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4回目の打出しは、渋谷駅から都営バスで南青山7丁目の長谷寺へ。 この区間を走るバスは2〜4分間隔と多いので、時刻を気にする事無く利用できる。 21番増上寺から来る場合は、大門駅から大江戸線で六本木駅へ来て、渋谷駅行きのバスに乗る。 |
4回目の巡礼は、麻布観音 長谷寺から梅窓院・魚藍寺へと電車・バスによる移動だが、後半はすべて徒歩による歩き巡礼となる。
長谷寺は、”はせでら”ではなく”ちょうこくじ”と読み、福井県にある曹洞宗大本山 永平寺の東京別院である。 永平寺と同様、「僧堂」というお坊さんになるための研修施設を持つ、曹洞宗の修行道場でもある。
長谷寺の開創は、慶長3年(1958)徳川家康公の命により、2万余坪の寺領を賜り、高僧門庵宗関禅師が開山と伝えられている。
観音堂(最上部写真)
山門を入ってすぐ右手に建っているのが観音堂。
現在の観音堂は、間口6間,奥行7間の重層入母屋造りの大きなお堂である。
長谷寺開創以前から観音堂は存在し、小さな観音像が祀られてあったという。
正徳6年(1716)、元々あった小さな観音像を胎内に納めた大観音像が建立され、江戸観音霊場の札所となり民衆の信仰を集めたと聞く。
昭和20年(1945)、戦火により伽藍共々観音堂は焼失しまった。三十余年の後、観音堂再建の働きがあり、およそ十年程後に現在ある麻布大観音及び観音堂が再建されたのだという。
麻布大観音と呼ばれる十一面観音像は、樟の一木彫りで像高3丈3尺(約10m)、右手に錫杖を持ち、左手には水瓶を持つ「長谷寺式十一面観世音菩薩」である。
制作は日本芸術院会員の大内青圃氏によるものである。
都心にあって、この大きな観音さまを拝見するとは思わなかった。
御守を売るおじさんとしばし歓談をし、ゆっくりと観音さまを拝見することにした。
因みに大きな長谷寺式十一面観音像には、大和長谷寺:10.18m 鎌倉長谷寺:9.18mがあり、麻布観音は国内最大クラスの木造観音像といえる。
前述2体が金色の観音像であるのに対し、麻布観音は金が施されてなく、質素と言うか曹洞宗らしさを感ずる姿である。
本堂
大山門から敷かれた石畳は、建ち並ぶ堂宇の最奥にある本堂へと続いている。
棟の高いどっしりとした入母屋の屋根に流れ向拝を付した総檜造りの本堂である。
縁を巡らせてないので、向拝へ一段上るだけで参拝ができる。
内陣中央の須弥壇には、本尊釈迦牟尼佛を祀り、道元禅師・瑩山禅師像が安置されている。
外陣外側は僧堂、大庫院を結ぶ通路にもなっているらしく、時折、参拝している我々の前を僧が通行している。
必ず正面で立止まり、須弥壇の方を向いて一礼をしていく姿は、大本山永平寺でもよく見る光景である。
僧堂
本堂左手に建つ堂宇は僧堂と呼ばれ、修行僧が座禅・打眠(僧が眠ること)・食事など厳格な修行生活を送る修行道場である。
修行僧は、 文殊菩薩を囲む形で土間に一畳が与えられ、日々前述の修行を行う。
曹洞宗では三黙道場といわれ、 東司・浴司とともに静かに行動する場所でもある。
長谷寺の僧堂は専門僧堂であり、僧侶が住職の資格を得るため、一定期間修行する研修道場になっている。
一般は立入ることができないが、毎週月曜日の午後7時〜午後9時に一般を対象に座禅会が行われているので、参加してみるのも如何なもんでしょう。
鐘楼
山門を入ってすぐ左側の鐘楼は、昭和50年(1975)に再建された鐘楼堂。修行僧が一撞一礼で撞くとのこと。
何時に撞くのか、観音堂のおじさんに聞いてみればよかった。
創建 |
慶長三年(1598) | |||
開山 | 門庵宗関大和尚 | |||
納経所 | 大庫院にある寺務所 | |||
駐車場 | 大庫院前や東屋脇など駐車スペースはある | |||
墓所には、エノケンこと喜劇王 榎本健一氏,歌手 坂本九氏など著名人が多く眠っている