都営大江戸線 電車旅
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再び豊島園駅から乗って光が丘方面に向かい、次の練馬春日町駅で下車します。
練馬春日町駅付近は。かつて「中の宮」と呼ばれ、豊島園通りと大山富士街道(富士街道)が交差する地点でした。
最近は、環状八号線(環八通り)の開通(富士街道の一部が環八通りになった)と共に大きく様変わりし、賑やかになりました。
練馬春日町駅周辺の歴史を遡って色々見て回ります。
   
大江戸線 練馬春日町駅 界隈

愛染院
練馬春日町駅を出ると1分で愛染院の参道です。
愛染院愛染院は真言宗豊山派の寺で「練月山 愛染院 観音寺」と云い、本尊は愛染明王です。
寺号が観音寺なのに観世音菩薩が本尊ではないのです。
 
中興第六世盛長のとき、京都御室仁和寺末、準壇林所となりましたが、第十八世亮通のとき、仁和寺から離れて長谷寺の直末となっています。
 
『新編武蔵風土記稿』には慶安2年(1649)に寺領十二石一斗の御朱印を賜っていたこと。鐘楼は元禄14年(1701)の鋳造であることが記されています。
 
中興第十世長慶の代、寛政年間(1789〜1800)火災により、元禄10年(1697)の建造である現在の山門だけを残して焼失しています。
 

梵鐘
梵鐘元禄14年(1701)鋳造のものであり、戦時中、多くの寺院で梵鐘を鉄材の原料として供出させられています。
そんな中にあって、供出されなかった愛染院の梵鐘は江戸時代のものとして貴重な文化財です。
 

愛染院の石造物
境内には多くの石像物があります。

地蔵群
: 六地蔵…元文4年(1739)10月24日造立。享保年間(1716〜1725)造像のものなど。
弘法大師一千年供養塔 : 天保2年(1831)
弘法大師像
: 天保8年(1837)
宝篋印塔
: 寛永20年(1643)、高松寺合併を記したもの…明治25年(1892)
五輪塔
: 正保3年(1646)
墓石
: 長谷川名主家累代のものや慶長18年(1613)の墓石などが墓地にあります。
 

 


愛染院 真言宗豊山派 開山・開基 能円房尊岳 永享9年(1437) 
       本尊・他  愛染明王 大日如来 十一面観音 歓喜仏 不動明王
      東京都練馬区春日町4-17-1


練馬大根碑
練馬大根碑練馬と云えばすぐに「大根」という答が返ってくるほど「練馬大根」は有名ですが、今では名前だけで練馬の農産物だった「大根」は「キャベツ」にとって変わってしまいました。
 
「練馬大根碑」は愛染院の参道、大山富士街道の旧道から入ったすぐの所に立っています。
この大きな大根碑は昭和15年(1930)練馬漬物組合の発起により、昭和16年4月に建てられました。
 
練馬大根は上練馬村の百姓亦六(今の鹿島姓の旧家)が作り始めたといわれ、江戸時代の元禄期(1688〜1703)には特産物としての地位を確立しました。
 
また、沢庵漬として海外に輸出されるようになり、年産8万樽も生産されるようになりました。
ところが、昭和8年(1933)のバイラス病の発生によって練馬大根は衰退を始め、かつての名声はこの練馬大根碑だけが物語っています。
 

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