諸國放浪紀江戸三十三観音霊場
第31番 海照山 品川寺かいしょうさん ほんせんじ通称 品川観音
正式名称
海照山 普門院 品川寺
宗派
 
真言宗醍醐派−別格本山
札所本尊
 
水月観世音菩薩・聖観世音菩薩
本尊
 
聖観世音菩薩
御真言
 
水月観音
おん びしゅだ はんどま さとば けいた そわか
聖観音
おん あろりきゃ そわか
ご詠歌
 
夕つぐる 鐘の響きに 帰りませ
   救世の観音 ここにまします
他の霊場
江戸六地蔵 第1番
東海三十三観音霊場 第21番
所在地
 
品川区南品川3-5-17
03-3471-0418
最寄駅
  京急線 青物横丁駅 4分 
公式サイト
  品川寺 ホームページ 
品川寺本堂
道のり  
番外海雲寺 31番品川寺
番外海雲寺からは、山門を出て、左に進むこと約2分で品川寺に到着。
参拝メモ

海雲寺を出て北の方向に歩くと、左手に大きな地蔵尊が坐っている。
品川寺山門脇を擦り抜けて奥に進むと山門がある。品川寺(ほんせんじ)は緑に囲まれた寺院である。

品川寺の歴史は古い。大同年間に弘法大師が関東を巡錫した際、当地の領主品河氏に「水月観音」を授けたのが始まりと伝わる。
長禄元年(1457)太田道灌の江戸城構築の時期、当地に伽藍を建立し、水月観音と道灌持仏の聖観音を安置した。およそ百年の後、武田信玄による北条氏政攻略の際、伽藍は焼き払われてしまったのだそうだ。信玄...とんでもない奴。

寛文元年(1652)4代将軍家綱公より四千八百坪の寺領を賜り、大伽藍を建立したそうだ。
その後、松平讃岐守・阿波守,太田備中守三家の外護のもと大名の祈願所として隆盛を極めた。
明治維新以降、一時荒廃したものの、大正・昭和には諸堂、山門等の建立が続き復興がなされたという。

本堂
山門の先は境内が広がっており、右手奥に本堂が建っている。
新しい感じのデザインで、靴のまま中に入れた。
堂内は外観とは違い、寺院らしさが漂っている。礼拝する場所の隣には、お札・御守等を売るカウンターがあった。

堂内には、本尊の水月観音・聖観音、東海七福神の毘沙門天(江戸期作)、薬師三尊の薬師如来・日光・月光菩薩、不動明王、弘法大師坐像などたくさんの仏像が安置されている。

境内左奥には龍宮城の雰囲気がする弁天堂が建っている。
中に入ってみると、カラフルな弁才天が祀られていた。
ん?琵琶を持っていない。品川寺の弁才天像は琵琶を持たず、手が八本ある八臂弁財天であった。
八本の手には剣・弓・矢など武器を携えている。
品川寺が同じく境内に祀られている稲荷堂と共に守護神といっている意味が理解できた。

弁天堂八臂弁才天

地蔵菩薩坐像
地蔵菩薩坐像前の道路に面して立っている、じゃなく坐っている地蔵菩薩像は、青銅製で座高2.75m。
宝永5年(1708)に寄進された像で、神田鍋町(現千代田区鍛冶町)の鋳物師・太田駿河守正義によって鋳造されたものだそうだ。

江戸六地蔵の一つ、第一番の地蔵尊像である。
現存する他の地蔵像も拝見したが、六地蔵の中で傘を被ってないのは品川寺の地蔵像だけだ。実際この話はよく聞く。
酸性雨によるものなのか、顔が可哀そうな感じになっている。何とかしてあげればいいのに...。

ここから、電車・バスを乗り継いで世田谷区の観音寺に向う。

Memo
  朱印  
創建
大同年間 (806〜810年) (伝)
  開山 (中興)弘尊上人
     
  納経所 本堂内の授与所
     
  駐車場 境内へ駐車可能
     
     
       
       





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