東京メトロ有楽町線・副都心線 電車旅
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池袋駅、8つの路線が乗り入れる日本No.2のターミナル。
この駅を通る3本の地下鉄、有楽町線と東京で最も新しい副都心線の共通路線に乗って和光市を目指します。
   
有楽町線・副都心線 氷川台駅 周辺

光伝寺
平和台駅から北東方面に歩いていくと、静かな佇まいの由緒あるお寺にたどり着きます...。
光伝寺 参道道のりは… 氷川台駅1番出口を左へ、ファミリーマートのある交差点を右に曲がりしばらく歩きます。光伝寺入口の信号を右に、坂を降りきった所のが光伝寺です。
 
参道の両側には紫陽花が植えられていて、開花の季節には目を楽しませてくれます。
こじんまりとした佇まいのお寺ですが、境内は綺麗に手入れされていて、訪れる人の心が引き締ります。
夏には盆踊りも開催されます。 

光伝寺の伝承
光伝寺 本堂光伝寺は「大明山無量院光伝寺」といい、創開当初は浄土宗でした。江戸時代の真言宗全盛期に豊山派に属したと言われています。
第一世は法印権大僧都公恵。 現在は長谷寺末ですが、第六世教意の時、金乗院慧龍から憲深方の法流を伝えて同寺の末寺となりました。
 
第十八世の教海は石神井川に架かる「弥右衛門橋(現在の正久保橋)」を、資材を投じ石橋にするなど、衆人の徳を集めた和尚であると伝えられています。今も当時の橋柱石が境内に保存されています。
 
また、境内には子育地蔵尊像がありますが、この石仏の由来として、寛政八辰年(1796)10月15日、下練馬村湿化味構中捨六名…とあり、「湿化味」がどこかは定かでないが、『新編武蔵風土記稿』によれば、下練馬村の小字名に湿化味、早淵、田柄 …と記されていることから、「湿化味」は小字名であると判断されます。
 
見どころ
境内には本堂、鐘楼、山門、観音堂、閻魔堂、子育地蔵があります。
 
樹齢100年の高野槙(こうやまき)は、秋篠宮悠仁親王お印の「高野槇」としてTVでも放映された区指定天然記念物です。
 

大明山無量院光伝寺 本尊:不動明王 開山:教恵 開基:安慶 本山:奈良長谷寺
札所等: 豊島八十八ヶ所霊場 第10番
東京都練馬区氷川台3-24-4  03-3933-3069  氷川台駅 徒歩6分
  

荘厳寺(しょうごんじ)
光伝寺から更に都立城北中央公園方面に歩いていくと、城北中央公園にほど近い傾斜地に荘厳寺があります。
ここの参道は珍しく、道路に対し斜めに通っています。大きな屋根の本堂が印象的です。

荘厳寺は「医王山不動院」といい、”開山長仁、天正二年(1574)二月十二日寂”と『新編武蔵風土記稿』にあることから、創開の歴史は古いと思われます。
 
また、寺に安置されている無量寿仏(阿弥陀如来)から胎内文書が発見され、寛文十年(1670)に住職の雪峻叟の記によるもので、無量寿仏造立に協力した信者名が記されているとのことです。
荘厳寺も光伝寺同様、江戸時代に真言宗豊山派になっています。



医王山不動院荘厳寺 真言宗豊山派 本尊:不動明王 開山:良仁 本山:奈良長谷寺
 札所等: 豊島八十八ヶ所霊場 第58番
 東京都練馬区氷川台3-14-26  03-3933-1934  氷川台駅 徒歩12分

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城北中央公園
城北中央公園荘厳寺から上板橋方向に歩いていくと、広大な林が見えてきます。
ここが、城北中央公園です。
 
石神井川沿いの起伏に富んだ地形に、運動施設や広場などをうまく配置し、桜、欅などを中心に約9千本の樹木で囲んだ緑の映える運動公園です。
 
練馬区と板橋区にまたがる広い園内には、競技場や野球場のような大きなものから、ゲートボール場のような小規模なものまで、多様なスポーツ施設を備えています。また、史跡や神社(御嶽神社)まであります。
 
茂呂山通りを隔てた反対側の低地は、「児童公園」と「こども広場」になっています。道路で分離された形になっているので、分園のような存在です。
 
子供からお年寄りまで、運動・散策にもってこいの公園で、充実した施設で充実した時間を過ごせ、お勧めの公園です。

園内にはイチョウ、ケヤキ、サクラ、ツツジなど9千本以上の樹木が植えられています。
特に桜の季節はお花見客で賑わい、場所取りに苦労します。(毎年頑張って行ってます)
 
秋にはどんぐり拾いが楽しめます。公園サービスセンターで園内の「どんぐりマップ」を配布しているので、お子さんと一緒にどんぐり拾いに挑戦してみてはいかがでしょう。恋人と2人でもいいかも。 5種類ほどのどんぐりがあるそうです。
 
園内にはコアラの餌として、11種約4千本ものユーカリを栽培している苗圃がありますが、意外と知られておりません。
 
陸上競技場 見えない貯水池
陸上競技場・児童公園は「見えない貯水池」という名の通り貯留提で囲まれた皿状の地形です。
 
大雨の時、近くを流れる石神井川へ急激に雨水が流れ込まないように、一時的な貯水池の役目をします。
 
史跡
茂呂遺跡史跡としては「栗原遺跡の竪穴住居跡」や「旧石器時代の茂呂遺跡」があります。
 
茂呂遺跡は東京都指定史跡で、出土品10数点のうち、ナイフ型の石器は「茂呂型ナイフ」と称されています。
 
栗原遺跡は1955年「立教学院総合運動場」造成の際、発掘された遺跡で、旧石器時代から平安時代にわたる複合遺跡です。
 
現在、ここには奈良時代初期の萱葺き家屋が復元されてます。(写真)
 

施設
  スポーツ施設 : 野球場(軟式2面)、小野球場(ソフトボール・少年軟式野球2面)、テニスコート(9面)、陸上競技場、ゲートボール場(2)
             体育館(板橋区立体育館)
  憩いの場所 : 児童公園、こども広場、けやき広場、都民の森
  売店 : 軽食、ソフトドリンク、酒類 営業時間 9:00〜17:00 定休日 12月から2月まで毎週火曜日 問合せ 03-3931-3650
  有料駐車場 : 平地自走 82台
 
花ごよみ シダレヤナギ:3月下旬 ユキヤナギ:4月 ヤマブキ:4月下旬 ユリノキ:5月 タイサンボク:6月 ハギ:9〜10月
 

都立城北中央公園 開園:昭和32年4月1日 面積:254,752.72u 
所在地:板橋区桜川一丁目、小茂根五丁目 、練馬区氷川台一丁目、羽沢三丁目
最寄駅:地下鉄 氷川台駅・東武東上線 上板橋駅 徒歩12分(至近地点)〜18分
問合せ:城北中央公園サービスセンター 03-3931-3650

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氷川台駅から高稲荷公園へ
石神井川(しゃくじいがわ)
氷川台駅1番出口を南へ1〜2分で、石神井川(四宮宿橋 しのみやじゅくばし)に出ます。
 
石神井川は小平市御幸町を源とし、田無市・保谷市・練馬区・板橋区を経由した後、北区堀船三丁目で隅田川に流入する約25kmの一級河川です。

練馬区を東西に横断する石神井川も、この辺りが1番の見どころで、桜が満開となる4月上旬は、川辺の遊歩道や公園でお花見の宴に興じる人たちでたいへん賑わいます。
 
石神井川沿いの桜は有名で、特に「としまえん」の園内から城北中央公園にかけてがお奨めのポイントでしょう。
この桜の木は現在の天皇陛下の生誕を記念して植樹されたと言われ、河面に枝を垂らす大木は見事なものです。
 
しかし、都条例による石神井川の河川拡幅工事の際、大部分が伐採され新たに植樹されたものです。高稲荷界隈には当時の古木が残っている処があります。
 
高稲荷公園
石神井川の川縁から台地に至る狭い平地にあるのが練馬区立高稲荷公園で、広場と子供の遊戯施設しかありません。
ところが、お花見の時期になると、さすがに桜の名所で、出店が並び、そこらじゅうで宴会が始まり、夜ともなると夜桜見物の人たちで相当な賑わいを見せるところです。

高稲荷神社
公園から石段を登ってたどり着いた台地に「高稲荷」という稲荷神社の小さな社があります。
古くからこの台地から石神井川を見おろしていた神社ですが、その由来についてはよくわかりません。
 
お浜井戸
氷川台駅付近の「氷川神社」の神事にまつわる地がこの「お浜井戸」と呼ばれるところで、氷川神社発祥の地と伝えられています。
3年に一度、4月の第二日曜に行われる氷川神社の神事の一つに「お里帰り」があります。
この「御神幸渡御」行列の先が、ご神体の旧地とされる「お浜井戸」だそうです。

何の変哲もない空地(きちんと囲いはしてありますが)に、ただ石碑が立っているだけですが、氷川神社を語るには必須な場所のようです。
お浜井戸へは前述の四宮宿橋を渡って直進し、道が狭くなる直前で右折、緩い坂を降りた辺りの左手にあります。この道は高稲荷へ通じており、高稲荷からは川縁の遊歩道の1本台地側の道を来ることになります。
 

氷川台から高稲荷公園を経て10分ほど上流に来ると、大きなイチョウの樹に囲まれた運動場があります。
ここはかつて中央大学のグラウンドとして使われていた場所で、ラグビー・サッカー場、馬術部、運動部寄宿舎などの施設がありましたが、
 
大学が多摩地区に移転してから、跡地は都営住宅として利用されています。なお、400mのトラックは区の管理のもと、そのままの形で一般に利用されています。
 
大きなイチョウの樹は、新緑から黄金色、葉を落とし枝だけにと、ここを通る人々に四季を告げてくれます。
特に紅葉の季節は、写真のように、川を挟んで紅のサクラと黄金のイチョウとが織りなす色のハーモニーに歩く足を止められてしまいます。
 
イチョウ並木の中央、糀谷橋(こうじゃばし)のたもとには「堰ばあさんの松」があります。案内札など読んでみましょう。
 
このまま川沿いを豊島園駅まで歩いてもよいし、川の対岸を通って再び氷川台に戻ってもよいでしょう。

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広徳寺
高稲荷公園から石神井川を5分ほど上った「新大橋」際の高台に広徳寺はあります。
広徳寺広徳寺は臨済宗大徳寺派に属し、最初の建立は1570年頃、相州箱根湯本早雲寺の子院として小田原に建てられ、その後、徳川家康に招かれ神田に創開し、更に寛永12年(1635)に下谷に移転しました。
 
幕府の庇護を受け待遇資格は大名寺としての格式にあり、諸藩主、旗本の香華所や宿院になっていました。
宿院としての塔頭が15院もあり、大名寺の威容を誇っていましたが、明治維新の政変や、関東大震災などが重なり変革を迫られ、昭和2年(1927)下谷から練馬に墓地を移すと同時に、塔頭である円照院を復興させて広徳寺別院としたとのことです。

昭和46年(1971)には下谷本坊もこの地に移っています。
 
大名墓碑
広徳寺を代々菩提所としていた大名の一部の墓碑を現在も見ることが出来ます。
越中富山前田家、会津松平家、柳河立花家、柏原織田家、園部小出家、常陸谷田部細川家、播磨安志小笠原家、日向高鍋秋月家、大和柳生家
などです。
 
柳生宗矩父子の墓
柳生宗矩の墓広徳寺墓地の見どころで、剣豪柳生父子3名の墓があります。

◇柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)(正保3年(1646)3月26日没)
   戒名 西江院殿但州大守大道宗活居士

◇長子 三厳 通称十兵衛(慶安3年(1650)3月21日没)
   戒名 長厳院殿金甫宗剛居士

◇第三子 宗冬 通称又十郎(延宝3年(1675)9月29日没)
   戒名 常林院殿前飛州大守法厳勝公大居士

広徳寺墓地にはこの他にも、文禄・慶長の乱で活躍した小堀遠州、立花宗茂や江戸時代の詩人菊池五山、菊池秋峯、大内熊馬(ゆうじ) などの墓があります。
 


圓満山 廣徳禅寺 臨済宗大徳寺派 本尊:釈迦牟尼仏 本山:京都大徳寺 開山:明叟宗普 開基:北条氏房
東京都練馬区桜台6-20-19 03-3991-0073 氷川台駅 徒歩15分
 
桂徳院
桂徳院は広徳寺塔頭の一つで、広徳寺と同一敷地内に建てられています。
桂徳院門は広徳寺の右隣にあり、門前に「ふりかえ地蔵尊」と刻まれた石柱があるのですぐに分かります。
 
桂徳院は慶長7年(1602)に、滝川壱岐守正利が滝川下総守雄親の菩提所として建立し香華所としたものです。
その後、寛永12年(1635)蒲岩和尚によって再興されましたが、安永六年(1777)に焼失しました。
 
明治に入り泰寿院と梅雲院を合併して再建し、泰寿院跡に移ったものの、大正の大震災で焼失。
仮堂を建てたが、今度は昭和20年に強制疎開によって建物全部を取り払われてしまいました。
 
昭和27年(1952)現在の地に移り、昭和30年(1955)現在の本堂庫裡が新築落慶するに至っております。
 
何とも打たれ強いというか、激動の暦を刻んできた桂徳院とは思えぬ静寂な佇まいをしています。

桂徳院 臨済宗大徳寺派 本尊:釈迦牟尼仏 開山:州甫和尚 中興:蒲岩和尚
東京都練馬区桜台6-20-18 03-3993-7995 氷川台駅 徒歩15分

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