第21番 要光山 観音寺ようこうざん かんのんじ通称:矢之堂
札所本尊
聖観世音菩薩
宗派
 
真言宗豊山派
ご詠歌
 
あずさ弓 射る矢の堂に 詣できて
  願いし法に あたるうれしさ
ご真言
 
おん あろりきゃ そわか
所在地
 
埼玉県秩父市寺尾2354
0494-24-7263
最寄駅
本堂
道のり  
20番岩之上堂 21番観音寺
札所20番岩之上堂からは、県道72号線を秩父ミューズパーク方向へ少し行ったところ。
駐車場は道路の左側、観音寺は道路の右側。

参拝メモ

観音寺は県道沿いにあり分かりやすい札所だ。寄棟造りの観音堂は珍しく瓦葺だが、この堂は再建された堂である。
向拝
案内板によると、大正12年に近隣の小学校が火災に遭い、観音寺は類焼より全焼してしまったという。
聞いてみると、翌年、小鹿野町にあった寺院の解体材で観音堂を再建したとのこと。

また、この地は元八幡宮の社地であり、神託によって観世音の霊場になったとも記されてあった。
境内を見回すと、真新しい手水舎の奥に赤い鳥居と八幡宮の社がある。

奉納絵馬向拝の「秩父廿一番」と書かれた大額はよく目立つが、その上に青い色で「矢之堂」と書かれた扁額が紅梁に掛かっている。案内板にもあったが、この観音堂は通称「矢之堂」と呼ばれているらしい。
これらの事は、観音堂正面左側に掲げられた奉納絵馬にも書かれてあった。

本尊の聖観音像は火災の難を逃れたので、地元の人々は”火除けの観音さま”と呼んでいるらしい。

納経所のある庫裏は新しい感じがするが、こちらは平成9年に建立されたそうだ。

境内には六地蔵をはじめたくさんのお地蔵さんや、宝暦14年に建立されたと言う宝篋印塔も立っている。
秩父で宝篋印塔を見るのは珍しい。鎌倉の、特にやぐらと呼ばれる横穴墳墓には必ずと言って良いほど宝篋印塔がある。
地蔵群


観音寺ご朱印Memo

宝篋印塔 宝篋印塔
宝篋印塔という名称は、中に「宝篋印陀羅尼」とういう経典を収めたことに由来する。
鎌倉時代中期から造立が盛んになったといわれており、鎌倉の寺院や崖になった部分に掘られた"やぐら"に多く見られる。
用途は供養塔や墓碑塔として用いられる事が多い。構造は下から基部・塔身・笠・相輪で構成されており、塔身には凡字が彫られていて、笠や相輪に種々デザインが工夫されている。
写真は坂東3番の鎌倉安養院の宝篋印塔(重文)である。






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