諸國放浪紀江戸三十三観音霊場
番外 龍吟山 海雲寺りゅうぎんさん かいうんじ通称 品川の荒神さま
正式名称
龍吟山 瑞林院 海雲寺
宗派
 
曹洞宗
本尊
 
十一面観世音菩薩
御真言
 
おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌
 
龍吟じ 品川の海に 雲おこり
   み仏の慈悲 ありがたきかな
他の霊場
 
東海七福神 寿老人
所在地
東京都品川区南品川3-5-21
03-3471-0418
最寄駅
 
公式サイト
  海雲寺|品川千躰荒神王 
海雲寺本堂
道のり  
30番一心寺 番外海雲寺
30番一心寺からは、京急線 新馬場から1駅移動の青物横丁駅下車。駅の前に海雲寺はあるが、入口は東側なので、お寺に沿って半周回る。
参拝メモ

青物横丁駅の改札を出て、右側の出入口から外に出ると目の前が海雲寺である。
海雲寺の入口は駅と反対側にあるので、寺に沿って移動する。

海雲寺は、頂いた略縁起によると、建長3年(1251)僧不山によって開基。当初は臨済宗で庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺境内にあった。
慶長元年(1596)海晏寺五世の分外祖耕大和尚を開山として曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)に寺号を改め「海雲寺」となった。…とある。
鎮守として千躰三宝大荒神王を祀っており、こちらの方が有名で、春秋の大祭時には露店が軒を連ね大いに賑わうのだそうだ。

どちらが本堂?
千躰荒神堂山門を抜けると、正面に鰐口と大鈴が付いた入母屋造りに唐破風の向拝を付したお堂が建っている。
本堂かと思いきや、こちらは千躰荒神堂である。

祀られている千躰三宝大荒神王像は、インドの毘首羯摩の作と伝えられ、インドの護法神である。

三宝荒神は台所の火と水を守る神様で、江戸時代から竈の神様として信仰されてきた。
一般家庭でも、古くからある家などには、台所に神棚を祀り、お札を納めてあるのを見たことがあると思う。

こちらが本堂でした。
鐘楼堂境内中央に地蔵尊像があり、その右側にはどっしりと重厚な感じの鐘楼堂が建っている。
その脇にも、もう一本の参道が延びている。
その先にあるのが、十一面観世音菩薩を本尊として祀る本堂である。(最上部の写真)

鰐口も賽銭箱もなく、千躰荒神堂と比べると質素で静粛な感じを受ける。 予備知識がなければ、まず間違えてしまう。
柵が施してあり、礼拝合掌と書かれた看板が立っているのみである。

札所本尊でもある十一面観世音菩薩像は、建長3年(1251)創建当時のもので、仏師春日の作といわれているとのこと。

平蔵地蔵
前述の地蔵尊像は、2体ある内の右側が「平蔵地蔵」といい、由来の石碑が立っている。

江戸末期の1860年頃、鈴ヶ森処刑場の番人で乞食をしていた三人がいた。その一人「平蔵」は、或る日多額の金を拾い、落とし主を探して届け、お礼の小判も断った。
その事を知った仲間が、「山分けすれば乞食を廃業できた」と腹を立て、平蔵を殴り乞食宿を追い出し凍死させた。
これを聞いた落とし主である仙台屋敷に住む若侍は哀れに思い、平蔵の遺体を引き取って手厚く葬り、青物横丁の松並木の所に地蔵尊を立てねんごろに供養したという。明治32年、京急電鉄が開通した時、その場所が線路に掛かったことから、時の海雲寺住職が境内に移し回向した。
…のだそうだ。 ちょっと悲しい民話である。


Memo
  朱印  
創建
建長三年(1251)
  開基 僧不山
     
  納経所 本堂右手にある庫裏
     
  駐車場 境内へ駐車可能
    山門の右側から境内に入る
但し、千躰荒神の大祭時は駐車不可
     
       
車は山門の右側から入る。但し、千躰荒神の大祭時は駐車不可。

海雲寺と31番品川寺は近いので、どちらからでもOK。




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