諸國放浪紀江戸三十三観音霊場 仏に出会う旅 HOME 仏に出会う旅 江戸三十三観音霊場
第15番 光松山 放生寺こうしょうさん ほうじょうじ
正式名称
  威盛院 光松山 放生寺
宗派
 
高野山真言宗 - 準別格本山
本尊
 
聖観世音菩薩
御真言
 
おん あろりきゃ そわか
ご詠歌
 
人多く たち集まれる 一の宮
   昔も今も 栄えぬるかな
他の霊場
 
御府内八十八ヶ所霊場 第30番
所在地
 
新宿区西早稲田2-1-14
03-3202-5667
 
最寄駅
 
公式サイト
道のり
 
3回目の打出しは早稲田の放生寺から。
東西線 早稲田駅2番出口を出て左へ進み、早稲田通りの馬場下町交差点にでる。交差点を渡って諏訪通りに入ったところに参道入口がある。

※14番金乗院から来る場合は、学習院下駅から荒川線で終点早稲田駅に向かう。
都電早稲田駅からは徒歩約11分の距離。
参拝メモ

3回目は早稲田の放生寺から。そして、神楽坂−中野−四谷−神谷町−大門と大きく移動する。
地下鉄の路線図と出口案内をしっかり見て行動しないと迷ってしまう。

放生寺の沿革
寛永18年(1641)、高田八幡(現穴八幡宮)の造営の際、別当寺として開創されたのが始まりとされる。
当初より徳川家の篤い庇護をうけ、慶安2年(1649)三代将軍家光公ご参詣の折、寺号「威盛院光松山放生會寺」を賜ったとのこと。徳川家代々の祈願寺としての寺格を有していた。
穴八幡とは同一の境内にあり、放生寺住職が社務を担ってきたが、明治の神仏分離例により寺域が2分され、廃仏毀釈により本尊の聖観世音菩薩像は現在の地に遷された。
以降、徳川家由来の観音霊場として信仰を集めた。

融通虫封観世音
本尊の聖観世音菩薩は通称「融通虫封観世音(ゆうずうむしふうじかんぜおん)」と呼ばれ、子供の疳の虫封じにご利益があると昔から言われいる。

境内の諸仏
本堂前には、馬頭観音像・2体の水掛け地蔵・神変大菩薩・厄除大師(弘法大師)が祀ってある。

馬頭観音は、頭上に馬の顔を置き、目を吊り上げ、牙を剥き出した忿怒の表情をしている。
通常、観世音菩薩は穏やかで優しい表情だが、この菩薩様だけは別格。しかし、馬頭観音は怒りが強く大きい程、内には人を救う力、慈悲の心が大きいとされている。

この水掛け地蔵は、子育てにご利益があるとされ、また水子供養にお参りすることも多い。

神変大菩薩は、 所謂「役の行者」と呼ばれる修験道の開祖で、神仏習合に基づいた修行をした。
山岳信仰を基盤とし、山野を駆け巡って修行をしたことに由来し、足腰の弱い方を救うと言われ参詣者が多い。

厄除大師、所謂弘法大師の修行時の姿をした像で、42歳の厄年に四国を巡錫したことに因んで厄除大師と呼ばれている。大師像の周りには四国八十八ヶ所の土が納めてあり、お砂踏み場となっている。
御府内八十八ヶ所霊場の第30番札所にもなっている。

放生会
捕らえた魚、鳥、動物などを殺生する事無く、河川、林野に放す法事で、毎年10月の体育の日に行われている。元来、放生会は八幡宮で行われてきた行事で、放生寺が隣接する穴八幡宮の別当寺であったことが由来しているのかどうか。


Memo
  金乗院朱印  
創建
寛永十八年 (1641)
  開基 良昌上人
     
  納経所 本堂内の受付
     
  駐車場 駐車場は無く、諏訪通りに面してコインパーキングがある
     
     
       
       



近くの参詣スポット

穴八幡宮
放生寺の隣にあり、「江戸八所八幡」の一社である。
そもそも、放生寺は穴八幡宮の別当寺であったので、その意味合いは深い。
放生寺と同様、冬至から節分までの間、「一陽来福」の御守が授与される。

 江戸八所八幡 穴八幡宮


Map


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )


Prev     Next


諸國放浪紀

inserted by FC2 system