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31番品川寺 32番観音寺 31番品川寺からは、青物横丁駅を通り越して大井町駅に向かう。東急大井町線に乗車、自由が丘で東急東横線に乗換え祐天寺駅で下車。 祐天寺から東急バス(黒06系統)三軒茶屋行に乗車、世田谷観音で下車。 |
観音寺は、世田谷の住宅街と学芸大付属高校に囲まれた静かな環境にある。
祐天寺駅(または三軒茶屋)から東急バスで来ると、観音寺の裏手に停まるので裏門から百八煩悩滅除階段を上って境内に入る。
百八といっても108段あるわけではなく、108枚の板石で造られているというもの。
そのまま境内を通り越して仁王門を出てみる。
仁王門の前には、どうやって入手したのか分からないが、由緒高いらしい狛犬が立っている。
重厚な屋根の仁王門は、他から移築してきた建物らしいが、屋根だけ見ると神社の拝殿のようである。
広い境内に多くのお堂が建つ観音寺は、昭和26年(1951)開基睦賢和尚が独力で建立した単立の祈願寺であるという。
本堂
仁王門から真直ぐ続く敷石の先に建つのが、三間四方、宝形造りのよく見るタイプの観音堂である。
観音堂は観音寺本尊聖観音を祀る本堂である。
寺の説明を読むと、本尊聖観世音菩薩はかつて伊勢長島(三重県)の名刹興昭寺の秘仏であったが、昭和26年5月13日、浅草寺に開眼の法を修され安置した。とある。 〜そうなんだと思うしかない。
脇侍に日光・月光菩薩が安置されている。本来は薬師如来の脇侍として祀る仏像だけど...。
淡いブルーの優しいマリア観音も祀られていた。
マリア観音は、秀吉のバテレン追放令や江戸期のキリシタン禁止令で弾圧を受けた者達によって礼拝対象とされた像で、聖母マリアに擬せられた観音菩薩像である。
特攻観音堂
本堂の左側に建つ一回り小さめなお堂は、特攻平和観音像を祀る特攻観音堂呼ばれるお堂である。
納経所の方が、鍵を開けてあるからお参りくださいと勧められたので、お堂中に入ってみた。
中は割りとすっきりしていて、2体の特攻平和観音が安置されていた。
胎内には、太平洋戦争で特攻作戦に若い命を捧げた陸軍2,000柱及び海軍2,615柱の英名が奉蔵されているとのこと。天井には菊の御紋が見られた。
六角堂(不動堂)
仁王門と池の間に立つ2重屋根の六角堂には、国指定重文の不動明王像が祀られているとのこと。
八大童子を従えた不動明王像は、国内では2体しか残っていないとのことなので、貴重な文化財である。
これらの不動明王と八大童子は、廃寺になった奈良県天理市・内山永久寺から移されたものである。
それにしても、単立の寺院でよく色々な物件が集まるものだと感心する。
毎月28日のお不動さんの命日には、不動堂の御開扉と護摩厳修が行われるので拝見してみようかと....。
因みに、八大童子とは不動明王に脇侍する童子で、
制多迦童子(せいたかどうじ)・矜羯羅童子(こんがらどうじ)・慧光童子(えこうどうじ)・慧喜童子(えきどうじ)・清浄比童子丘(しょうじょうびくどうじ)・烏倶婆伽童子(うぐばがどうじ)・指徳童子(しとくどうじ)・阿耨達童子(あのくたどうじ)をいう。
境内(堂外)の仏像
観音寺の諸堂には感心するほど多くの仏像が安置されているが、堂外にも文殊菩薩・馬頭観音・七福神石像・地蔵菩薩・観音菩薩など立っている。
中でも珍しいのは池の中に立つ「夢違観音」で、悪い夢を良い夢に変えてくれるそうだ。
観音寺というだけあって色々な観音さまがおられるが、夢違観音はオリジナルかと思ったら、割と各地に存在していて、観音寺の夢違観音は法隆寺の夢違観音を拡大模写したものだそうだ。
模写かぁ....。なんか悪い夢見た気がする。
仁王門の外に地蔵菩薩がおられる。観音寺では「代受苦菩薩」と説明されていたが、我々衆生の苦を代わりに受けて下さる菩薩で、よく言われるところの「身代わり地蔵」である。
しっかりとお願いしてきちゃいました。
地蔵菩薩像の隣に立っているのは「あゝ特攻勇士之像」で、特攻隊員の服と帽子をかぶっている。
特攻観音堂に関連した像であると思う。
千羽鶴がいくつも掛けてあった。
旧小田原藩代官屋敷
地蔵菩薩像の後ろに建つ塀に囲まれた建物は、旧小田原藩代官屋敷で観音寺の本坊になっている。
門の中に入ると、花を咲かせ始めたばかりの梅の木が植えられており、しばし観梅となった。
創建 |
昭和 26年( 1951) | |||
開山 | 太田睦賢 | |||
納経所 | 仁王門を入って右側の寺務所 | |||
駐車場 | 境内に駐車可能あり | |||
但し、催し物があるときは駐車できない場合がある | ||||
観音寺のバス通りを除く周囲の道路は一方通行なので、駐車場入口を探す際は要注意。