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17番定林寺 16番西光寺 札所17番定林寺からは、駐車場を右に出て広い道に出たら左折。 市立病院入口の信号を右折するとすぐ左手に札所16番の道標が出てくるので左折する。 |
秩父霊場には3ヶ寺ある真言宗寺院の一つだ。他の観音霊場に比べると極めて少ない。
もっとも、八十八ヶ所の弘法大師霊場は真言宗の霊場だが。そういう意味では、観音霊場は複数の宗派で構成されているので、様式や信仰対象が様々で興味深い。
ここ西光寺は関東八十八ヶ所霊場の特別霊場にもなっている。
山門を入ると、正面に江戸中期に建立されたという数寄屋造りの大きな本堂がある。内陣には本尊の千手観音像が安置されている。その本堂脇から山門付近まで延びるコの字型の回廊堂がある。
天明三年(1783)の浅間山噴火により、秩父地方は降灰で農作物や家畜は大被害を被り、多数の犠牲者が出た。これが天明の大飢饉を呼び、百姓一揆など発生し世相は混乱した。
時の住僧 法淳はその供養と天下泰平を祈願し、四国八十八ヶ所の写し本尊を勧請し寛政七年(1795)廻廊堂を建立した。昭和51年(1976)には解体修理し、現在に至っているとのことである。
回廊堂に囲まれた中庭には、筆子塚と呼ばれる五輪塔がある。江戸から明治にかけて寺小屋が開かれ、その門弟(筆子)達によって立てられたものだと記されている。
五輪塔の後ろに2棟の小さなお堂があり、右側は四国八十八ヶ所に縁のある金毘羅堂で左側は十一面観音を祀る札堂である。
金毘羅堂には”金毘羅大権現”の額が掲げられているが、明治維新による神仏分離令によって神仏習合の金毘羅大権現は廃され、大物主神を主祭神とする金刀比羅宮などの神道の神社になっているのが世の趨勢である。
札堂は一般に納札堂といい、現在では納札を納札箱に納めるが、昔は巡礼者が木の納札を携え、納札堂に釘で打ちつけて納めていたとのこと。
秩父霊場中、西光寺にのみ残る納札堂である。
言われてみる様に、柱には釘跡が残っていた。
木製の納札は、市指定有形文化財として天文5年(1536)のものなど6点が30番法雲寺に残っている。
境内左手には茅葺屋根をのせた大きな酒樽がある。何だろうと行って見ると大黒天を祀るお堂だった。
何で酒樽なんだ!? 笑って良いのか悪いのか.....お参りだけはさせてもらったが。
色々と勉強になることが多い札所であった。
18番から逆に17・16と巡ったが、次は19番から順に25番までを回る。
20番からは県道72号線の沿道にあり、案内標識も整備され県道からも余り外れる事無く巡れるので、移動時間も少なくて済む。
話し込まなければ5時前には終われるだろう。