2日目は飛騨古川から高山へと巡ります。
気多若宮神社をスタートに昨日通過してきた国府町、そして高山市街地へ。
帰路の途中にある2ヶ寺に立寄り平湯から松本に抜けるコースを辿ります。
気多若宮神社は白壁土蔵街からJR高山本線を挟んで反対側、飛騨古川駅から北東方向の山裾に鎮座している。
飛騨古川駅から徒歩で16〜17分、車で7〜8分の所にある。参道が石段や上り坂なので、徒歩の場合もう少し掛かるかも。 県道473号鼠餅古川線が目標ポイントの一つ。
創建の時期は不明だが、平安時代といわれている。
県社に列格していた格の高い神社である。
参道から社殿へ
山の傾斜地に鎮座しているので、必然的に参道は長い石段が続く。
参道の先は左に折れ、広い境内に出る。
石段を上り鳥居の所で振返る あと少し、境内入口の鳥居が見える 上り切った所で振返る...長かった 社殿は更に上
拝殿へは更に、十数段の石段を2回上って行く。
鳥居の先 左手に手水舎 更に一段高い所の狛犬拝殿脇の小さな鳥居の先には摂末社の社があり。
・天照皇大御神 (あまてらすすめおおみかみ)
・広幡八幡大神 (ひろはたやわたのおおかみ)
・加須賀大神 (かすがのおおかみ)
・高田大神 (たかだのおおかみ)
が祀られている。
例祭
国指定重要無形民俗文化財でもある伝統神事「起し太鼓」で有名な古川祭はここ気多若宮神社の例祭として毎年4月19・20日の2日間に渡って盛大に催される。
気多若宮神社 大巳貴神 (おおなむちのかみ)
御井神 (みいのかみ)
杉本さま 不詳 旧県社 岐阜県飛騨市古川町上気多1297
0577-73-2568社務所(インターホン有り) 有り 無料(境内) 参道とは別の道路有り
次の安国寺へは で約16〜20分
気多若宮神社から安国寺に向う道路は、生活道路を含め複数のルートがある。
上気多交差点を左折し県道473号でそのまま行くか、途中で県道76号へ回るかというのが正統派であろう。
実は今回で2度目の参拝である。
人里離れた山麓にまさか国宝が、と思うが安国寺の経蔵は紛れも無く国宝なのである。
経蔵
経蔵は応永15年(1408)の建築。入母屋造、葺。一見すると三間四方と思うが、中に入ると分かるが、身舎部分は4本の柱から成る一間四方の建物となっている。一間の身舎に庇を回らせた構造である。三間部分に立つ部材は裳階を支える束であり柱ではない。
禅宗様建築の割には組物や軒構造も簡素なのは珍しい。
内部に設置されている八角輪蔵は日本最古のものだという。中に納められた経典は、一切経2,208巻、春日版大般若経347巻(応永2年(1395))であるという。応永15年(1408)の建立。
経蔵拝観:要予約
山門
駐車場から11+7段の石段を上がると小さな山門がある。
・蛙股・虹梁の彫物・二軒・大棟の鳥衾・棟紋など意匠が凝っている。ただ残念なのは透かし彫りの一部が欠損している点だ。中に掛かる山号「太平山」の扁額には臨済縁の「円覚宗演」の銘があるが、原本が円覚宗演の筆によるものだったんだろうと勝手に思った。
石段の先に山門 意匠が素晴らしい 太平山の扁額 残念な透かし彫り本堂
経蔵は過去に拝観しているので、本堂の参拝をさせてもらった。
柱間を広く取った桁行3間の入母屋造で正面開口部の両側に花頭窓を設けている。
禅宗様を意識した構造である。寛永元年(1624)に再建された建物だという。
須弥壇には本尊の釈迦牟尼仏、右側に文殊菩薩、左側に普賢菩薩の釈迦三尊が祀られている。
境内諸堂
本堂前を左に行くと経蔵に上がる石段の手前にお堂が建っている。
薬師堂
方三間の宝形造り、銅板葺で屋根の頂点上の露盤に置かれたのは、宝珠ではなくロケットのような、丸い鉛筆のような形状のもの。
高欄を付けない縁を廻らせ、正面中一間に桟唐戸を建て付けている。
祀られている薬師如来像は行基の作と伝えられ、そもそも横河山安寧寺の本尊であったが兵火に逢い寺は消失。本尊だけが民家に持ち出された為、難を逃れた。後に安国寺再建の際に当山に移され、堂宇を建立して安置されたものだそうだ。
中部四十九薬師霊場第42番札所の札所本尊である。
開山堂
薬師堂の奥、太鼓橋を渡った先に建つのが開山堂である。
安国寺は天文年間(1532〜1555年)と永禄年間(1558〜1570年)の2回に亘って兵火に遭ったが、経蔵と開山堂は難を逃れ現在もその姿を拝見できる。
石垣を積んだ一段高い位置に建ち、こちらも方三間の宝形造り。露盤に置かれたのも典型的な宝珠ではない。広めに取った開口部の両脇には花頭窓が設けられた禅宗様のお堂である。
井桁格子の穴から堂内を覗くと、須弥檀に安置された国指定重文の「塑造瑞厳和尚坐像」が拝見できる。
安国寺の初代和尚の尊像で、明徳3年(1392)の銘があることから、観応元年(1350)の入滅40年後に作成された像といえる。
延命地蔵尊
駐車場に入母屋造りの小さなお堂がある。
中に安置されているのは延命地蔵菩薩像。
堂内には幾つもの千羽鶴が下がっており、地元住民から篤く信仰されている様子が伺える。
もう一体、小さなお堂に地蔵尊が祀られていた。こちらにはわらじが奉納されている。
どういうお地蔵さんなんだろう.....?
延命地蔵尊 こちらもお地蔵さん?円空仏 阿弥陀仏
太平山 安国寺 釈迦牟尼仏 臨済宗妙心寺派飛騨三十三観音霊場 第11番 岐阜県高山市国府町西門前474
0577-72-2173庫裏 境内自由 経蔵:要予約 500円 有り 無料
安国寺から県道75号を経由して広瀬交差点で国道41号国府バイパスに出る。
暫く走行した後、下岡本町南交差点を左折し県道458号を通り万人橋交差点で県道460号へ右折する。やがて左手に飛騨総社が出てくる。
ちょうど結婚式が始まろうとするタイミングでの参拝であった。神職や巫女さんが慌しく歩き回わっていたが快く対応していただいた。
総社は令制国(律令国)内の祭神を合祀した神社で、国司への便宜を図ったもの、と考えるのが妥当であろう。
従って国府に近い位置に建てられる事が多い。
飛騨國の総社は、概記によると、「飛騨國内の延喜式内社八座国史記載社十座を祀り、古くは『灘の総座ケ森』と呼ばれていました。」と記載されている。
長い参道
参拝者用駐車場へ入る道路、よく見ると参道を横切っている一般道路だ。
社殿を背に立つと参道が続き、まだまだ先に入口があるのが分かる。
鳥居の足が見えるが、多分二の鳥居。この先の入口にも鳥居と大きな社標があった。
駐車場からのアクセスだと写真の部分をショートカットして神門に向うことになる。
手水舎
神門手前左手に立派な二柱神明造の手水舎が建っている。
宮川上流の龍ヶ峯という山から運び込まれた「本居(うぶすな)の石」というのが水盤となっているので、よく注目しながら清めることに。
社殿
千木・鰹木を屋根に置いた、まるで本殿のような神門。
中に入ると神明造の社殿が建っている。
正殿に主祭神の大八椅命が、脇殿に前述の延喜式内社八座・十座の神が祀られているのであろう。
神明造はシンプルだが、独特の重厚な屋根が美しい。
境内社
境内社には、末社である総社稲荷神社と、祖霊社の2つの社が鎮座している。
鍼灸マッサージの始祖と説明のある杉山和一大人命、金清大神、歴代宮司,氏子総代を祀る祖霊社は珍しい。
飛騨総社 大八椅命 (おおやつはしのみこと)
承平年間 (931〜938) 旧県社 岐阜県高山市神田町2-114
0577-32-0687授与所 有り 無料
次の飛騨国分寺へは で約2分
飛騨総社の駐車場を右へ出て、そのまま進めば国分寺の駐車場に着く。
徒歩でも7〜8分の距離。
高山市の中心部にある飛騨国分寺は、天平18年(746)、聖武天皇の勅願により創建された。
開基は行基菩薩で本尊は平安時代のものとされる木造薬師如来像で国重文に指定されている。
ご本尊以外にも、飛騨国分尼寺の本尊であったとされる、木造聖観世音菩薩像(国重文)は飛騨三十三観音霊場 第1番の札所本尊である。
鎌倉時代のものとされる木造阿弥陀如来坐像(県重文)などが安置されている。
山門と鐘楼門
駐車場入口から境内へ入ったが、本来の入口は国分寺通りに面しており、山門が建ち、参道の石畳が本堂へと延びている。
写真は本堂側から山門を撮っているが、山門の外側右手には六地蔵が並び、庚申堂が建っている。
国分寺通りはアーケードが付いた賑やかな商店街で、国分寺の先で国道158号と繋がり、平湯から松本へと延びる主要道路である。
参道の途中に重層入母屋造りの鐘楼門がある。
周囲に塀などが無いため、門というイメージではなく、やぐらの上に梵鐘を吊るしたように見える。
下層部分は旧高山城の一部遺構を移築したものらしい。上層は宝暦11年(1761)に梵鐘を改鋳した際、増築したものだという。
大イチョウ
鐘楼門を抜けると左手に大イチョウが立っている。
鐘楼門を飲み込むかの如く枝を伸ばしている姿に圧倒される。
落葉後はただの大きなイチョウの樹に見えるので、葉の茂った状態で見たいものだ。
落葉中も辺り一面黄色の敷物を敷いたような感じなので、これもまた見ものである。
樹高約37m、目通り約10mの巨木で樹齢推定1,250年以上と言われており、国の天然記念物に指定されている。
本堂
参道の突当りに建っている丹塗りの外観に銅板葺のお堂が本堂で、室町時代中期の建造物として国の重要文化財に指定されている。
桁行5間、梁間4間の入母屋造りで1間の流れ向拝を付け、床を高くとり高欄を付けない広縁を四面に廻している。 軒は二軒繁垂木、和様の内法長押に連子窓になっている。
和様を基調にしているが、細部に禅宗様を採用した室町時代特有の折衷様と云われる様式である。
外陣から見ると、菱欄間の奥が本尊薬師如来を祀る内陣で、完全に閉鎖され内外陣の空間秩序を保持した典型的な真言密教仏堂としている。
祀られている薬師如来坐像は、「行基菩薩の作と伝える」と国分寺は説明している。行基は鎌倉時代の僧侶であり、文化庁の文化財データベースには薬師如来坐像は平安時代の作品であると定義している。この差異の程はどうでも、重文指定を受ける価値のある尊像である事には違いない。
三重塔
国分寺のシンボルともいえる三重塔(県指定重文)は、度重なる再建を繰返し、現在の塔は文政3年(1820)建立のものである。
円空仏 弁財天、薬師三尊(非公開)
醫王山 国分寺 薬師如来 高野山真言宗 飛騨三十三観音霊場 第1番
中部四十九薬師霊場 第41番
岐阜県高山市総和町1-83
0577-32-1395授与所 有り 無料(境内)醫王山 飛騨国分寺
次の櫻山八幡宮へは で約4〜5分 |
立寄り観光スポット 古い町並み 三町伝統的建造物群保存地区の中心上三之町の散策は、高山観光の醍醐味といえる。 |
国分寺駐車場を左に出て西小学校南交差点を右折する。
角に不遠寺の鐘楼があるのでわかり易い。
宮川を渡った先から小川に沿って一方通行を走り、屋台会館の道標を参考にすると行き易い。
徒歩でも国分寺から15分程度の距離だ。
宮川に架かる宮前橋にある大鳥居から真直ぐに参道が延びている。
公式サイトでは、この鳥居を一の鳥居として定義していない。参道途中にある桧製の高さ10mある鳥居を一の鳥居としている。
大鳥居から少し行くと右手に櫻山八幡宮と彫られた社標が立っている。この辺りから参道に並ぶ店舗は参拝客を意識した内容になっている。高山では日本三大曳山祭の一つに数えられる高山祭が年2回開催される。春の山王祭と10月9・10日に行われる櫻山八幡宮の例祭である「秋の八幡祭」である。
高山祭で曳き回される屋台は、国の有形民族文化財に指定されており、八幡祭で出されるのは安川通りの北側(下一之町・下三之町など)町内に保管されている屋台である。
祭期間以外は、櫻山八幡宮に併設されている高山屋台会館に一部が展示され一般に公開されている。
神門・手水舎
参道の突当りは石垣で一段と高い位置に神門があり、手前の19段ある石段は一枚岩で造られているのだそうだ。石段脇の手水舎には、明治11年完成の大手水石と呼ばれる1個の大岩を刻んで造った水盤が置かれている。
神門 手水舎拝殿
神門の先に総欅造の重厚な趣の拝殿がある(最上部写真)。昭和51年(1976)に建てられたのだという。
千鳥破風に唐破風を付けた四間の大きな向拝が威厳を感じさせている。
高山の北半分を氏子に持つだけの貫禄はある。
境内社
境内末社の内、一部を紹介すると、写真左より照前神社(てるさきじんじゃ),天満神社,琴平神社が並ぶ。
照前神社は浪速根子武振熊命 (なにわのねこたけふるくまのみこと)を祀る。天満神社は京都の北野天満宮より勧請した。右手に筆塚が立つ。琴平神社は海上交通安全の神である大物主神 (おおものぬしのかみ)を祀るのは知られている話だが、相殿の少名彦名神 (すくなひこなのかみ)は医療の神で、病気平癒のご利益がある。
照前神社 天満神社 琴平神社他に稲荷神社、拝殿右にある石段を上がって行った先に鎮座する秋葉神社がある。秋葉神社は火防鎮護の神である火結神 (ほむすびのかみ) が祀られている。
櫻山八幡宮 応神天皇 (おうじんてんのう)
熱田大神 (あつたのおおかみ)
香椎大神 (かしいのおおかみ) 旧県社・別表神社 岐阜県高山市桜町178
0577-32-0240社務所 有り 有料 飛騨高山『櫻山八幡宮』
次の素玄寺へは で約4〜5分 |
高山を南北に分けている安川通りの坂を上ると、ゆるやかな東山の丘陵地帯に神社仏閣が点在している。
高山城城主金森長近が、町の東側に縁のある寺院を建立したり、移転させてできたのが東山寺町である。
北端の雲龍寺から南の宗猷寺まで、隣り合う寺院を境内でつなぎ、石畳の道が延びている。
高台から古い街並みを見ながら諸寺を巡ってみた。
今回は、旅程の都合で国道158号の南側にある素玄寺から善応寺を歩いた。素玄寺から善応寺までは、境内が串刺しのように繋がっていて、ここを歩いて巡るのが面白い。
道は狭く一方通行も多いが、駐車場もあるので、車での移動も可能だが、狭い路を嫌うなら近隣の駐車場から徒歩で回る方が無難かも。
櫻山八幡宮から狭い街並の中を八幡宮を背にして南へ向う。道路が狭い上に一方通行もあるので事前にルートを確認しておくかナビを設定した方が良い。
とりあえず国道158号に出たら平湯方面へ左折して道なりに少し進むとカーブの先に高い石垣があり、鐘楼が建っている。
交通量が多い道路だが、石垣の手前の路地へ右折すると素玄寺の駐車場がある。
櫻山八幡宮から徒歩でも15分程だ。
駐車場の右隣に参道がある。上り切った所で東山遊歩道出るので、左へ行くと右側に「高隆山」の扁額が掛かる山門が構えている。
門には「金森長近公菩提所」の札が掛かっている。
素玄寺は、天正13年(1585)、秀吉から飛騨一国を与えられ高山城を築き、飛騨高山藩初代藩主として治世を行なった金森長近(法印:素玄)が京都伏見で没した事により、慶長14年(1609)二代藩主金森可重が菩提を弔うため寺を開創したのが始まりという。
寺号は長近の法名「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」からとって素玄寺と名付けられた。
本堂は、高山城三の丸にあった評定所を移築したものだそうだ。
須弥壇には本尊釈迦如来が安置されている。
飛騨三十三観音霊場の第4番札所であるが、札所本尊の馬頭観音菩薩は参道右側の観音堂に安置されている。
素玄寺が建つ場所は、東山寺町のほぼ中央の高台で、鐘楼前からは高山の町並みが眺められる。
本堂内陣 眺めの良い鐘楼
円空仏 不動明王
高隆山 素玄寺 釈迦牟尼仏 曹洞宗 岐阜県高山市天性寺町39
0577-32-2519寺務所 有り 無料高隆山 素玄寺
次の天照寺へは で約1分 |
素玄寺の山門を出て左へ行くと天照寺の境内に入れる。
車なら素玄寺駐車場を左へ出て、観音堂の先から入る。(徒歩の方が便利かと思う)
かつては天台宗の寺院として創建されたが、寺運が衰えると共に荒廃し廃寺となった。
元和年間(1615〜24)に源誉上人受徳によって再建され、浄土宗の寺に改宗したという。
元和4年(1618)家康公の六男である越後高田藩主松平忠輝が飛騨國に配流となった際、 金森家に預られ天照寺に居住したという。
また、寛永九年熊本城主、加藤忠広の嫡男光正(加藤清正の孫)もこの寺で過ごしたという。
そのことと関係はないであろうが、現在、ユースホステルが併設されている。
訪問したときは誰もいませんでした。ユースホステルの玄関にも行ったのですが、呼んでも反応が無く話を伺いたかったのに残念。でも、無用心だなぁ。
明眼山 天照寺 阿弥陀如来 浄土宗 −
岐阜県高山市天性寺町83
0577-32-6345 有り 無料HIDA TAKAYAMA TENSYOUJI
次の法華寺へは で約1分 |
隣の天照寺から東山遊歩道ですぐ隣。
車の場合、法華寺の駐車場が不明
法華寺は新潟県三条市にある法華宗総本山本成寺の末寺である。
本成寺第十一世日扇聖人が日嚢師を飛騨に派遣し、永禄元年(1558)に創建したという。
寛永9年(1632)、熊本城城主加藤清正公の孫光正公が、高山城三代城主金森重頼に預けられた。
光正公は翌年亡くなり、重頼は光正公の一周忌に菩提追善の為、高山城の二の丸の建物を移築建立したのが現在の本堂であるという。
本堂
桁行8間、梁間6間、入母屋造、銅板葺で、正面及び側面の一部に高欄を付した広縁が設けられ重量感のある建物となっている。 江戸時代の建造物で、県の重要文化財に指定されている。
番神堂
本堂から続く渡り廊下の先、鬱蒼と茂った中に入母屋造に唐破風を設けた堂宇がある。
番神堂と呼ばれるお堂で、鬼子母神など法華守護の五番神が祀られている。
番神は神仏習合の信仰で、毎日交替で国や民を守護する神々のこと。伝教大師最澄が祀ったのが最初という。中世以降は日蓮宗や法華宗にて法華経守護の神として天部の神々を護法善神(諸天善神)として祀っている。
三十番神という形で30体の神(○○大明神、△△権現など)を祀っているのを見かけるが、法華寺では鬼子母神など5体で30日を守護している。
鐘楼・山門
木々の多い境内の中に形の良い鐘楼がある。やはり飛騨だけあって組物などの意匠は見応えがある。
遊歩道で境内を抜けてきているので、通らなかった山門を内側から覗いてみると、さんまち通りが真直ぐに見える。高山らしい風景の一つだ。
訪れた時、住職は不在で留守番をしていたおばあちゃんが優しく対応してくれた。書置きの御主題をすまなそうに出してくれるので、形じゃないですよ中身が尊いんですよと有難く戴いた。
鐘楼 山門からの眺め
常栄山 法華寺 十界曼荼羅 法華宗陣門流 −
岐阜県高山市天性寺町62
0577-32-4517庫裏 場所不明
次の善応寺へは で約2分 |
法華寺から遊歩道は墓地の脇を通り、地蔵堂への渡り廊下がアーチ上状になっている部分を抜けると善応寺の境内に出た。約2分程だと思う。
駐車場は参道脇にあるのでマイカーでの移動もよいが、東山寺町は遊歩道を歩くのが楽しい。
今回の東山寺町めぐり、最後に訪れた寺院が飛騨三十三観音霊場第5番札所の善応寺。
善応寺は姉小路頼綱(別名:三木自綱)が飛騨を平定して松倉築城の折、城下に如意輪観音を本尊として真言宗善応寺が創建された。
後に、金森長近公との戦いに敗れ、善応寺も焼失した。その際本尊は長近公へと移った。
長近公の菩提寺である素玄寺の二代目格翁門越大和尚を開山とし、曹洞宗の寺として善応寺が再興された。
天保6年(1835)飛騨の大地主永田吉右衛門尚友の計らいにより現在地に移転するも、大正8年(1919)に火災に遭い全焼。大正14年(1925)現在の本堂及び地蔵堂が再建された。
秘仏本尊の如意輪観世音菩薩は総高1尺8寸の金銅仏で、厨子に納められているそうだ。
須弥壇には金色の三尊が安置されているが、暗くてよく分からなかった。
参道〜入口
表から来ると、駐車場脇から傾斜を持った参道が延びて、松の木に覆われた風情ある入口へと続いている。
入口左に見えるお堂は地蔵堂で、この写真では見辛いが、宝形屋根の露盤の上には宝珠ではなくお地蔵さんが持っている錫杖の形をしている。参拝の折には見て欲しい。
参道 入口の石段
再び高山市街地を車で移動する。
宝樹山 善應寺 如意輪観音 曹洞宗 岐阜県高山市宗猷寺町177
0577-32-4516庫裏 有り 無料
次の飛騨護国神社へは で約2〜3分 |
善応寺から右に出て道なりに、法華寺の山門から見た坂を下っていく。上一之町交差点の一つ手前の十字路(ミラーが両側に立つ)を左折。カーブしている道路に突当るのでここを右へ。左手には護国神社の橋が視野に入るが、車は右。
市立城山保育園の先にある狭い路地を左に入ると境内に出る。
車で3分以内だし徒歩でも6分ほどで着く。
護国神社は城山の北側山麓、昔の高山城三の丸があったとされる場所に鎮座している。
創建は明治42年(1909)、祭神は飛騨国中出身の護国の英霊。
拝殿左手には金の神を祀る黄金神社(写真左)が建っている。
黄金神社は鉱山の神として信仰され、金山毘古神 (かなやまひこのかみ)、金山毘売神 (かなやまびめのかみ)を祭神に祀る。
明治12年(1879)村社に指定され、明治13年(1880年)ここに遷座された。 護国神社と同一敷地に鎮座するが、別法人のため護国神社の境内社ではない。
境内は桜の木が多く、高山の桜名所でもある。
神社の前には壕があるが、これは高山城の内壕といわれている。
飛騨護国神社 護国の英霊
明治42年(1909) 護国神社 岐阜県高山市堀端町90
0577-32-0274社務所 境内に駐車スペース有り 無料飛騨護國神社公式サイト
次の照蓮寺へは で約2〜3分 |
飛騨護国神社を左に出て交通規制に従い城山公園へ。カーブの途中、豊川城山稲荷を右に逸れると照蓮寺の塀がある。
照蓮寺は通称中野照蓮寺と称し、高山市鉄砲町にある真宗大谷派高山別院照蓮寺の方は通称高山別院と呼ばれている。
照蓮寺は当初、白川郷鳩ヶ谷に建立され正蓮寺と称していた。
長享2年(1488)、正蓮寺は焼き討ちに遭い焼失したが、永正年間(1507-21)白川郷中野に開基嘉念坊善俊手植えの杉で寝殿造りの本堂を再建し、正蓮寺から照蓮寺に改称した。
以後、照蓮寺は隆盛を極めた為、金森長近はそれを恐れ、天正16年(1588)高山城城下に照蓮寺を移転させた。それが後の真宗大谷派高山別院照蓮寺である。
一方、照蓮寺移転後の中野には本堂が残り、「照蓮寺掛所心行坊」として存続していた。明治初めに「心行坊」は「照蓮寺」と改称した。
昭和36年(1961)、御母衣ダム建設による水没のため、飛騨国白川郷中野(現高山市荘川町中野)から高山市堀端町に移転したのが本日参拝の照蓮寺である。
本堂(写真上)
入母屋造の銅板葺きで、桁行7間,梁間9間の堂々とした建物で、寝殿造り独特の庇を大きくとり、広縁を設けている。外部の建具は舞良戸としている。
堂内は手前に広い外陣を設け、奥は中央を内陣、左右は余間となっている。内陣奥に押板形式の仏壇があり、中央に本尊阿弥陀如来立像が安置されている。
室町時代の様式を伝える建物であるが、現存する真宗の寺院建築として最古のもので、国重文に指定されている。
中門(写真右)
勅使門とも呼ばれる切妻四脚門造の中門は、天正2年(1574)の築で、飛騨地方最古の門として県重文に指定されている。
作業着で庭木の手入れをしているおじさんがいたので、植木屋さんだと思って声を掛けたら住職だった。
作業中にも拘らず、手を洗い親切に対応していただいた。 感謝 !!
光耀山 照蓮寺 阿弥陀如来中野照蓮寺 真宗大谷派 −
岐阜県高山市堀端町8
0577-32-2052庫裏 門前に有り 無料
次の日枝神社へは で約7分 |
天満神社・産霊神社・山王稲荷神社
この辺りは一方通行が多いので、照蓮寺から護国神社の脇を通過して一旦さんまち通り左へ。上一之町交差点を左折して道なりに進む。日枝神社の幟と石段が見えてくる。
その先に駐車場があるが、石段はどうもという向きには、更に山へ上る道へ進み「自動車参拝道」と云う看板に従い山道に入ると社務所前に出られる。
この日枝神社は飛騨山王宮とも呼ばれ、4月14・15日に開催される春の例大祭(山王祭)は、秋の櫻山八幡宮の例祭と共に春の高山祭として有名である。
山王祭で曳き回される屋台は、安川通りの南側(上一之町・上三之町など)町内から出る。 日枝神社は永治元年(1141)、現高山市三福寺町の三仏寺城(飛騨国最古の城)城主である飛騨守平時輔朝臣が、近江国の日吉神社を勧請し、城の鎮護としたのが始まりであるとされる。
養和元年(1181)三仏寺城落城と共に日枝神社も焼失した。
天正13年(1586)、金森長近が飛騨国に入り高山城に入城し、慶長10年(1605)日枝神社を高山城の鎮護神とし、現在の地へ奉還し、社地・社殿を寄進造営し、社僧松樹院を置いて片野及び高山南半分の産土神とした。と由緒書に記されてある。
高山祭が安川通りを挟んで南北別々に行われるのは、こうした歴史的背景に基づいての事だろうと納得した。
拝殿
丹塗りの両部鳥居は二の鳥居(写真上)である。抜けた先は石段が構えている。
ここまで車だったのでこの位は昇らないと......。
お寺のような建物の拝殿は、寄棟のような屋根だが、大棟から軒までの間に一段の区切りを付けた錣屋根(しころやね)といわれる構造になっている。更に正面には1間の流れ向拝を設け、三方に縁を廻らせてある。
本殿
脇に回ってみると、屋根の曲線が美しい流造りの社殿が建っている。
現在ある本殿は、昭和10年(1935)の豪雨で裏山が崩れて破損し、昭和13年(1938)に再建されたものだという。
恐らく使用することの無いであろう縁は小屋根で覆われていて、また拝殿側の軒下も板で塞いであるし、通常左右が吹き放ってある階段部分も格子戸で覆われている。
雪が多い地方故の対策か。
末社
富士社
丹塗りの社殿は富士社であるが、社殿は寛延元年(1748)に再建された旧本殿で、前述の豪雨によって破損した部分を修理し、富士社の社殿として移築したものだそうだ。日枝神社より豪華だなぁと感ずる。
富士社には富士神社・金刀比羅神社・恵比須神社が合祀されている。
富士神社の御祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)。
天満神社 |
産霊神社 |
山王稲荷神社 |
日枝神社 大山咋神
延喜3年(903) 旧県社 岐阜県高山市城山156
0577-32-0520社務所 有り 無料飛騨山王宮日枝神社
次の飛騨天満宮へは で約3〜4分 |
来た道を戻って日枝神社前の通りに出たら、秋葉神社の前を左分岐して道なりに。
宮川を渡った先の天満宮南の交差点を右折すると左手に飛騨天満宮が見える。
飛騨天満宮の創建は延長元年(923)頃とかなり歴史がある。
延喜3年(903)菅原道真公の三男で飛騨権掾の菅原兼茂が父親の道真公が大宰府で亡くなったことを聞き、この地にあった梅の木に父の像を刻み、祠を建て祀ったのが始まりという。 後に荒廃したが、天正年間に松倉城主三木自綱によって再建され、正保2年(1645)には高山城城主金森重頼が病気平癒の報謝として本殿を造営した。現在の本殿は平成4年(1992)に再建したもの。
拝殿・本殿
天満宮であるから主祭神は菅原道真公で、相殿に天照大御神と松尾神が祀られている。
拝殿、本殿は塀に囲まれた中にあるので、神門からの参拝となる。
左の写真は、神門から見た拝殿。 大きな唐破風の向拝が目立つ。
脇に回ると境内の大木の間から、塀越に本殿の屋根を伺うことができる。
撫で牛と境内社
天満宮のシンボルである撫で牛、末社として対馬神社・晴彦神社が建っている。
撫で牛 境内社
飛騨天満宮 菅原道真 (すがわらのみちざねこう)
延喜3年(903) 旧郷社 岐阜県高山市天満町2-30
0577-32-1466社務所 有り 無料(境内)
次の千光寺へは で約26〜28分 |
高山を後に平湯に向う途中、丹生川町にある寺院を訪ねた。
飛騨天満宮を左に出て、国分寺東交差点を右折。そのまま道なりに国道158号を走る。
角にサークルKがある町方交差点を案内標識に従い左折して県道89号を行く。新張交差点を千光寺の案内標識に従い右折し、少し走ると正面に千光寺の石標が立っていてそのまま道路は続いている。
千光寺の開創は約1,600年前、乗鞍山麓に住んでいた飛騨の豪族「両面宿儺」による開山と伝えられており、飛騨国一の古刹といわれている。
嘉祥3年(850)頃、弘法大師の十大弟子の一人、真如親王が当地に来て法華経と袈裟を奉祀したことにより、袈裟山千光寺と名づけ自ら開基になった。
隆盛期には山上に19の院坊を持ち、飛騨国内に30ヶ寺の末寺を随えていた。
天文年間、兵火で焼失するが、天文15年(1546)桜洞城城主三木直頼により再建される。永禄7年(1564)、武田信玄の飛騨攻めにより本尊以外のすべてを焼失、灰燼に帰してしまった。
天正16年(1588)高山城城主金森長近により現在ある堂宇が再建されたという。
最近は「円空仏の寺」として知られ、境内にある「円空仏寺宝館」には64体の円空仏が展示されている。
飛騨三十三観音霊場の第33番札所で結願寺になっている。
鐘楼 庫裏 天気がよければ、庫裏前から御嶽山が眺められる。(×10で撮影)
円空仏 賓須慮像他が円空仏展示館に展示
袈裟山 千光寺飛騨千光寺 千手観世音菩薩 高野山真言宗 岐阜県高山市丹生川町下保1553
0577-78-1021受付 有り 無料 飛騨千光寺
次の正宗寺へは で約15分 |
千光寺入口まで戻り左折。県道89号を暫く走り、橋の手前を左に分岐し県道459号を道なりに進むと左手に正宗寺の建物が見えてくる。
創建年代は不詳だが、当初は千光寺の末寺として真言宗に属し小八賀川の辺にあったという。
慶長元年(1596)曹洞宗に改宗し寺を現在地へ移したと聞く。
本堂に上がり、本尊釈迦牟尼仏を参拝。住職より百観音霊場の札所本尊が安置されているなど説明を伺った。
どうやら芸術がお好きのようで、帰りがけ奥様よりのお奨めで色紙絵を買うことになった。
正宗寺は山裾に建っており、道路脇の駐車場からはこのように見える。
左奥に見えるのが本堂である。
入口脇に天然石に大貴山正宗寺と刻んだ石標が立ち、道路から3段ほどの石段を上がると坂道の参道が延びている。
山門を抜けると本堂・庫裏が建っている。
撮り方か、細く見える丸木の柱には大きめな屋根を付けた鐘楼が、か弱そうに見える。
石標 参道
本堂 鐘楼にやや小振りな梵鐘円空仏 薬師如来
大貴山 正宗寺 釈迦牟尼佛 曹洞宗 岐阜県高山市丹生川町北方1004
0577-78-1080庫裏 濃飛バス 坊方 徒歩約15分有り 無料
正宗寺から再び国道158号に出てそのまま進めば30分程で平湯。ここで1泊もよし、頑張れば今夜中には東京に着ける。
以前は難所だった安房峠をトンネルで抜ければ上高地への入口。松本まで1時間程で着く。