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18番真成院 20番天徳寺 18番真成院からは、地下鉄を乗り継いで神谷町で下車する。 3番出口を出たら左へ。このまま行くと天徳寺の裏に出てしまうので、コインパーキング脇の路地を入り天徳寺前の道路に出る。 そのまま左に進めば入口に着く。 |
天徳寺は、江戸時代には江戸浄土宗四ヶ寺の一つとして寺格も高く、愛宕山西側一帯を寺域とするほどの大きな寺院であったらしい。
創建は天文2年(1533)と古く、江戸城紅葉山に庵を開いたのが始まりだという。
後の天正13年(1585)霞ヶ関に移転、更に江戸城拡張のため、慶長16年(1611)現在地に移転したと言われている。
どれが本堂?
桜田通りの裏通り的な一方通行を歩いて行くと、塀に囲まれた天徳寺が見えてくる。
塀に沿って いつもタクシーが路駐している。休憩なのか、無線待ちなのか知らないが必ず駐車している。
その車が避けている部分が天徳寺の入口である。
門前の左側には「西之窪観音」と刻まれた石標が建っている。
中に入ると、そこは多くの樹木に覆われた境内である。右手に本堂らしき木造の建物が建っている。貼紙がしてあって、観音様をお詣りする人はインターホンで呼ぶよう記載されてあった。
早速呼んでみると、若い女性が出てきて中へ案内された。
この建物は仮本堂だそうだ。
天徳寺は呆れるほど火災に遭っている。元和3年,明和3年,安永元年,嘉永3年,明治8年と5度である。更に大正12年(1923)の関東大震災により再び堂宇を焼失してしまった。
その直後に建てた仮本堂が、現在のこの堂宇である。
堂内左端に札所本尊の聖観音が祀られてあった。
お詣りを済ませ、納経印をお願いしている間に、境内を散策した。
本堂
境内西側奥に二層八角の美しい形をした堂宇が建っている。
扉が閉ざされ、堂内を窺い知ることはできないが、正面に「天徳寺」の扁額が掲げられている。
平成17年(2005)に新築された建物だそうだ。
八角形の頂点には鬼瓦が載せられ、その鬼が口を開けて威嚇している。
鐘楼
仮本堂と相対した位置にある鐘楼は、本堂とイメージを統一したのか、これまた奇抜なデザインである。
ドーム型のような12角形をした屋根である。
吊り下がる梵鐘がベルだったら、教会でも通用するかもしれない。
平成19年(2007)の建立とあるから、まだ新しい鐘楼だけど、梵鐘は古い。寛永12年(1635)に鋳造された梵鐘で、23区内に現存する梵鐘としては最古のものだそうだ。
石仏と墓石
門を入った左手に2基の墓石と石仏3体が立っている。
墓は高芙蓉と河井筌廬(せんろ)の墓だそうだ。
高芙蓉(1722〜1784)は篆刻(てんこく)家・画家である。河井筌廬(1871〜1945)もまた篆刻家である。
墓石の右側の石仏は阿弥陀如来、次が如意輪観音、一番右が聖観音。
創建 |
天文二年 (1533) | |||
開山 | 三蓮社縁誉称念 | |||
納経所 | 庫裏 | |||
駐車場 | 周囲にコインパーキング多いが料金高い | |||
21番増上寺へ向う途中に28番金地院があるので、先に金地院を訪れるのが効率的。
天徳寺は愛宕山の麓にあるので、愛宕山に登って愛宕神社を参拝するのもよい。
天徳寺を出て左に行くとT字路があり、右に愛宕トンネルが見える。トンネル脇の山へ上がる階段で愛宕山の頂に行く。
愛宕神社
防火、防災にご利益がある。
主祭神 火産霊命(ほむすびのみこと)
社格等 旧村社