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はじめに

湖北五山とは鎌倉五山などのような宗旨、寺格で選ばれた五山ではなく、浜名湖の北側に位置する奥浜名湖の名刹5ヶ寺を巡る観光企画として選ばれたお寺である。
しかし、国指定重文や名勝を観たり、平安から江戸時代の歴史に触れられる、意義のある五山であった。

濱名惣社神明宮はまなそうしゃしんめいぐう三ヶ日町


浜名総社神明宮道順
東名三ヶ日ICを出て、国道362号を三ヶ日町三ヶ日方面へ向い、東海グリコ栄食(株)の隣が浜名惣社神明宮である。

参拝記
道路に面し「郷社 濱名總社神明宮」と刻まれた社号標が立ち、その脇に石灯籠と小さな石の鳥居が立っている。
狭い参道を行くとまた小さな鳥居があり、そこから広い境内となっている。境内は意外と広く本殿が建つ山まで広がっている。

参道
下の写真は参道の入口方向を撮ったものだが、参道両側には氏子達によって奉納された灯篭が並び、その終端部分に「さざれ石」(白っぽい方の石)が置かれている。
参道出口方向さざれ石の参道を挟んだ反対側に置かれている黒い石は「万度石」呼ばれ、拝殿との間を幾度も往復して参拝する基点となる石だそうだ。天保10年(1839)に寄進されたとのことである。
お百度参りの百度石はメジャーだが、万度石はここと西宮市の津門神社(つとじんじゃ)にある「萬度石」くらいじゃないかと今でも思う。

参道を進んだ先の正面には平成17年に改築されたと言う、堂々とした新しい拝殿が建っている。
旧拝殿は大正9年(1920)に新築された入母屋造の社殿だったようだが、新社殿は神明造である。

本殿 本殿
さて本殿はと、拝殿の裏側に回ってみると、急な斜面には石段が延び、ひと際高い位置に国指定重文の本殿が建っていた。
板垣に囲われた中に建っている本殿は、板倉造という古式の様式でかなり珍しい建築様式とのことだ。
どうやら上がれないようなので、下からの参拝となった。


境内社
拝殿の左右後方には摂社が建っている。
上段右側の写真は、機織の祖神という天棚機媛命(あめのたなばたひめのみこと)を祀る天棚機媛命社。上段左側は天羽槌雄命(あめのはづちおのみこと)を祀っている天羽槌雄命社。

下段左側は菅原道真公を祭神とする浜名天満宮。
下段右側の「さざれ石」の左奥に僅かに写っているのが、後に分かったことだが、縣家(あがたけ)の祖神大田田根子命(おおたたねこのみこと)を祀る太田命社。太田田根子命は式内社である英多神社の御祭神なんだとか。(近くで参拝するんだった。)
さざれ石の奥に見えるのは神池で、近くの生徒が授業サボって遊んでいた。

天羽槌雄命社
天棚機媛命社
さざれ石
浜名天満宮
さざれ石・右隅の太田命社

また、神社殿造営に伴い下記の末社8社が合祀されたとのこと。  
 浮免川崎八幡宮   白山神社
 須佐之男神社    八柱神社
 金比羅神社     天満宮
 貴船神社      金山神社

訪れた時、社務所には誰も居らず、宮司宅の電話番号が掲載されていたので、掛けてみたら多用中にも拘わらず車で駆けつけてくれた。
色々話を伺い、最後には宮司さんが執筆された「神社誌」までいただいた。

 
名称
濱名惣社神明宮
 
主祭神
天照皇大御神 (あまてらすすめおおみかみ)
 
創建
不詳
 
社格等
旧郷社・式内社
 
鎮座地
浜松市北区三ケ日町三ケ日122
053-524-0833
  朱印所 社務所 不在時要連絡
 
最寄駅
 
駐車場
有り 無料 
濱名惣社神明宮朱印



   次の摩訶耶寺へは 徒歩 で約2〜3分  


摩訶耶寺まかやじ三ヶ日町


摩訶耶寺道順
浜名惣社神明宮を右に出て、神社に沿った道路を道なりに走る。樹木に覆われてこれが東名高速だと分からないガードを抜け約700m、参道入口の駐車場に着く。

参拝記
摩訶耶寺は、神亀3年(726)行基によって新達寺として開創された。
平安時代に千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り、名称を真萱寺へと変え、後に摩訶耶寺と呼ばれるようになった。
平安時代末期、一条天皇の勅願により現在の場所へ移ったという。

山門駐車場脇の参道を進むと、ややくたびれた感じの山門があり、その中は広い境内である。

現在の本堂は寛永9年 (1632) に建造された堂宇で、五間四面の棟の高い入母屋造に流れ向拝を付し、高欄を付けた縁を巡らせている。

拝観料を払い堂内へ。住職が本堂並びに収蔵庫を案内してくれた。
総欅で建造された本堂の格天井には、法橋関中の筆によるという極彩色の花鳥が描かれている。法橋関中なる人物は知らないが、見事な天井絵であった。

重文の仏像たち
次に案内されたのが収蔵庫で、中には平安時代の作といわれる国指定重文の木造不動明王像・木造千手観音像と阿弥陀如来坐像が安置されていた。
不動明王像の筋肉と木目の造形には感銘を受けた。

県指定名称の庭園
最後に、1240年頃作庭されたという見どころの摩訶耶寺庭園に案内された。
池泉鑑賞兼廻遊式蓬莱庭園という形式で、苔寺の名で有名な京都西芳寺の庭園に次ぐ古さだそうだ。
平安時代の様式を持つ庭園として世界的にも有名と聞くが、築山に石と池だけの庭園に、その美しさが解るのにはもう少し人生を経ないとダメかも知れない。



   
 
名称
大乗山宝池院 摩訶耶寺
 
本尊
厄除正観世音菩薩
 
宗派
高野山真言宗
 
札所
浜名湖岸新四国八十八ヵ所 第2番
 
所在地
浜松市北区三ヶ日町摩訶耶421
053- 525-0027
  朱印所 本堂
 
最寄駅
 
拝観
400円 9:00〜16:00
8月10日休み
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 大乗山宝池院 摩訶耶寺 
摩訶耶寺朱印



   次の摩訶耶寺へは 徒歩 で約6分  


大福寺だいふくじ三ヶ日町


大福寺道順
摩訶耶寺の駐車場を右へ出たらすぐの交差点を左折。大福寺の案内看板があるので確認。
次にT字路を右折して道なりに進み、途中で大福寺を示す道路標識に従い直進する。

いきなり大福寺の山門が現れるので、チェックポイントとなる。
新東名をオーバークロスした先に駐車場がある。
この辺りは新東名の開通によって様変わりしてしまった。

参拝記
山門道路脇にポツンと建っている丹塗りの門が大福寺の山門(仁王門)である。
三間一戸の立派な楼門であるが、大福寺の存在を知らないと、何故お寺の門だけがここに建っているのだろうと疑問に思うかも知れない。
大福寺縁起によると承元3年(1209)大中臣朝臣時定郷(おおなかとみあそんときさだきょう)が、所領250町歩を寄付したとあり、その頃は塔頭30、建造物20を有する大伽藍であったと記されている。

現在、ここから200mほど行った先に実質的な参道入口があるが、当時はここから参道が始まっていたのではないかと想像する。

境内諸堂
広い駐車場脇から両側に石仏が並ぶ参道が延び、突当りの石段を上ると本堂など建つ境内が広がっている。
この石仏、四国八十八ヶ所を表す「同行二人」の石仏だった。
札所番号を刻んだ台座の上に2体。左側は弘法大師、右側は各札所の札所本尊が置かれている。

参道
本堂へと延びる参道
八十八ヶ所仏像

本堂を参拝の後、諸堂を廻ってみた。
大師堂
大師堂本堂左手に建つ、頂点の露盤に宝珠を乗せた丹塗りの三間四面、宝形造のお堂が大師堂。
大福寺は浜名湖岸新四国八十八ヵ所霊場の第88番札所であり、巡礼者にとっては結願の寺である。

弘法大師霊場としては狭い範囲なので遍路し易いかも知れない。専用の納経帳も販売されている。

護摩堂・熊野鎮守
本堂右手には不動明王を安置する護摩堂(不動堂)、その奥の一段高い位置に熊野鎮守が建っている。
随分しっかりと建てられた社殿である。

瑠璃山 大福寺 熊野鎮守
護摩堂
熊野鎮守

鐘楼
鐘楼本堂前に袴腰付きの鐘楼がある。前の道からそんなに上がって来た感じは無いが、ここからの眺めは良い。

また、参道途中に門があり、抜けた先には庫裏・客殿・書院などが建っている。
有料の庭園・宝物館の受付にもなっている。
御朱印もこの庫裏でいただくことになる。

更に、ここでは大福寺納豆(浜名納豆とも云う)が期間限定で売られている。
この納豆、スーパーなどで売られている糸引き納豆とは味も外見も全く違うそうで、糸は引かずポロポロ乾いた濃い味噌色の豆粒なんだそうだ。
期間限定ではあるが、通販にも対応しているので、公式サイトで確認いただきたい。

 
名称
瑠璃山 大福寺
 
本尊
薬師瑠璃光如来
 
宗派
高野山真言宗
 
札所
浜名湖岸新四国八十八ヵ所 第88番
 
所在地
静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3
053-525-0278
  朱印所 庫裏
 
最寄駅
  拝観 9:00〜16:30 庭園:500円
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 大福寺 浜名湖高野山 
摩訶耶寺朱印




   次の方広寺へは 徒歩 で約30分  


方広寺ほうこうじ奥山


地蔵寺道順
大福寺からは、来た道を少し戻り、大福寺山門手前の十字路を左折、突当ったら今度は右折し暫く道なりに。
道路標識が示す引佐・奥山方面へ左折し、今度は県道68号を奥山まで行く。
方広寺に近づくと、奥山半増坊大権現の赤い鳥居が見えるので、手前を左へ行けば三重塔駐車場がある。

歩行に難があるならば、前述の鳥居を抜けて狭い参道を走り、突当りの総門を抜けた先に拝観受付があるので、許可を取れば本堂脇まで車で上がれる。


参拝記
本堂臨済宗方広寺派の大本山とあって寺域は広く、しかも山中なので門から本堂までは徒歩だと20分程の山登りになる。

寺域が広いので、それなりに見どころも多い。それでも、本堂〜観音堂〜開山堂〜半増坊真殿は廊下で繋がっており、楽に拝観できた。

本堂
本堂は大本山としての風格を漂わせる大堂で、大正4年(1915)に再建した建物だそうだ。間口32m奥行27mという大きさは東海地方屈指といわれている。
耐震工事中なので、全容を収める位置から撮影できなかった。

正面に掛かる「深奥山」と書かれた扁額は山岡鉄舟の筆によるものらしい。
本尊の釈迦三尊像は本堂の工事に伴い、別の場所に移されていて間近に拝観できた。

拝観入口〜半増坊真殿
渡り廊下等で接続されているので、外に降りることなく拝観できる。
開山堂
半増坊真殿への途中にある開山堂は、開山円明大師の尊像が安置されているお堂で、現在の建物は昭和10年(1935)、故足利紫山禅師の発願により再建されたもの。
枯山水の開山堂庭園の先には勅使門がある。

開山堂堂内 勅使門
開山堂堂内
勅使門

半増坊真殿(はんそうぼうしんでん)
虹梁渡り廊下を先に進むと半蔵坊真殿に着く。
故事によると、無文元選禅師が中国天台山での修行を終え、帰国の途中東シナ海洋上で嵐に見舞われ難破の危機が迫った時、船首に異人が出現し船を誘導し無事帰国できたという。
後に禅師が方広寺を開創した際、再びその異人が現われ弟子になることを懇願し、「汝、半ば僧に似たる所あり」と許可され禅師に仕え、方広寺を鎮護したのが半僧坊大権現であるという。
半僧坊真殿の見処は、 向拝の虹梁。
虹梁2本にそれぞれ見事なまでの昇り龍・降り龍の彫刻が施されている。
作者は左甚五郎の孫弟子に当る後藤岩五郎。

羅漢像
渡り廊下や本堂裏からは羅漢像が見られる。方広寺には山中に五百羅漢があるのは知られているが、ここにもその一部が置かれていた。また、開山堂から見える本堂の妻部分、その大きな鬼瓦が印象的である。

本堂の鬼瓦
羅漢像

本堂前に戻って周囲を歩いてみると、まず本堂左手に先ほど開山堂から見た勅使門があった。やはり表からの方が威厳があるように感じる。
本堂前の袴腰付鐘楼も本堂の建物に対抗して高く大きな堂である。よくあるタイプの鐘楼だとここにあったら見劣りしただろう思う。

勅使門 鐘楼
勅使門
鐘楼

七尊菩薩堂
七尊菩薩堂拝殿本堂とは谷を挟んだ対岸斜面に、赤い鳥居とその先に2つのお堂が見える。
大きいほうのお堂は、七尊菩薩堂の拝殿である。
国指定重文の七尊菩薩堂としてこの写真が載っているのをネット上でよく見掛けるが、本来の七尊菩薩堂はこの奥に建っている。
文化庁の文化財データにも「一間社流造、柿葺」と登録されていることでも、お堂ではないことが分かる。
応永8年(1401)の建立で、静岡県最古の建造物だそうだ。
七尊菩薩とは、富士浅間大菩薩、春日大明神、伊勢大神宮、稲荷大明神、八幡大菩薩、梅宮大明神、北野天満大自在天神であると説明されている。

  名称
深奥山 方広萬寿禅寺
  本尊
釈迦如来
  宗派
臨済宗方広寺派 本山
  所在地
静岡県浜松市北区引佐町奥山1577-1
053-543-0003
  朱印所 寺務所
  最寄駅
遠鉄バス 奥山東バス停
  拝観
400円 9:00〜16:00
 
駐車場
公共駐車場を利用
  公式サイト 臨済宗方広寺派大本山 方広寺 
方広寺朱印



   次の井伊谷宮へは 徒歩 で約20分  


井伊谷宮いいのやぐう井伊谷


久津八幡神社道順
県道68号に出たら奥山交差点まで行って右折。県道303号を暫く道なりに走り、神宮寺交差点を細江・舘山寺方面へ右折。
神宮寺川を渡ると右手が井伊谷宮の領域で、橋から井伊谷宮の看板が見える。その先に駐車場入口がある。
道路から見えるのは広い第2駐車場だが、次に参拝する龍潭寺へのアクセスを考えると、参道に入って左側の第1駐車場が便利と思う。

参拝記
井伊谷宮は、今回訪れた神社の中ではひと際格式が高く、旧官幣中社の社格を持ち、皇室とも縁のある神社である。神紋も十六弁八重表菊紋を使用している。
御祭神は後醍醐天皇第四皇子 宗良(むねなが)親王を祀っている。

長い参道は、数段の石段を何回か上って神門へと延びている。
二の鳥居から神門、その向こうに拝殿(写真上)が見える。

神門をくぐると正面に拝殿が、その背後には神明造の本殿が建っている。

神門
拝殿及び本殿

本殿裏には、石垣に囲まれた宮内庁所管地の宗良親王御墓があるが、様子がよく分からない。
宝篋印塔が立っているのが公式Webサイトで確認できる。

摂社 井伊社
井伊社社殿左側に鎮座しているのは摂社の井伊社で、桜田門外で亡くなった井伊直弼の祖先、井伊介道政・井伊新介高顕が祀られている。

御神木
御神木静岡県神社庁発行の「御神木指定証」が掲示されている御神木は、シイ(椎)で、明治5年(1872)の創建時には既にあったらしい。

表面が捻れていて、何か俳優中尾彬氏のスカーフのような感じだ。




 
名称
井伊谷宮
 
主祭神
宗良親王 (むねながしんのう)
 
創建
明治5年(1872)
 
社格等
旧官幣中社・別表神社
 
鎮座地
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1991-1
053-542-0355
  朱印所 祈祷申込所
 
最寄駅
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 井伊谷宮 
井伊谷宮朱印



   次の龍潭寺へは 徒歩 で約2分  


龍潭寺りょうたんじ井伊谷


龍潭寺道順
井伊谷宮の摂社井伊社脇から龍潭寺境内へ抜ける通路があるので、そのまま歩いて来るのが便利だが、正式に参道からアプローチしたい向きには、龍潭寺駐車場へ車移動がよい。

参拝記
前の道路から細い参道が延び、数段の石段を上り明暦2年(1656)建立の山門を入ると、城郭を思わせる石垣を幾度か曲がり石段を上がっていく。

石段を上がり切ると、二手に別れ直進方向に仁王門が、右に折れると拝観受付の庫裡へがある。

庫裏庫裡で拝観料を納め、本堂〜開山堂と拝観した後、国指定名勝記念物となった龍潭寺庭園へと巡っていく。

延宝4年(1676)再建の本堂に本尊虚空蔵菩薩を祀る。
廊下は鶯張りで、左甚五郎作と伝わる。







庭園
国指定名勝に登録されている龍潭寺庭園は池泉鑑賞式庭園。
江戸時代初期に築かれた庭だそうで、小堀遠州の作庭と言われている。

小堀遠州は別名で、小堀政一という江戸時代前期の大名である。作庭家、建築家としても有名で、遠江守に任じられ小堀遠州と呼ばれるようになった。

左側から
右側から

鐘楼と何?
庫裏手前を左に行くと本堂前に出るが、鐘楼は一目瞭然。この建物は?門?

鐘楼
???

   
 
名称
萬松山 龍潭寺
 
本尊
虚空蔵菩薩
 
宗派
臨済宗妙心寺派
 
所在地
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
053-542-0480
  朱印所 受付
 
最寄駅
 
拝観
500円 9:00〜16:30 8/15,12/22〜27休み
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 遠州の古刹 龍潭寺 
龍潭寺朱印



   次の宝林寺へは 徒歩 で約10分  


初山宝林寺ほうりんじ井伊谷


温泉寺道順
井伊谷宮前のT字路を東へ。龍潭寺に駐車した場合は右折して国道257号へ出て右へ。
金指西交差点を左折で国道362号へ合流する。
暫く走ると左手に宝林寺の看板や幟が出てくるが、通り過ぎた先に駐車場へ向う通路がある。

参拝記
湖北五山の最後に参拝したお寺が宝林寺。
今まで参拝した中では珍しい黄檗宗の寺院である。

宝林寺は寛文4年(1664)、領主の招きに応じ明国より渡来した僧侶「独湛」によって開かれた黄檗宗の寺院。
気賀、金指両近藤家の菩提寺として栄えた。
黄檗宗は臨済宗、曹洞宗と同様禅宗の一つであるが、唯一明朝風様式を伝承した禅宗である。明治政府が禅宗を臨済宗、曹洞宗と定めたことで、「臨済宗黄檗派」に改称させられたが、明治9年(1876)、黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立することとなった。
本山は京都府宇治市の黄檗山萬福寺である。

駐車場から坂を上って来ると、広い境内に出た。
ここで、 先程通り過ぎた下の道路で見た、看板脇にある石段を上った先に合流する。つまり、石段は仏殿へと真直ぐに延びた参道の入口であった。
拝観受付を済ませ仏殿に向かう。

仏殿
広い空間の先に建つ建物が仏殿で、寛文7年(1667)に建立されたという中国明朝風の建物(写真上)として国重文に指定されている。
昭和60年(1985)から6年かけて解体修理を行い、創建当初の姿に復元したそうだ。

桁行五間、梁間六間、葺の入母屋造で、正面一間通りを列柱のみの吹放しにしてあるのが珍しい。
正面の扉も中国明朝っぽさが出ている。
宝林禅寺の扁額は隠元禅師の書によるものらしい。

仏殿正面
釈迦三尊像

床を瓦敷の土間としているので、靴を脱がずに参拝できるのが楽だ。
中央に本尊の釈迦如来,迦葉尊者,阿難尊者の釈迦三尊像が安置されている。
写真では陰で見づらいが、左右の厨子には達磨大師と武帝像が安置されている。

龍文堂(りゅうもんどう)
仏殿左側の赤い幟が立つ緩やかな坂を上って行くと、小さなお堂が建っている。
鎮守龍文坊大権現を祀る龍文堂だそうだ。

宝林寺には龍文という優れた修行僧がいて、宝林寺本山である京都 萬福寺の火災を消し止めたという逸話があったという。

宝林寺が三百年もの間、火災が起きないのは龍文の守護有りきと龍文堂を建立したそうだ。
今なお火伏せ,厄除け,家内安全,交通安全の神として信仰されている。

謎の石
龍文堂の先に何やら曰く有り気な石が置いてある。
石の正面に「支那金鳴石初山永寶」と彫られている。
看板には独湛禅師が中国から持参した摩訶不思議な石で、叩くと澄んだ音が鳴ることから「金鳴石」とよばれ、商売繁盛の石「お金の成る石」「宝くじが当たる石」としてお参りが絶えないと記されてある。

龍文さまに願い事をして金鳴石を叩くとその願い事が叶うと云うので、その通りにやってはみたが....。確かに良い音はするが、叩き方が少なかったのか、お金の方は未だご利益を頂いてないんですが.....。




方丈
金鳴石の先を行くと方丈が建っている。
歴代住職の起居堂として、修行僧たちを指導する禅問答の場として、正徳6年(1716)に建立された国指定重文の建物。
茅葺の寄棟造で、軒をせがい造りとし深く取ってあるのが特徴。

中央の仏間には独湛禅師が祀られ、他の部屋にも独湛禅師頂相など仏画の掛軸が展示されている。

独湛禅師
仏画を展示
一番大きな掛軸

報恩堂
方丈から再び仏殿前へ戻ってきた。
入山当初から丸窓が気になっていた建物は、報恩堂と云ってパンフによれば、総ての恩に報いるために独湛禅師が建てたお堂で、宗祖隠元禅師の等身大の木像を祀り、近藤家代々の位牌や、独湛禅師の両親の位牌が安置されている。…とある。

どことなく、可愛らしい雰囲気のお堂である。



 
名称
初山 宝林寺
 
本尊
釈迦三尊
 
宗派
黄檗宗
 
所在地
静岡県浜松市北区細江町中川65-2
053-542-1473
  朱印所 受付
 
最寄駅
 
拝観
400円 9:00〜16:00 年末年始休み
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 初山 宝林寺 
初山宝林寺



   次の細江神社へは 徒歩 で約13分  


細江神社ほそえじんじゃ気賀


水無神社道順
宝林寺からは2ルートある。分かり易いのは、宝林寺を右に出て、国道362号を清水橋交差点まで走るルート。
清水橋交差点を案内標識の細江市街方向へ左折、気賀四ツ角を右折。
商店が建ち並ぶ中を進んで行くと、右側に細江神社の鳥居が見えるので、早めに右折の合図を出し神社の手前を右折。
神社に沿って少し行くと左手に駐車場入口がある。

参拝記
細江神社は、古くは浜名湖入口の守護神である角避比古神社が大津波に遭い、御神璽が当地赤池の里に流れ着き、里の人々が仮宮を建てて祀ったのが始まりという。

後に現在地に社殿を建て遷し、牛頭天皇社としたが、明治元年、細江神社に改称したとの事である。 境内は楠の巨木により鬱蒼とした感じがする。参道を進むと瓦葺の社殿が建つ。

右手には根元に大きな空洞を持つ楠がある。御神木に指定されているが、この空洞で大蛇と大蝙蝠が戦ったという昔話が残っている。 御神木の奥には境内社である「藺草神社」(写真右)が鎮座している。

逸話が残る御神木
藺草神社

 
名称
細江神社
 
主祭神
素盞嗚尊 (すさのおのみこと)
 
創建
不詳
 
社格等
旧郷社、式内社:名神大
 
鎮座地
静岡県浜松市北区細江町気賀996
053-522-1857
  朱印所 社務所
 
最寄駅
 
駐車場
有り 無料
細江神社朱印


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奥浜名湖
 
舘山寺
     
       





仏に出会う旅

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