諸國放浪紀寺社を巡る旅
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弘前から深浦へみちのく寺社回廊


最勝院 長勝寺 高照神社 求門寺 岩木山神社 白八幡宮 円覚寺

弘前城津軽十万石の城下町として、藩政時代には大いに栄えた弘前市であるが、弘前城築城に際し、城を守るため囲むように寺院が建てられていった。 それら津軽家に縁のある代表的な寺院を参拝した。

弘前をスタートし、白神山地へ向う道すがら沿道にある著名な神社仏閣に立寄る。
車での移動だが、岩木山神社までならバスを利用して何とか行ける。


最勝院さいしょういん弘前

最勝寺五重塔 先ずは最勝院に縁の深い弘前城を観てから向う。
最勝院は追手門の真南に位置し、弘前高校とは川を挟んで隣に建つ。追手門から車で1〜2分、歩いても12〜13分の距離。

最勝院は天文元年(1611)の創建で、当初は堀越城の城下にあった。
江戸時代の初め、弘前藩2代藩主津軽信枚による弘前城築城に際し、慶長16年(1611)城の鬼門に当たる現在地から北へ3kmの所へ移された。
歴代弘前藩主津軽家の永世祈願所として庇護され、弘前八幡宮別当寺となり寺領300石を領有し、12ヶ寺の塔頭を従えていた。

明治初めの神仏分離令により弘前八幡宮から分離し、明治3年(1928)現在地である旧大円寺境内に移った。
本堂(現護摩堂)、五重塔など建造物は大円寺の建物を流用している。

シンボルである五重塔(国指定重文)は、津軽藩3代藩主津軽信義,4代津軽信政の寄進により、10年以上を費やし寛文7年(1667)に完成した旧大円寺の塔である。
三間四面、総高31.2mの塔で、屋根は宝形造銅板葺、初層正面を連子窓として他の面では円形の板連子になっている。初層に大日如来を安置している。

本堂護摩堂五智如来堂
   
六角堂鐘楼
上段左:本堂 
中:護摩堂 旧大円寺の本堂で、今は牛頭天皇を祀る。 
右:五智如来堂 昭和7年(1932)再建。

下段左:六角堂(如意輪観世音菩薩堂) 
右:鐘楼


 
名 称
 
本 尊
大日如来
 
宗 派
真言宗智山派
 
札 所
津軽弘法大師霊場 第1番
北国八十八カ所霊場 第59番
津軽八十八カ所霊場 第49番
東北三十六不動尊霊場 第15番
 
所在地
青森県弘前市大字銅屋町63
0172-34-1123
 
最寄駅
最勝院朱印




長勝寺ちょうしょうじ弘前

長勝寺本堂 最勝院を出て西方向へ2〜3分走ると長勝寺に着く。
長勝寺は、津軽家の先祖である大浦光信の菩提を弔う為、子の盛信が菊仙梵寿を開山に招いて享禄元年(1528)に創建したといわれている。

当初は、種里(現鯵ヶ沢町)に建てられていたが、津軽為信が大浦に移した。更に弘前城築城に際し、慶長16年(1611)、城の裏鬼門に当る現在地に移した。

長勝寺は、弘前藩主津軽家の菩提寺だけでなく祈願所でもあった。 本堂・庫裏は共に慶長年間の建立で、庫裏は大浦城の台所を移築したものと言われている。

三門梵鐘津軽家霊屋

国指定重文の三門は、2代藩主津軽信枚によって建立された三間一戸の楼門形式で、どっしりとした構えである。屋根は入母屋造で、上層は二軒繁垂木の軒を三手先の斗組によって支え、高欄を付した縁を廻らせている。

三門を入った右側にある鐘楼(写真中央)には、嘉元四年(1306年)の銘が入った銅鐘(国重文)が吊るされており、嘉元鐘の名が付けられている。

本堂裏手の樹木が茂った中に、5棟の建物が並んでいる。これらは津軽家霊屋(つがるけたまや)で、歴代藩主や正室の霊屋である。 何れも国重文に指定されている。

 
名 称
大平山 長勝寺
 
本 尊
釈迦如来
 
宗 派
曹洞宗
 
札 所
 
所在地
青森県弘前市西茂森1-23-8
0172-32-0813
 
最寄駅
長勝寺朱印

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高照神社たかてるじんじゃ高岡

高照神社 長勝寺から県道3号弘前鯵ヶ沢線を15〜16分ほど走り高岡に向う。
高照神社は、弘前藩五代藩主津軽信寿の建立によるもの。
四代藩主信政が、自らの葬地を高岡と定め遺言を残した。
宝永7年(1710)、信政の死去に際し、信寿はその遺命に従って神葬し、 正徳元年(1711)に廟所を、翌年本殿などを建立した。

その後、七代藩主信寧が拝殿を、九代藩主寧親が随神門や廟所門を造営した。

案内板によると、社殿配置は東西に一直線で、鳥居,随神門,拝殿・幣殿が並び、廊下を挟んで中門から本殿に至り、更に西方200mに廟所と墓所を配した構成になっているという。

写真の拝殿は、桁行7間、梁間3間の入母屋造こけら葺で、正面に千鳥破風を置き、3間の向拝には軒唐破風を載せた構造である。

三の鳥居隋神門扁額

写真左は三の鳥居、中央は隋神門で、三間一戸の八脚門、切妻造鉄板葺である。

高照神社は建物8棟、信政公墓2基が平成18年(2006)、国重文に指定された。

普段は無住の神社なのだろうか、訪れた時はどこにも誰も居なかった。
宝物館の開館期間が7月上旬〜10月18日と記されてあったので、それ以外は留守なのかも知れない。

 
名 称
 
主祭神
津軽信政命
 
創 建
正徳2年(1712)
 
社格等
旧県社
 
鎮座地
青森県弘前市大字高岡字神馬野87
0172-83-2465
 
最寄駅




求聞寺ぐもんじ百沢

求聞寺本堂 草創は弘前藩2代藩主津軽信枚によるものである。
為信亡き後の藩主の跡目争いで荒廃した領内の安寧を憂い、大地震や飢餓が続いた平安を願い、信牧が真言密教の虚空蔵求聞持法という荒行を行った。
寛永6年(1629)、念願成就し虚空蔵堂(求聞持堂)を建立し虚空蔵菩薩を安置したのが始まりと伝えられている。

明治9年(1876)火災により焼失、明治26年(1893)に再建され昭和39年(1964)に改築している。

樹木の茂った石段を上ると、堂宇が立並ぶ平場に出る。すぐ左の釣鐘堂には県下一といわれる梵鐘が下がっている。

本尊の虚空蔵菩薩は、丑年と寅年生まれの守り本尊でもある。その為か本堂前にはウシとトラの像が立っている。

奥にある小さな堂は観音堂で、札所本尊の聖観世音菩薩が祀られている。

参道釣鐘堂観音堂

 
名 称
岩木山 求聞寺
 
本 尊
虚空蔵菩薩
 
宗 派
真言宗智山派
 
札 所
津軽三十三観音霊場 第3番
 
所在地
青森県弘前市百沢寺沢29
0172-83-2279
 
最寄駅
求聞寺朱印
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岩木山神社いわきやまじんじゃ百沢

岩木山神社 求聞寺の西側にあり、徒歩でも参道入口まで5〜6分だ。
岩木山神社の起源は、宝亀11年(780)、岩木山山頂に社殿を建立したことに始まるといわれている。

延暦19年(800)、征夷大将軍坂上田村麻呂が山頂の社殿を再建し、更に十腰内の里に下居宮(おりいのみや)を建立し、山頂の宮を奥宮とした。
寛治5年(1091)、神宣により、十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し,下居宮の別当寺になり百沢寺と称した。
明治時代の神仏分離令により寺院を廃止、百沢寺は岩木山神社に改称した。 下居宮は、現在は厳鬼山神社となっている。

岩木山
参道楼門狛犬

傾斜の続く200m程の参道を進んで行くと、両脇は杉の大木に囲まれ、目前に大きな楼門が現れる。
寛永5年(1628)百沢寺の楼門として建てられたものだという。

五間三戸の入母屋造、銅版葺で、禅宗様の三手先詰組によって二軒繁垂木の軒を支えている。通し柱を用い上層に高欄を付した縁を廻らせる構造は、先程見た長勝寺の三門に似ている。
桁行16.6m、梁間7.98m、棟高17.85mのサイズと丹塗り一色の二層の門は圧巻である。
楼門前の柱につかまる狛犬は何とも滑稽である。

中門拝殿拝殿内部

楼門をくぐると石段の先に中門、拝殿が建っている。
中門は切妻造の四脚門で、柱・扉は黒漆塗り、木鼻・袖切は朱漆塗り、蟇股・欄間の彫刻は極彩色に彩られ、日光の大猷院を思わせる豪華な趣向である。

中門の先には拝殿が建つ。
この拝殿はそもそも百沢寺の本堂として建てられたもので、大きな五間堂である。
外面は全面丹塗り、内部に弁柄塗りを施した桁行五間、梁間五間の、銅板葺入母屋造で、正面に内部を極彩色の彫刻で飾った千鳥破風を設け、一間の流れ向拝を付してある。
内部が広く開放的なのは、密教寺院の本堂から神社拝殿となった際に、造作の一部が撤去された為だという。

以上の建造物はすべて国重文に指定されている。

 
名 称
岩木山神社
 
主祭神
顕国魂神 (うつしくにたまのかみ)
多都比姫神 (たつびひめのかみ)
坂上刈田麿 (さかのうえのかりたまろのみこと)
宇賀能賣神 (うかのめのかみ)
大山祇神 (おおやまつみのかみ)
大山咋神 (おおやまくひのかみ)
 
創 建
宝亀11年(780)
 
社格等
旧国幣小社・別表神社・津軽國一宮
 
鎮座地
青森県弘前市百沢字寺沢27
 
最寄駅
岩木山神社朱印

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白八幡宮しろはちまんぐう鯵ヶ沢

白八幡宮 岩木山神社から県道3号を鯵ヶ沢まで走る。約50分ほどで鯵ヶ沢の中心街に出る。
鯵ヶ沢警察署と青森銀行鯵ヶ沢支店の間辺りに神社入口があり、石段を上ると、社殿は鯵ヶ沢港を見下ろす高台に建っていた。

大同2年(807)、坂上田村麻呂が蝦夷退転降伏祈願所として祠宇を創立し、 大刀一口と白旗八旗を納めて白旗宮としたとされる。
田村麻呂伝説は各地に残るが、その一端なのか...。

慶長8年(1603)、弘前藩初代藩主津軽為信が武運長久国家安泰祈願所として社殿を造築し、鯵ケ沢総鎮守と定めたとある。
後に、 寛文6年(1666)、第3代藩主津軽信政により本殿・拝殿・籠舎・鳥居などが寄進されたという。

例祭は4年に1度8月14〜16日に行われ、神社から御仮殿まで神輿渡御があり、最終日には神輿が海上を渡り、白八幡宮へ戻るという見応えある祭りらしい。

 
名 称
白八幡宮
 
主祭神
誉田別尊 (ほんだわけのみこと)
白鳥大明神
 
創 建
大同2年 (807)
 
社格等
 −
 
鎮座地
青森県西津軽郡鯵ケ沢町本町69
0173-72-2111(鯵ヶ沢町産業振興課)
 
最寄駅
扁額




圓覚寺えんがくじ深浦

円覚寺本堂 鯵ヶ沢から国道101号を五能線に沿って50分ほど走ると、深浦港西側の山際に建つ円覚寺に着く。

円覚寺は、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷東征のとき、拠点を深浦におき、陣中で使ったかけ仏と聖徳太子の作といわれる十一面観音を安置し、観音堂を建立したのが始まりと伝えられている。

江戸時代までは、修験宗の寺であり、加持祈祷を行う山伏寺だったという。 修行道場であった見入山観音堂では多くの行者が修行をしていたらしい。

明治の神仏分離令により修験宗の廃宗に伴い、真言宗醍醐派になり現在に至っている。総本山の醍醐寺は修験道を支配する寺院であったので、そういう経緯になったのであろう。
祈祷寺であることから、葬儀を執り行なわない無檀家寺である。

山門薬師堂

現本堂は大正9年(1920)の築だが、本堂右手前の薬師堂は、弘化4年(1847)に建築された堂で、中には国指定重要文の永正3年(1506)に飛騨の匠によって建立された厨子を安置している。

 
名 称
 
本 尊
十一面観世音菩薩
 
宗 派
臨済宗醍醐派
 
札 所
津軽三十三ヶ所観音霊場 第10番
津軽三十三ヶ所観音霊場 第9番朱印所
津軽弘法大師霊場 第12番
北国八十八ヶ所霊場 第60番
 
所在地
青森県西津軽郡深浦町大字深浦字浜町275
0173-74-2029
 
最寄駅
円覚寺朱印



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