西武新宿線 電車旅
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西武新宿駅から各停に乗って… 高田馬場まではJR線と併走、新宿湘南ライン 宇都宮行きにアッという間に追い越され、高田馬場駅に。出発すると下り勾配・左カーブでJR線をくぐり一路武蔵野を目指して西へ...。
製薬会社が建ち並び、妙正寺川が見え隠れ、次の下落合駅で下車しました。
 
西武新宿線 下落合駅周辺MAP
おとめ山公園
都心から最短の武蔵野。武蔵野と言い切るには、少し勇気がいるかも知れませんが....。
椚(くぬぎ)、楢など多くの樹木が茂り、せせらぎや静かな池に武蔵野の面影を残す都会のオアシスです。
 
都心とはいえ、目白台地から神田川を臨む南傾斜地の起伏を利用し、園内の地形は変化に富んでいます。
付近は製薬会社のビルや工場が多く、交通量の激しい新目白通り通っています。
ここにこんな公園が、という印象がもたれるところです。

敷地内の斜面から出ている湧き水を利用し、ホタルの養殖が行われてます。
毎年7月には「ホタル鑑賞会」が開催されています。

おとめ山は、江戸時代に将軍家の狩猟地であった。そのため、一般の人は立入ることが出来ない「御留山」だった。
と言うのがその名の由来とのこと。
「おとめ」は乙女じゃなかったんですねぇ。

おとめ山公園への道のり
下落合駅より妙正寺川を渡り、新目白通りを高田馬場方向に進みます。
氷川神社を過ぎた辺りで山側に入り、落合第四小学校を目指せば公園の入口にたどり着きます。
下落合駅より徒歩約10分程です。


新宿区立おとめ山公園 東京都新宿区下落合2-10 面積:15,054u
  開園時間 : 4〜9月 7:00〜19:00 10〜3月 7:00〜17:00 入園無料 Pなし
 新宿区みどり土木部 みどり公園課 03-5273-3914
 
西武新宿線 中井駅 界隈周辺Map

再び、下落合から乗車、次の中井で降りてみました。中井は見どころ多いです。
 
染の里 二葉苑
東京染小紋・江戸更紗など、伝統工芸を伝える「染の里 二葉苑」は中井駅から徒歩5分程のところにあります。
駅のそばを流れる妙正寺川に架かる寺斉橋(じさいばし)の手前、パン屋の前の路地を行きます。
狭いので、本当にこの路でよいのか不安になりますが、大丈夫です。

江戸に幕府が開かれ、人口が急増してくると、衣食住の一つである日常着る着物も必然的に需要が高まるわけです。
当時は武士の裃に代表される小紋染めとインド、ジャワなど中近東から渡来した更紗が主流でした。
それらを染める染色業者が多数登場し、良質な水が豊富な神田・浅草を中心に事業を行っていました。

江戸時代以後は河川の汚染が進み、染色業者は良質な水を求め上流へと移動したのです。落合を中心に神田川・妙正寺川流域には染色関連業者が集まり、江戸の伝統を守り続けています。
新宿の地場産業『染色』という謂れはこういった歴史に基づいたものです。
 

東京染小紋
東京染小紋は通産大臣指定伝統工芸品で、室町時代からあったものですが、江戸時代に侍の裃を染めるのに用いられるようになって発展し、一般にも広まったものです。
江戸から伝わる趣向と伝統を、今の時流に合った感覚に溶け込ませているのが東京染小紋です。
 
江戸更紗
更紗は中近東で行われていた染色で、室町時代中期に日本に渡来しました。更紗は日本で人気を得、輸入も増加しました。江戸時代になると更紗の模倣染めが登場し、帯など使用されていましたが、小紋を染める型染めの技術が応用され、着物を染めるようになりました。
 
型染めと更紗の技術の融合が『江戸更紗』を産んだのです。江戸更紗は東京都伝統工芸品の指定を受けています。
 
これら染色の伝統工芸を紹介しているのが『染の里 二葉苑』です。開館時間と休館日に注意して訪れましょう。
 

染の里 二葉苑 10:00〜12:00 13:00〜15:00 休館日:土・日・祝日 
           東京都新宿区上落合2-3-6 03-3368-8133  オフィシャルWebサイト:http://www.futaba-en.jp/index.html
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中井周辺は武蔵野台地の東端部分で、最も低い部分を流れる妙正寺川の両岸は坂になっています。
特に川の北側は傾斜がきつく、自転車では登れないような急勾配や石段もあります。
 
山手通りの東側には、第六天の祠があったと云われる「六天坂」や「見晴坂」などそれなりの謂れをもった坂があります。
山手通りの西側は「一ノ坂・二ノ坂」というように番号で呼ばれ、中井御霊神社のある「八ノ坂」が最後です。
次にご紹介する「林芙美子記念館」は「四ノ坂」にあります。
 

林芙美子記念館
林芙美子記念館花のいのちはみじかくて…』や『放浪記』『浮雲』などで知られる、昭和初期の代表的女流作家である林芙美子が、昭和16年(1941)8月から、その生涯を閉じる昭和26年(1951)6月28日まで住んでいた建物です。
平成4年(1992)「新宿区立 林芙美子記念館」として開館しました。
展示室には、遣族より寄贈された原稿や書簡などが展示されています。
 
芙美子はこの家を建てるに当たり、我々の想像を絶する勉強と研究をしています。
 
まず、200冊程の参考書を求め、材料や大工に就いての知識を習得し、自らプランを作成し、大工の作品を見に行ったり、京都の民家を見学するなど、設計だけで1年を費やしています。
 
その拘りに芙美子はこう述べています。『東西南北風の吹き抜ける家と云ふのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけない事と、茶の間と風呂と厠と台所には、十二分に金をかける事と云ふのが、私の考へであった。
尚、設計は建築家の山口文象が当たっています。 
 
建築当時は建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と、画家であった夫の緑敏名義の仕事場の棟を別々に建て、その後すぐにつなぎ合わせています。(下の写真、左から2番目が接合部分)
 
屋敷の裏手には、高台になった庭園があり、上がってみると、建屋の全貌が把握できます。また、入組んだ屋根の美しさを観賞する事ができます。
数寄屋造りの民家風の住まいは、落ち着きのある佇まいを感じさせます。


新宿区立 林芙美子記念館 
 開館時間 10:00〜16:30 (入館は16:00まで)
 
休館日  月曜日(月曜日が休日の場合は、翌日) 年末・年始(12月29日〜1月3日)
 
入館料  一般 150 円 小・中学生 50 円
 
東京都新宿区中井2-20-1 03-5996-9207  中井駅から徒歩7分
 
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中井御霊神社
林芙美子記念館のある四ノ坂から西へ五・六と進み、「八ノ坂」を登ると左手に中井御霊(ごりょう)神社が現れます。
 
この辺りは落合遺跡に代表されるように、古代人の住居跡や永禄年間(1558〜1570)から伝わる神事の道具が存在するなど、歴史・文化的にも興味深いものがあります。

この神社の祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)で武の神と云われ、落合村小名中井の鎮守として、武士や公家の崇敬をうけたとされています。
また、安産・子育ての神でもあり、今なを妊婦や子供連れでの参詣が絶えない神社です。

古さの証その1は、正徳5年(1715)の銘がある狛犬。その2は天明年間(1781〜1789)と云われる手洗鉢。(おそらくそうなんでしょう)等が境内で見ることができます。
更に民族的にも興味あるものとして、次のものがあります。
 
分木
御霊神社の神事に「お歩射祭」と云うのがあります。この神事は、江戸時代から豊作を祈る民俗信仰として行われてきたものです。
 
歩射は神前から鳥居に掛けられた「まと」に向けて矢を射る。と云う方法で行われてきました。
分木はこの「まと」を作る道具、つまりコンパスとして使用されたものです。
分木には、漆銘で「永禄葵亥元和六年申年葛谷村江古分木分ヶ遺也」とあることから製作年は永禄6年(1563)と言われています。

歩射祭絵馬
歩射祭に関連する文化財として、「歩射祭絵馬」があります。
 
この絵馬は社殿に掲げられているもので、江戸時代における歩射祭の様子が描かれていますが、今日とはかなり違った様式の歩射祭となっているようです。
 
雨乞いのむしろ旗
江戸時代に、この地の農民が雨乞い祈願に用いたむしろ旗で、「龍王神」と墨書してあるものです。
 
当時の農民にとって、潅漑用の水路が整備されていない武蔵野台地での耕作は、降水量に左右される厳しい条件下にあったと思われます。
つまり、干害に襲われる事が多く、むしろ旗を立てて龍神に雨乞いをしたのではないかと思われます。
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