諸國放浪紀
寺社を巡る旅
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紀伊路・熊野参詣道紀伊寺社回廊

紀三井寺 道成寺 須賀神社 補陀洛山寺 飛瀧神社 青岸渡寺 熊野那智大社 熊野速玉大社 熊野本宮大社
 
東海道方面からは、新名神〜京滋バイパス〜第二京阪〜阪和道で和歌山ICへ。
岡山方面からは、山陽道〜近畿道〜阪和道で和歌山ICへ。

はじめに

紀伊路は畿内と熊野三山を結ぶ熊野参詣道、いわゆる熊野古道の一つである。
今回は、和歌山市から田辺市までの紀伊路と、田辺からは海岸線を行く大辺路にて紀伊勝浦に至るルートを通った。
但し、徒歩による本来の熊野古道ではなく、熊野古道に沿った自動車道を車で移動し熊野三山を目指す。


 このルートの地図を開く 

紀三井寺きみいでら和歌山市紀三井寺


紀三井寺道順
阪和道を和歌山ICで降りて道なりに進み、JR高架先の田中町交差点を左折、しばらく国体道路を行くと紀三井寺の交差点があるので左分岐で紀三井寺に着く。

参拝メモ
紀三井寺は、紀三井山金剛宝寺護国院と号する寺院であるが、古くから「紀三井寺」の名称で親しまれている。
寺域内に三つの井戸があるので、紀州の三つの井戸があるお寺というのが紀三井寺と呼ばれる所以だそうだ。

もとは、真言宗山階派に属していたが、昭和23年(1948)に救世観音宗総本山として独立した。
本尊に十一面観世音菩薩を祀り、西国三十三ヶ所霊場の第2番札所として多くの参詣者が訪れている。

護国院伽藍
護国院伽藍護国院(紀三井寺)は和歌山市内を一望できる山の中腹に伽藍を配している。
門前の商店街の先に、長い石段の参道が続き、上がりきったところに六角堂が見える。
左へ進むと、鐘楼があり更にその先に本堂が建っている。

六角堂を右に行くと、平成18年落慶の新しい要塞のような新仏殿が建ち、内部には像高約11mの木造千手十一面観音像が安置されている。
上層部は有料の展望台になっており、市内はもとより、海までが見渡せる。


結縁坂 (けちえんざか)
結縁坂楼門を抜けると、230段ほどの急な石段が続いている。
ここはキツイ。みんな息が上がってしまうようだ。これを一気に上ってくる人が居たら尊敬する。

途中には護国院の塔頭がいくつか建っている。
上りに立寄って参拝するのも、息を整えるチャンスかも知れない。





鐘楼
鐘楼六角堂の左には朱塗りの鐘楼が建っている。
桃山時代の建築にしては塗装が鮮やかなのは、近年塗り直したようである。

本瓦葺、入母屋造で桁行三間、梁間二間、袴腰付のすっきりした感じの鐘楼は、宝亀2年(771)に建立、後の天正16年(1588)に再建された建物で、楼門,多宝塔と共に国の重要文化財に指定されている。

大師堂
鐘楼の先には大師堂が建っている。
先端に宝珠を乗せた三間四面の宝形造で、縁を巡らせたバランスの良い形状をしている。
大師堂

本堂
大師堂の先に建つ本堂は、九間四面の総欅造で、本瓦葺の入母屋屋根を載せ、正面に千鳥破風を施し、唐破風の向拝を付してある。

総本山の名に相応しい建物である。
本尊の十一面観世音菩薩像をはじめ、千手観音,藤原時代作の十一面観音,梵天,帝釈天など国指定重文の仏像は、本堂と棟続きになっている耐火造の大光明殿に安置されている。
本堂には、阿弥陀如来,薬師如来,千手観音,増長天,持国天などが内陣に安置されている。

本堂と相対した位置に建つ新仏殿に上がり、眺望を楽しんだ。

本堂
六角堂 眺望
本堂
六角堂
新仏殿からの眺望

 
正式名称
紀三井山 金剛宝寺 護国院
 
本 尊
十一面観世音菩薩
 
宗 派
救世観音宗
 
札 所
西国三十三ヶ所 第2番
 
所在地
和歌山県和歌山市紀三井寺1201
073-444-1002
  朱印所 本堂内納経所
 
最寄駅
 
拝 観
拝観料200円 8:00〜17:00
  大観音像   8:30〜16:30
 
駐車場
有り 有料 3時間 300円
  公式サイト 紀三井寺のホームページ 
紀三井寺朱印




   次の道成寺へは 徒歩 で約3〜4分  


道成寺どうじょうじ和歌山県日高川町


道成寺道順
紀三井寺を出て、国道42号経由で海南ICから阪和道に入る。
御坊ICを出たら、県道27・26号を経由して道成寺に至る。

参拝メモ
道成寺は、創建にまつわる「髪長姫(藤原宮子)伝説」や「安珍・清姫伝説」で知られる天台宗の寺院である。
縁起堂(有料拝観)で絵巻を使った安珍・清姫の「絵とき説法」を聞くことができる。

和歌山県最古の寺と言われるほど歴史は古く、寺伝では、大宝元年(701)文武天皇の勅願により、義淵僧正を開山として建立されたとある。

本堂
本堂老朽化による解体修理は施されているもの、南北朝時代 正平12年(1357)建立の建物である。
桁行七間、梁間五間、入母屋造、本瓦葺で、正面に三間の向拝を付し高欄の無い縁を廻らせている。
堂々とした風格の本堂は、国重文に指定されている。

本堂に安置されている本尊千手観世音菩薩立像は、奈良時代後期の作で、像高2.36mの木心乾漆造であるが、顔などの欠失部分を補って復元した観音像である。1989年国の重要文化財に指定されている。

三重塔 三重塔
本堂手前右側に建つ三重塔は、宝暦13年(1763)再建の塔で、高さ20mの総檜造。
創建当初の塔が建っていた場所に再建したという。

仁王門 仁王門
62段の石段の先に建つ丹塗りの仁王門は、江戸中期の元禄4年(1694)に建てられた門で、 国重文に指定されている。
三間一戸の楼門で、入母屋造、本瓦葺という構造で、堂々とした構えで参詣者を迎え入れてくれる。



 
正式名称
天音山 千手院 道成寺
 
本 尊
千手観世音菩薩
 
宗 派
天台宗
 
札 所
新西国三十三ヶ所観音霊場 第5番
 
所在地
和歌山県日高郡日高川町鐘巻1738
0738-22-0543
  朱印所 拝観受付
 
最寄駅
 
拝 観
拝観料600円 入山のみは無料 9:00〜17:00 
 
駐車場
有り 有料 500円
  公式サイト 道成寺 
道成寺朱印




   次の須賀神社へは阪和道経由 徒歩 で約30分  



須賀神社すがじんじゃみなべ町


須賀神社道順
道成寺から阪和自動車道御坊南ICに向う。高速をみなべICで降りて、南部川に沿って国道424号を北上。
須賀橋で南部川を渡り、再び川に沿って走ると、須賀神社に着く。
道成寺から約25分、みなべICから5分ほどだ。

参拝メモ
須賀神社は、「南高梅」の産地として知られるみなべ町の氏神さまで、草創期は古い。

創建は詳らかではないが、明徳年間(1390〜1394)に社殿を造営したとの古文書があるとのこと。
神仏習合時代には、京都八坂神社から勧請したということとで、祇園御霊宮の名で呼ばれていたらしい。
江戸時代には、歴代紀州藩主によって手厚く保護され、明治維新後、現社号の須賀神社になった。

絵馬堂一の鳥居をくぐると、馬場にもなっている240mに及ぶ参道が真直ぐに延び、その途中に参道と直角に二の鳥居が立っている。

二の鳥居の先には、絵馬堂が建ち、中央の須賀社と書かれた扁額が掛かる唐破風の先が吹き放たれ、神門のようになっている。

絵馬堂を抜けると広い境内の先に、丹塗りに極彩色を施した色鮮やかな社殿が建ち並んでいる。
このひと里離れた場所に、この様な社殿を構える神社が鎮座しているとは驚きであった。


拝殿
拝殿数段石段で上がる一段高い位置に、丹塗りの玉垣に囲まれて社殿が建っている。
その一番手前に建つのが拝殿である。
入母屋造、銅板葺で大きな千鳥破風の向拝を設けてある。

玉垣との距離が短いので、持っているデジカメでは全景を撮る事が出来なかった。
写真の拝殿手前に建つ丹塗りの社殿は、戎殿である。




本殿
3棟からなる本殿は、天正13年(1585)兵火によって消失。後に地頭らによって再建され、その後幾度となく改修を重ね、現社殿は享保5〜6年(1720〜21)に建立された建物であるという。

第三殿 第二殿
第三殿と摂末社
第二殿

一間社、隅木入春日造、檜皮葺で、いずれも丹塗り極彩色を施したスタイルのよい社である。
虹梁、蟇股などに彫られた彫刻も素晴らしい。
写真は第三殿、第二殿であるが、第三殿の左隣に建っている3棟の小さな社は摂末社で、写真は無いが、第一殿の右側にも同様の摂末社が建っている。
ゆっくりと見て回りたい神社である。

次の訪問地である補陀落山寺までは、2時間を越す道のりなので、白浜か那智勝浦辺りで1泊する。

 
名称
須賀神社
 
御祭神
第一殿:素盞鳴尊 (すさのおのみこと)
第二殿:櫛稲田姫命 (きしなだひめのみこと)
第三殿:八柱御子神 (やはしらのみこがみ)
 
配祀神
大国主神 他
 
創建
明徳年間
 
社格等
旧郷社
 
鎮座地
和歌山県日高郡みなべ町大字西本庄242番地
0739-74-2204
  朱印所 社務所
 
最寄駅
紀勢線南部駅より竜神バス 谷口下車 
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 須賀神社/すがじんじゃ 
須賀神社朱印



南部梅林 和歌山県日高郡みなべ町
 みなべICに向うので立寄ってみた。 『一目百万、香り十里』と称される日本一を誇る梅林。
 レポート詳細は「四季の彩香−南部梅林」に掲載。


 
白浜温泉
     
南紀勝浦
     
       


南紀白浜
三段壁
円月島
高さ50mの断崖。海面付近の洞窟までエレベータで降りられる。勿論有料。 白浜のシンボル的な光景。本当の名は「高嶋」と云うそうだ。夕陽の時が絶景。



   宿泊した紀伊勝浦より 徒歩 で約6〜7分  



補陀洛山寺ふだらくさんじ那智勝浦町

補陀洛山寺道順
補陀洛山寺は、JR紀勢本線の那智駅からすぐの所にあり、熊野那智大社へのアクセスルートの途中にあるので、その時の状況次第でどちらを先に参拝しても構わない。

参拝メモ
かなりの古刹で、仁徳天皇の御代に、インドから熊野浦に漂着した裸形上人によって開山されたと伝わる。

平安時代から江戸時代にかけて、那智の浜から生きたまま船に乗せ旅立ち、観音の浄土即ち補陀洛山に往生しようとする宗教儀礼「補陀洛渡海」で有名なお寺である。

本堂
現本堂は平成2年(1990)に再建された建物で、室町様式の高床式四方流宝形造で、正面に流向拝を付し、高欄を設けた縁を巡らせている。
かつては、那智七本願の一寺として隆盛を極め、大伽藍を有していたが、文化5年(1808)に襲った台風によって諸堂塔は破壊されてしまった。その後、現本堂が再建されるまでは仮本堂が建てられていたのだそうだ。

祀られている本尊三貌十一面千手千眼観世音菩薩は、平安時代作の木造彫刻で、国重文に指定されている観音像である。

補陀洛渡海
補陀洛渡海船南洋上に補陀洛が存在すると信じられ、茨城県那珂湊など日本各地から40件以上の補陀洛渡海が行われ、内25件が補陀洛山寺から出発しているという。
ナンセンスな宗教儀礼であると思う。

境内には復元された補陀洛渡海船が展示されている。

太鼓橋の先には立派な神門が建っている。 神門の先は広い境内になっており、正面に拝殿・神楽殿・本殿が一直線に建っている。近江一の風格が漂っている。

 
名称
白華山 補陀落山寺
 
本 尊
三貌十一面千手千眼観音
 
宗 派
天台宗
 
所在地
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜之宮349
0735-52-2523
  朱印所 本堂内
 
最寄駅
 
拝 観
無料
 
駐車場
有り 無料
補陀洛山寺朱印



   次の飛瀧神社へは 徒歩 で約20分  


飛瀧神社ひろうじんじゃ那智勝浦町


飛瀧神社道順
補陀洛山寺の脇を通る県道43号を、那智川に沿って暫く走ると、道は傾斜を増し九十九折りになってくる。

補陀洛山寺から15分ほど走ると、左カーブの右手に鳥居が見える。ここが飛瀧神社参道の入口である。

参道は緩やかな石段になっており、轟音と共に目の前に那智滝(那智の大滝)が現れる。

参拝メモ
飛瀧神社は熊野那智大社の別宮で、那智滝そのものが御神体になっており本殿は存在しない。

拝殿も無く、滝の前で直接滝を礼拝する。

那智滝
那智滝拝観した日は水量が少ないそうで、多いときはもっと豪快だそうだ。

那智滝は、落差133mで、総合落差では日本で12番目だが、一段の滝では日本一の落差だそうだ。日光華厳の滝、茨城の袋田の滝と共に日本三名瀑の一つに数えられる。

三筋の滝銚子口の幅は13m、滝壺の深さは10mだそうだ。

国の名勝に指定されているが、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されている。

銚子口の岩盤が3つに分かれているので、「三筋の滝」とも呼ばれているらしいが、この名を余り聞いたことがない。

自然石の上に注連縄を置いた...これは祭壇なのであろうか。
写真右のアングルはよく見かける、那智滝と青岸渡寺の三重塔とのツーショット。
祭壇那智滝と三重塔

 
名称
飛瀧神社
 
主祭神
大己貴神
 
創 建
 −
 
社格等
熊野那智大社別宮
 
鎮座地
和歌山県那智勝浦町那智山
  朱印所 授与所
 
最寄駅
 
拝 観
 
 
駐車場
有り 有料
飛瀧神社朱印




   次の青岸渡寺へは 徒歩 で約3〜4分  



青岸渡寺せいがんとじ那智勝浦町

青岸渡寺道順
飛瀧神社から少し坂を上がった所に青岸渡寺はある。
熊野那智大社とは門一つで行き来できるので、どちらを先に参拝しても構わない。

参拝メモ
青岸渡寺は、現在天台宗の寺院であるが、創建の時期に付いては詳らかにされていない。
伝承では、仁徳天皇の御代に、裸形上人による開基とされ。後に推古天皇の勅願寺となったと伝わる。

何れにせよ、那智滝を中心とする自然信仰の場として古きの時代から開けていたと思われる。

中世から近世にかけては、隣接する熊野那智大社と共に、神仏習合の修験道場であったという。
その当時は如意輪観音を本尊としているので如意輪堂と称されたとのこと。

明治初期の神仏分離令・廃仏毀釈によって、熊野三山も仏堂を破壊されるに陥ったが、三山の内、熊野那智大社だけが、仏堂破壊を免れ、如意輪堂は残り、後に信徒等によって青岸渡寺として復興したそうだ。

本堂
青岸渡寺は、西国三十三ヶ所霊場の第1番札所である。
笈摺を着た巡礼者が本堂を参拝する姿を目にする。
本堂平面図
国指定重文の本堂は、戦国時代に織田信長の兵火により焼失、その後秀吉によって再建された桃山時代(天正18年(1590))建立の建物である。
桁行九間、梁間五間の入母屋造、?葺ではあるが、桁行七間、梁間八間の身舎の周りに高欄を付した幅一間の縁を廻し、縁束をそのまま伸ばした控柱が深い軒を支えて庇を形成している。

正面に一間の向拝を付け、身舎への入口は桟唐戸を建て込み、左右の柱間は蔀戸で構成している。
外陣には、二尺径の丸柱2本が立ち、内外陣の境は厳格に仕切ってある。外陣右側に納経所が設けられている。

熊野那智大社東門 熊野那智大社東門
熊野那智大社とは隣接しており、この東門をくぐった先が熊野那智大社の境内になっている。






 
名称
那智山 青岸渡寺
 
本 尊
如意輪観音菩薩
 
宗 派
天台宗
 
札 所
西国三十三ヶ所 第1番
 
所在地
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山8
0735-55-0001
  本堂内納経所
 
最寄駅
 
拝 観
無料 5:00〜16:30
 
駐車場
有り 有料
青岸渡寺朱印



  次に訪れる那智大社は隣接しているので 徒歩 約0分  


熊野三山くまのさんざん那智勝浦町

これより熊野三山を参詣することになるが、各社に共通している事柄や、予め説明しておいた方がよい事柄を概略的に掲載しておくことにした。詳しい内容に付いては、資料等で確認いただきたい。

神門の扁額 熊野三山 : 熊野の地に鎮座する本宮,新宮,那智の三社を総称して呼ぶ。三山とは寺院の山号と同様、具体的な山に各々の神社が鎮座している訳ではない。
※本宮:熊野本宮大社・新宮:熊野速玉大社・那智:熊野那智大社

日本全国に約三千社ある熊野神社の総本宮である。
熊野速玉大社の神門にも「全国熊野神社 総本宮」の扁額が掲げられている。

熊野権現 : 熊野三山に祭られている神々を熊野権現(ごんげん)と称しており、特に夫々の主祭神のみを指して熊野三所権現、つまり、阿弥陀如来を本地仏とする素戔嗚尊(=家津御子大神),薬師如来を本地仏とする伊弉諾尊(=速玉大神),千手観音を本地物とする伊弉冉尊(=夫須美大神)である。
この三所に、更に九所の祭神が合祀され、熊野十二所権現と称している。
※権現とは、仏教サイドの理論で、本来の仏が衆生救済の為、”神”という仮の姿で現れたとする考え方。

多少の変化はあるものの、熊野三山ではこの十二所権現が祀られている。

本地仏本地垂迹 : 熊野三山は神仏習合色が濃く、平安時代には本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想が展開された。本地垂迹とは、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え…と定義されている。
本地仏(ほんじぶつ)についても、神道の神様と仏教の仏様は同体であるという理論に基づいて、本地というのは本来の姿という意味なので、故に本地仏とは、本来の姿である仏様ということになる。

牛王宝印 牛王宝印 : 烏と宝珠によって文字を表現しているもので、平安時代の末頃から、護符として授与されたものだが、後に裏面に起請文が書かれるようになったとのことである。
現在も熊野三山で授与されている。

右の牛王宝印は熊野速玉大社で授与されるもので、48羽の烏で「熊野山宝印」と書かれている。
右列が「熊野」だが、何となくそう見えるかな。



八咫烏 八咫烏(やたがらす) : 熊野の神々の神使。八咫は大きなものを表す言葉。八咫烏は太陽の化身で三本の足を持っている。三本の足は天・地・人を顕わすと言われている。
神武東征の際に、神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和の橿原へ道案内をしたとされ、故事に習い導きの神として篤い信仰がある。
神紋にも使用されているが、日本サッカー協会のシンボルマークにも使われている。

熊野那智大社くまのなちたいしゃ那智勝浦町


熊野那智大社道順
本来は463段の石段を上り、鳥居をくぐって参道からのアプローチが筋なのだろうけど、前述の東門から熊野那智大社境内へ入った。門をくぐるだけなので、1分もかからない。

参拝メモ
熊野那智大社は熊野三山の一社である。
元来は那智滝に社殿があり、滝の神を祀ったものだと考えられている。
その社殿を、現在の地に遷座したのは仁徳天皇5年(317)と伝えられている。遷座の際、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新社殿には「夫須美神」を主祭神とし、縁の深い十三柱の神々を祭祀したのだそうだ。

社殿
正面に建っているのが拝殿で、その奥に瑞垣に囲まれて社殿七棟が建ち並んでいる。
社殿と祭神の関係は以下の通り。

社殿 祭神 本地仏
第一殿 滝宮 大巳貴神 千手観音
第二殿 証誠殿 家都御子神 阿弥陀如来
第三殿 中御前 速玉神 薬師如来
第四殿 西御前 夫須美神 千手観音
第五殿 若宮 天照大神 十一面観音
第六殿 八社殿 忍穂耳尊 地蔵菩薩
瓊々杵尊 龍樹菩薩
彦火火出見尊 如意輪観音
鵜葺草葺不合命 聖観音
国狭槌尊 文殊菩薩
泥土煮尊 釈迦如来
大戸道尊 不動明王
面足尊 釈迦如来
那智大社社殿配置

第一殿から第五殿は熊野造で、妻入りで建てられている。桁行三間,梁間正面一間・背面二間、檜皮葺、向拝一間付、正面に庇を設け、四方に縁を廻らせている。
第四殿は主祭神の夫須美神を祀るいわゆる本殿で、若干大きめに造られている。

第六殿は八間社流造、檜皮葺の社殿。これらの社殿は江戸末期の嘉永4〜7(1851〜1854)の再建という。
第六殿の南側、玉垣を挟んで御県彦社(みあがたひこしゃ)が建っている。一間社流造、檜皮葺で、慶応3年(1867)の建立とされている。

これらの社殿は、玉垣・鈴門と共に国の重要文化財に指定されている。

牛王神符
牛王神符熊野那智大社で授与される牛王神符は、72羽のカラスで、那智瀧宝印と書かれている。
右一列に那智と書かれているのが、何となく読み取れる。左上は瀧かも知れないが、宝印に至ってはどれっていう感じ。






 
名称
熊野那智大社
 
主祭神
夫須美神 (ふすみのかみ) (=伊邪那美神)
 
創建
不詳 (伝承:仁徳天皇5年)
 
社格等
旧官幣中社・別表神社
 
鎮座地
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
0735-55-0321
  朱印所 授与所
 
最寄駅
 
拝 観
8:00〜16:30
 
駐車場
有り 有料
  公式サイト 熊野那智大社 
 
熊野那智大社朱印





   次の熊野速玉大社へは 徒歩 で約50分  


熊野速玉大社くまのはやたまたいしゃ新宮市


熊野速玉大社道順
那智山スカイラインを経て那智勝浦インターで那智勝浦新宮道路に入る。道路は熊野街道へと変わり、速玉大社前交差点を左折すると熊野速玉大社に突当る

境内の一画に駐車場があり、車での参拝に好都合な環境である。境内も平地なので参拝も楽だ。

参拝メモ
熊野那智大社と同様、丹塗りの社殿が建ち並び、鮮やか印象を受ける。

創建年代は不詳ではあるものの、元々は近隣の神倉山の磐座に祀られていた神が、景行天皇58年の世に現在の鎮座地に遷ったとの伝承がある。
故に、神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。

社殿
神門を抜けると、斜め左前に拝殿が建ち、瑞垣で囲まれた神庭に、左端の第一殿から順に社殿が建ち並んでいる。
各社殿には鈴門が設けられているので、順番に参拝するのもよい。
拝殿の真後ろに建つ第二殿速玉宮が、主祭神熊野速玉大神(=伊弉諾尊)を祀る本殿である。

社殿 祭神 本地仏
第一殿 結宮 熊野夫須美大神 千手観音
第二殿 速玉宮 熊野速玉大神 薬師如来
上三殿 第三殿 証誠殿 家津御美子大神、国常立尊 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照皇大神 十一面観音
神倉宮 高倉大命
八社殿 第五殿 禅児宮 天忍穂耳尊 地蔵菩薩
第六殿 聖宮 瓊々杵尊 竜樹菩薩
第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音
第九殿 一万宮
十万宮
国狭槌尊 文殊菩薩
豊斟渟尊 普賢菩薩
第十殿 勧請宮 泥土煮尊 釈迦如来
第十一殿 飛行宮 大斗之道尊 不動明王
第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天
速玉大社社殿配置

拝殿 社殿
拝殿
奥から結宮・速玉宮・上三殿
鈴門 神門
八社殿と下四社の鈴門
神門から望む上三殿

上三殿前には証誠殿,若宮,神倉宮の鈴門が見える。

境内社
熊野恵比須神社境内右手に、新宮神社,熊野恵比須神社,熊野稲荷神社が鎮座している。
他に、手力男神社,八咫烏神社が境内に鎮座している。

また、新宮市神倉1にある標高120mの神倉山に摂社神倉神社が鎮座している。いわゆる、熊野速玉大社の新宮に対し元宮として定義されている。
神倉神社へは538段の石段を上って行かなければならない。
社務所もあるが、神職は常駐しておらず、お札等は新宮の社務所で授与している。



牛王神符 牛王神符
熊野速玉大社の牛王神符は、48羽のカラス文字で「熊野山宝印」と書かれている。







 
名称
熊野速玉大社
 
主祭神
熊野速玉大神 (くまのはやたまのおおかみ)
熊野夫須美大神 (くまのふすみのおおかみ)
 
創 建
不詳 (伝承:景行天皇5年)
 
社格等
旧官幣大社・別表神社・式内社(大)
 
鎮座地
和歌山県新宮市新宮1番地
0735-22-2533
  朱印所 授与所
 
最寄駅
 
拝 観
神宝館:9:00〜16:00 500円
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 熊野速玉大社公式サイト 
熊野速玉大社朱印



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   次の熊野本宮大社へは 徒歩 で約1時間20分  
熊野川流域
熊野川に沿って熊野の聖地へ



熊野本宮大社くまのほんぐうたいしゃ田辺市本宮町


熊野本宮大社道順
速玉大社前交差点まで戻り右折。国道42号の橋本交差点を右折して国道168号を熊野川に沿って走る。

約1時間20分ほどで熊野本宮大社の駐車場に着く。

参拝メモ
熊野三山最後一社、熊野本宮大社に参拝する。
中辺路、小辺路、大日越など熊野古道が集結する熊野の聖地に本宮はある。

現在の社地は山の上にあるが、それ以前の社地は熊野川河畔の中洲、「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる地にあった。
参道明治以降、急激な森林伐採により山林の保水力が低下、明治22年(1889)に起きた大規模な洪水により旧社地の社殿の内、中四社・下四社は倒壊した。
明治24年(1891)流出を免れた上四社を現在ある高台に遷座したという。
現社地には上四社のみを祀り、中四社・下四社,摂末社は旧社地の大斎原に二基の石祠にて祀られている。

国道168号に面して参道入口があり、鳥居をくぐると参道の両側には、白地に熊野大権現と染め抜かれた奉納幟がぎっしりと立っている。158段の石段を上り切ると社殿が建つ高台に着く。

社殿
熊野本宮大社の社殿は、新宮・那智の丹塗りの社殿とは異なり、素木の社殿である。
神門を抜けると、目に入る素木の社殿・鈴門・瑞垣は、荘厳であり格別の存在感を呈している。

左から西御前と中御前を相殿で祀る大きな社殿、その隣に主祭神の家都美御子大神(家都御子大神ともいう)(=素盞鳴尊)を祀る第三殿証誠殿、更に右側に第四殿若宮が建っている。

社殿 祭神 本地仏
相殿 第一殿 結宮(西御前) 熊野牟須美大神 千手観音
第二殿 速玉宮(中御前) 速玉之男神 薬師如来
第三殿 本宮(証誠殿) 家都美御子大神 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音
中四社 第五殿 禅児宮 忍穂耳命 地蔵菩薩
第六殿 聖宮 瓊々杵尊命 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葺草葺不合命 聖観音
下四社 第九殿 一万宮十万宮 軻遇突智命 文殊菩薩・普賢菩薩
第十殿 米持金剛 埴山姫命 毘沙門天
第十一殿 飛行夜叉 彌都波能賣命 不動明王
第十二殿 勧請十五所 稚産霊命 釈迦如来
本宮大社社殿配置

相殿・本宮 本宮
奥:結宮と速玉宮の相殿,手前:本宮
神門から正面に見える本宮
神門 八咫烏
神門
八咫烏

瑞垣で囲まれた中に3棟が建つ。左奥の第一殿・第二殿(西御前・中御前)は江戸後期 享和元年〜2年(1801〜1802)の建築で、桁行五間、梁間四間、向拝五間の入母屋造、屋根は檜皮葺。入母屋造の中に社殿が二つ並び、合わせて鈴門も2つ設けられている。

第三殿及び第四殿は同規模の建物。桁行三間、梁間正面一間・背面二間、妻入りで長く延びた一間の向拝を設けた熊野造、屋根は檜皮葺。
第三殿の建立時期は第一・二殿と同時期だが、第四殿は文化7年(1810)年の建築である。
いずれも国の重要文化財に指定されている。

拝殿
拝殿神門の左隣に拝殿(礼殿)が建っている。
梁間五間の入母屋造に千鳥破風を設け、正面に唐破風の向拝、及び高欄を付した縁を廻らせている。
どこか寺院の本堂を感じさせる佇まいの拝殿である。

上の図でも分かるように、拝殿は本宮(御本殿)の前ではなく、結宮・速玉宮が相殿で祀られている社殿の前に建っている。
しかも、こちらの方が社殿も大きいので、こちらが御本殿と勘違いし易い。

拝殿手前には石の八咫烏が立っている。

※神門内は撮影禁止だが、営利目的で無い限り、社務所に申し出れば許可が得られる筈。

牛王神符
牛王神符熊野本宮大社の牛王神符は、88羽のカラス文字で「熊野山宝印」と書かれている。








 
名称
熊野本宮大社
 
主祭神
家都美御子大神 (けつみみこのおおかみ)
 
創 建
不詳 (伝承:崇神天皇65年)
 
社格等
旧官幣大社・別表神社・式内社(名神大)
 
鎮座地
和歌山県田辺市本宮町本宮1100
0735-42-0009
  朱印所 授与所
 
最寄駅
 
拝 観
6:00〜19:00
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 熊野本宮大社 
 
熊野本宮大社朱印

 



     
       





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