただく。

 
正式名称
戒光山兼法勝西教寺
  朱印所 西教寺:受付
 
本 尊
阿弥陀如来
    祖 殿:堂内
 
宗 派
天台真盛宗 総本山
 
最寄駅
京阪電車 石山坂本線 坂本駅より
江若バス 西教寺 下車   
 
札 所
近江湖西名刹27ヶ所 第11番
 
 
聖徳太子霊跡 第31番
 
拝 観
境内無料 堂内 500円 9:00〜16:30
 
所在地
滋賀県大津市坂本5-13-1
077-578-0013
 
駐車場
有り 無料
公式サイト --天台真盛宗総本山-- 西教寺 
 
西教寺朱印西教寺祖殿
西教寺祖殿



   次の日牟禮八幡宮へは 徒歩 で約45分  


日牟禮八幡宮ひむれはちまんぐう近江八幡市宮内町


道順
知善院坂本から国道161号を通り琵琶湖大橋交差点を右折し琵琶湖大橋を渡る。琵琶湖大橋東詰を左折し湖岸道路を走り、湖岸白鳥川交差点を右折、大房交差点を左折して道なりに進むと日牟禮八幡宮に着く。

近江八幡は八幡掘をはじめ見処は多い。近江八幡と言うくらいだから、先ずは日牟禮八幡宮を参拝することにした。

参拝記
日牟禮八幡宮の草創は、131年、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位の折、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが始まりとの伝承がある。

正暦2年(991)一条天皇の勅願により、八幡山(法華峰)に社を建立し、宇佐八幡宮を勧請して、上の八幡宮を祀った。
更に、寛弘2年(1005)遥拝社を山麓に建立し下の社と名付けた。

天正18年(1590)豊臣秀次が法華峰に八幡山城築城のため、上の八幡宮を下の社に合祀した。
昭和41年(1966)神社本庁別表神社に加列し、神社名を日群之社八幡宮から日牟禮八幡宮へ改称したそうだ。


社殿
拝殿拝殿は文治3年(1188)、源頼朝が近江の守護職である佐々木六角に命じ建立させたとある。
方三間の入母屋造の高床で、周囲に壁を持たない吹き放しとなった妻入拝殿である。
当初桧皮葺であったが、現在では銅板葺に葺き替えられている。

三間社流造に千鳥破風の向拝を付した本殿は、通路を挟んで拝殿とは独立して建っており、本殿を直接参拝できる。
拝殿同様、建立時は桧皮葺であったが、現在では銅板葺に葺き替えられている。
内部は本殿らしく階段になっていて、奥に簾が掛かっている。天井の格子が美しい。
本殿本殿内部


楼門
楼門駐車場を兼ねた参道から入って来た所に建つ三間一戸の楼門は、重厚で立派な門である。
三手先の斗?で桁を支え、大きな屋根を載せている。脇の花頭窓も神社建築としては面白い。

彫物も素晴らしい。狛犬を彫った木鼻の彫刻は、狛犬が阿吽の様を呈し、玉を噛んでいたりする。虹梁の亀やその奥の像など、一つ一つ見ていくのもよい。
裏側には木製の狛犬が置かれていた。



境内社
境内左右に多くの境内社が鎮座している。
岩戸神社境内社
左写真は、本殿脇の岩戸神社、右写真は左から常盤神社・天満宮・宮比神社。
他にも大島神社・八坂神社・繁元稲荷社・恵比寿神社等々が鎮座している。

 
名称
日牟禮八幡宮
 
御祭神
譽田別尊 (ほむだわけのみこと)
息長足姫尊 (おきながたらしひめのみこと)
比賣神 (ひめがみ)
 
創建
131年(伝承)
 
社格等
旧県社・別表神社
 
鎮座地
滋賀県近江八幡市宮内町257
0748-32-3151
  朱印所 授与所
 
最寄駅
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 日牟禮八幡宮 
日牟礼八幡朱印


 
         
  近江八幡といえば、日牟禮ヴィレッジ......クラブハリエの親会社(株)たねやの本拠地。
ここには、和菓子の「たねや」とバームクーヘンの「クラブハリエ」が店舗を並べてる。さすがに本拠地といった雰囲気。四季の花が楽しめる日牟禮ガーデンもある。
早速、クラブハリエの日牟禮カフェで賞味期限が当日という「焼きたてバームクーヘン」をいただくことに。
 
         
 
バームクーヘンバームクーヘン
 
 
日牟礼ガーデン
 
         
  ※ 焼きたてバームクーヘンは、2015年より「ラ コリーナ近江八幡 メインショップ」での販売
  になりました。
 
         
 
日牟禮カフェ
  近江八幡市宮内町日牟禮ヴィレッジ
  <クラブハリエ> 0748-33-3333
  9;00〜18:00  年中無休
  駐車場 有り
公式サイト 近江八幡日牟禮ヴィレッジ
 
 



   次の長命寺へは 徒歩 で約17〜20分  


長命寺ちょうめいじ近江八幡市長命寺町


長命寺道順
日牟禮八幡宮を出て、県道26号へ向う。暫く湖岸道路を走ったら、標識に従い”長命寺町”交差点を左折し、県道25号を行くと”長命寺”の看板が立っているので、そこを右分岐し道なりに坂を登れば駐車場に着く。

山の麓にも駐車場はあるが、そこからだと808段の石段を登らなければならない。

参拝記
駐車して先へ歩いて行くと参道の石段が見える。
かなり登ってきているのであと少し上ればよいが、ここからでも165段ある。

さて、上るとするか。と振返ったら下の石段から上がって来る人がいた。
こちら側は手摺もない。その元気さには圧倒される。

右上の写真に見える範囲の半分くらい上がった。目の前に山門が見える。寺務所も間近になってきた。

長命寺の山門は冠木門である。
今日は朝から楼門や唐門など重厚な門を見て来ただけに、シンプルな冠木門はかえって新鮮に映る。
この冠木門、控え柱が高麗門の様に切妻屋根をのせた形になっている。

山門には右側に「姨綺耶山 長命寺」、左側に「西国三十一番 札所」と書かれた看板が掛けてある。


山門を入ると、手水舎やお地蔵さんなどが置かれ、いよいよという雰囲気になってきたが、先を見るとまだ九十九折りの石段が残っている。


本堂
長命寺本堂長命寺は近江八幡市の長命寺山(標高333m)の中腹約250m付近にあって、西国三十三ヶ所霊場の札所であることから参詣者が多い。

長い石段を上がり切ると、「西国三十一番札所 長命寺」と彫られた石柱が立ち、背後に本堂が建っている。
正面から見ると、石垣の際に建っているので、圧倒される大きさを感じる。

長命寺は永正13年(1516)、戦火により焼失しており、現本堂は大永4年(1524)に再建された建物で、国重文に指定されている。

本堂西側桁行七間、梁間六間の入母屋造で、屋根は檜皮葺である。
縁を廻らせてあるものの、正面に階段は無く、西側の側面から上がるようになっている。

西側の入口には「長命寺本堂」「西国三十一番札所」と書かれた看板が掛けてある。
ここを入った所に納経所がある。

堂内に入ると、そこはよく見る観音霊場での光景である。内陣は格子で仕切られている。

祀られている千手観音・十一面観音・聖観音の三尊一体が本尊とされ、厨子に納められた絶対秘仏で公開されていない。
但し、2009年10月1日〜31日に花山法皇の一千年忌を記念して、61年ぶりに開扉されたとのことである。

三体とも国指定重文だが、千手観音と十一面観音は平安時代、聖観音は鎌倉時代の作品だそうだ。





三仏堂
本堂の西に近接して建っている丹塗りの堂は、釈迦・阿弥陀・薬師の三如来を祀る三仏堂である。

桁行五間、梁間四間に檜皮葺の入母屋屋根をつけている。正面の柱間に桟唐戸を吊り込んだ姿は、正面からの造形美を美しくさせている。

元暦元年(1184)、佐々木定綱が父親である義秀の菩提を弔うため建立したと伝えられているが、永正13年(1516)に伽藍を焼失していることから、現存する建物は永禄年間(1558〜1570)に再建されたものと推定されている。


護法権現社
三仏堂の西側に建っている吹き放しの丹塗りの建物が、護法権現社拝殿で、拝殿の奥にあるのが護法権現社本殿である。
江戸時代後期に建てられたもので、檜皮葺の一間社流れ造り。

本殿には護法神として長命寺を開山したと伝わる武内宿禰が祀られている。

三仏堂と繋がる護法権現社拝殿の方が手前にあるし、三仏堂と同じ丹塗りなので、どうしても目立ってしまうが、あくまでも渋い地味目な本殿が主役である。

更に本殿の背後の山の斜面に大きな岩がある。
修多羅岩(すたらいわ)と言うらしく、”武内宿禰のご神体とする”と看板に記載されていた。

上の境内護法権現社拝殿の前を更に奥に進んでいくと、石段を上がった一段と高い位置に鐘楼、如法行堂が建っている。

長命寺の記事の一番上に掲載した写真にあるように、長命寺山の山腹を細長く切開いた境内を見渡すことができる。

縦に並べられた伽藍の妻部分が折り重なった状態を、石段の高さ毎に見ると、視点によって表情が変わり実に美しい。

長命寺の紹介によく使われるアングルである。


鐘楼
梵鐘鐘楼鐘楼は慶長13年(1608)に再建された堂宇で、国重文に指定されている。
袴腰付きなのに大きな屋根を載せているので、不安定感が除けない。

構造は、下層が二間×二間なのに対し、上層は撞木を逃がす為か桁行二間であるが、梁間は東面が二間、撞木の付く西面を三間としている。そのことは、内部を撮影した写真でも分かる。
屋根は檜皮葺の入母屋屋根を載せている。袴腰部分は下半分が堅板張、上半分を白壁で仕上げている。

中に吊るされている梵鐘は、特に名鐘ではないが、鎌倉期に鋳造されたもので、こちらは滋賀県の有形文化財に指定されている。
撞いてみたが、堂内に轟々と響き渡り客観的に音色が判断できなかった。


如法行堂
如法行堂鐘楼の奥に建つのが如法行堂。
三間四面の宝形造で、檜皮葺の屋根に宝珠を載せたよく見るタイプの仏堂である。

勝運将軍地蔵菩薩・智恵文殊菩薩・福徳庚申尊を祀っている。






三重塔
三重塔今度は境内の東側へ行ってみる。
本堂脇から正面に見える三重塔へ行く。

慶長2年(1597)建立の三重塔は、三間三重の塔で総丹塗り、屋根は?葺、国指定重文である。
高さは24.4m、近江の三重塔としては西明寺・金剛輪寺の塔よりは多少高めだが、園城寺(三井寺)よりは若干低く、平均的な高さである。

木造の総丹塗りは珍しいと思う。
各重の組物は三手先、二軒垂木。初重は擬宝珠高欄を付けた縁を廻らし、中備えは初重・二重が三間とも間斗束(けんとづか)、三重は中央間のみ間斗束となっている。

閼伽井堂
本堂の東隣に建つ小さなお堂は、長寿の霊泉が湧くとされる閼伽井堂である。
閼伽井堂

 
名 称
姨綺耶山 長命寺
 
本 尊
千手観音・十一面観音・聖観音
 
宗 派
天台宗系単立
 
札 所
西国三十三ヶ所 第31番
近江西国三十三ヶ所 第21番
聖徳太子霊跡 第35番
江州三十三観音 第28番
 
所在地
滋賀県近江八幡市長命寺町157
0748-33-0031
  朱印所 本堂内納経所
 
最寄駅
JR琵琶湖線・近江鉄道 近江八幡駅より
近江鉄道バス 長命寺 下車   
 
拝 観
無料  8:00〜17:00
 
駐車場
有り 無料
長命寺朱印




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近江八幡
 
       
     
       





仏に出会う旅

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