諸國放浪紀江戸三十三観音霊場
第13番 神齢山 護国寺しんれいさん ごこくじ
正式名称
  神齢山 悉地院 護國寺
宗派
 
真言宗豊山派-大本山
本尊
 
如意輪観世音菩薩
御真言
 
おん はんどま しんだまに
  じんばら うん
ご詠歌
 
諸々の 苦悩を救う 観世音
   大悲の恵み 尊とかりける
他の霊場
 
御府内八十八ヶ所 第87番
所在地
 
文京区大塚5-40-1
03-3941-0764
最寄駅
 
有楽町線 護国寺駅 1番出口 2分
公式サイト
本堂
道のり  
12番伝通院 13番護国寺
12番伝通院からは、伝通院前から都バス 都02系統 池袋駅東口行に乗車、護国寺正門前で下車。但し、1時間に2〜3本と少なく、運行本数の多い 都02系統 大塚駅前行に乗車、大塚三丁目で下車して歩いた方が早く着けるかも知れない。
参拝メモ

有楽町線護国寺駅を出ると、目の前が護国寺である。
護国寺は徳川家五代将軍綱吉公の生母、桂昌院の発願により、天和元年(1681)に創建された寺である。
開山は大聖護国寺の亮賢僧正、本尊は桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像であるが、非公開のため前立の木造如意輪観音像を拝むことができる。

仁王門 不忍通りから境内に入ると、丹塗りの仁王門がある。

桁行11.5m,梁間6m、切妻造りの重厚な感じの八脚門で、表側両脇間に金剛力士像が、背画両脇間には増長天、広目天が安置されている。

山号「神齢山」と書かれた扁額が掲げられている。 周囲には無数の千社札が貼られ汚いのが残念である。
門手前右側には、「大本山 護國寺」と刻まれた大きな石標が立つ。

仁王門から奥へ進むと、広い空間の中、右手に本坊のビルが見える。
石畳を更に進むと正面に石段がある。
手水舎 石段手前両脇に手水舎が建っている。傍らには、手水舎に置かれた「唐銅蓮葉形手洗水盤」に関する由緒書があり、手洗水盤は開基桂昌院の寄進である旨書かれてあった。

元禄10年(1697)頃の鋳造で、江戸鋳物師椎名伊豫良寛の作であるという。
江戸名所図絵にも描かれているといから、著名な水盤であろう。

石段を登ると、中腹に門がある。
不老門階段の途中に門があるのは珍しい。
京都の鞍馬山の山門を模して昭和13年(1938)、三尾邦三氏の寄進により建立された門だという。
確かに鞍馬山の山門に似ているが、規模は小さい。

梁に掲げられた額に「不老」の文字が書かれている。徳川家達公の書によるものだそうだ。
故にこの中門は、「不老門」と呼ばれている。

本堂
本堂前不老門を通り抜けて更に石段を上ると、広い上の境内に出る。
石畳の先には7間四方の大きな本堂が建っている。

元禄10(1697)年建造の本堂は、大正の大火で焼失したため、同時期に建てられた観音堂を移築して本堂としたという。

銅板葺き単層入母屋造に、大きな流れ向拝を付した大建造物で、元禄文化の様相を伝える貴重な建物で、国重文に指定されている。
正面右側の障子戸が拝観入口で、外陣から拝観することができる。



本堂周辺の堂宇
多宝塔石段を上がった左側に建つのが多宝塔で、滋賀県にある石山寺の多宝塔を模し、昭和13年(1938)に建立されたもの。

二重の宝塔で、初重は三間四方、上層部の軸部が円柱形になっている。
上下層の連続部は亀腹形。


月光殿本堂に向って左側に建つ書院造の建物は月光殿といい、大津市の三井寺塔頭の日光院客殿であった。

桃山時代の建立で、織田信長の時代に大修理を施したと説明された。

昭和3年(1928)、品川御殿山を経て護国寺に移築されたという。
桟瓦葺きの単層入母屋造りで、正面軒に唐破風を付してある。現在、国重文に指定されている。

薬師堂
薬師堂
月光殿の右奥、本堂の左手には薬師堂が建っている。
元禄4年(1691)に建立した一切経堂であったものを移築して薬師堂としたという。
三間四面の棧瓦葺宝形造で屋根に青銅製の宝珠を載せている。





鐘楼
鐘楼
本堂に向って右側には、 現在では珍しい形式とされる袴腰付重層入母屋造の鐘楼が建っている。

江戸時代中期に建立されたものと言われ、「江戸名所図会」にも描かれているなど、貴重な文化遺産であるといえる。

鐘楼には、天和2年(1682)銘の梵鐘が掛かっている。


御府内八十八ヶ所霊場になっている
大師堂
鐘楼から一段下がった左側に大師堂が建っている。
大正の火災以降の大修理の際、元禄14年(1701)建立の薬師堂であったものを移築したとされている。
棧瓦葺の寄棟造に流れ向拝を付した、シンプルな形状な中に歴史を感じさせる堂宇である。
中には、弘法大師、興教大師、本覚大師が安置されている。
御府内八十八ヶ所 第87番の霊場である。

また、手前に立つ石灯籠には寛政2年(1790)の銘がある。
その手前左側には筆塚(写真右)が立っている。

大師堂筆塚

護国寺には不忍通りに面して3つの門がある。一番東にある堅く閉ざした門は、それとなく雰囲気でも感じ取れるが、宮内庁管轄の豊島ケ岡御陵である。
明治6年(1873)に明治天皇の第一皇子の墓所となって以降、 天皇家並びに宮家の墓所となっている。
宮家には現存する高円宮家の墓所もありますが、断絶や皇籍離脱した北白川宮・秩父宮・東久邇宮家の墓所もある。
我々は参拝できないので、門外より拝するしかない。


Memo
  護国寺朱印  
創建
天和元年(1681)
  開基 桂昌院
  開山 亮賢
  納経所 本堂内の受付
     
  駐車場 仁王門内に駐車スペースがある
仁王門左側から入る
     
     
       



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