諸國放浪紀江戸三十三観音霊場
第23番 金龍山 大円寺きんりゅうさん だいえんじ
名称
  金龍山 大圓寺
宗派
 
曹洞宗
札所本尊
 
聖観世音菩薩
本尊
 
釈迦牟尼仏
御真言
 
おん あろりきゃ そわか
ご詠歌
 
逆縁も 漏らさで救う 観世音
  我が身はなれず 添いたもうなり
他の霊場
 
御府内八十八ヶ所霊場 第30番 
所在地
 
文京区向丘1-11-3
03-3813-1321
最寄駅
道のり  
10番浄心寺 23番大円寺
札番通りなら、10番浄心寺から11番の圓乘寺に向かう。でも、拘らず23番の大円寺へという向きには浄心寺から本駒込駅方向に進み、道路の反対側にある向丘高校の裏側を目指す。
向丘高校の先に細い路地があり、道なりに行けば大円寺に出る。
その道が分かりづらい場合は、本郷通りを向丘2の交差点まで行き、左折し、次の白山上交差点をR17号の方へ更に左折、大円寺入口まで進む。
向丘高校の裏手ということを覚えていれば迷わないと思う。
参拝メモ

文京区の観音霊場では唯一の禅宗寺院である。
開創は慶長2年(1597)と古く、開山は群馬県館林の茂林寺十二世久山正雄大和尚が努め、開創当初は神田柳原にあったが、慶安2年(1649)に現在地に移った。
9代将軍家重公時代の老中で、出羽国庄内藩5代藩主酒井忠寄の母 東陽院殿華巖貞春大姉の帰依を受け江戸の菩提寺となった。
現在も末寺3ヶ寺を有する。

ほうろく地蔵
山門を入ると突当りに小さなお堂がある。
中に祀られているのは、「ほうろく地蔵」と呼ばれるお地蔵さんで、火あぶりの刑に処された「八百屋お七」を供養するために、享保4年(1719)、江戸湯島の渡辺九兵衛なる人物の寄進によって建立された。

頭に焙烙を載せたお地蔵さんは、頭痛、眼病、耳・鼻等の首から上の病気を治すご利益があるといわれ、多くの供え物でお堂の中が一杯になっていた。

本堂
大圓寺は、江戸年間に幾度となく大火に遭い堂宇を焼失、昭和初期に新本堂が建立され観音像7体が奉安された。 ところが、東京大空襲によりまたもや全焼してしまった。後に堂宇も復興し、七観音像も復元された。

本堂には、本尊の釈迦牟尼仏はじめ大日如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩、弥勒菩薩、虚空蔵菩薩が祀られ十方三世一切仏(十方三世一切仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜)の道場となっている。
写真右は本堂前に立つ観音像。

高島秋帆・斎藤緑雨の墓
高島秋帆・斎藤緑雨の墓があると案内看板に記されてある。
高島秋帆(1798年〜1866年)は、江戸時代後期・幕末期の砲術家で、高島流砲術の創始者であるという。
余り聞いたことのない人物だが、この墓は、国指定史跡になっている。

斎藤緑雨(1868年〜1904年)は、明治時代の小説家・評論家。法名春暁院緑雨醒客居士、墓碑銘は幸田露伴の書よるものだそうだ。


Memo
  金乗院朱印  
創建
慶長二年( 1597
  開山 久山正雄
  開基 石河勝政
  納経所 本堂右の庫裏
     
  駐車場 本郷通り沿いにタイムズ向丘第4・第2がある
     
     
       
       



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