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JR横須賀線 北鎌倉駅下車。駅舎のある側の改札を出て左へ。約7分程で浄智寺に着く。 |
2回目の打出しは札所6番 弥勒菩薩の浄智寺から。
北鎌倉駅から歩いてくると、曲がり角に「五山第四 浄智寺」の石標が立っているので迷うことはない。
その先で道は二手に分かれ、一方は浄智寺の参道、もう一方は住宅地を抜けて葛原ガ岡ハイキングコースへ通じる道である。
惣門
小さな浄智寺の惣門が見え、その前後は石段になっている。
惣門は高麗門になっている。
高麗門は2本の本柱の上に切妻の屋根をのせ、本柱の後ろに控柱を立てて、両柱間に小さな切妻屋根を付けた形状の門である。
惣門の手前には小さな石の反橋があり、橋の下は小さな池となっている。
池に面して、鎌倉十井の一つ「甘露ノ井」がある。周りは石を組み合わせ、蓋がされている。
惣門を入ると、自然石で作られた、擦り減った石段が山門へ続いている。
石段は両側から老杉が覆い、木漏れ日を受けながらのぼっていく。
鐘楼門
石段をのぼり切ると、正面に小さな山門があり、上層に梵鐘を吊るした鐘楼門となっている。
鐘楼門は近年改築され、まだ造りたてで真新しい。
山門を入ると境内が広がり、右側に宝珠をのせた瓦葺の三間四面宝形造りの仏殿がある。
正面に「曇華殿(どんげでん)」の扁額が掲げられている。
本尊三世仏
「曇華殿」には本尊の三世仏が祀られている。
左から阿弥陀・釈迦・弥勒(札所本尊)の各如来で、過去・現在・未来をあらわし、三世の苦すべてを救済してくれる仏様だそうだ。
15世紀半ば頃に再興された木造の坐像で、衣の裾を台座にたらした鎌倉地方に多い様式である。
何れも神奈川県重要文化財に指定されている。
浄智寺の歴史について調べると、
創建は弘安6年(1283)で、開基は北条宗政及び師時とされている。
宗政は時頼の子で、時宗の弟である。師時は宗政の子で第十代執権である。
宗政は弘安4年(1281)、29歳で世を去った。宗政夫人は、親族の援助を受け、夫宗政、子の師時を開基とし浄智寺を開創したと伝えられる。
開山に南州宏海を迎えようとしたが、宏海が大任であると辞退し、宏海の師である宋憎の大休正念(佛源禅師)を迎えた。
創建当初は、山門、惣門、方丈、書院、法堂、僧堂、鐘楼などが整う大伽藍をもつ寺であった。
永享の乱(1438)以降、浄智寺も他の寺院同様、衰退の途をたどり、江戸後期には、惣門、仏殿、方丈、鐘楼と塔頭八院を有していたが、かなり荒廃していたようである。
明治初期の廃仏毀釈によって浄智寺も大きな影響を受けた。更には、関東大震災で壊滅状態に陥った。
現在では、惣門、鐘楼門、仏殿、方丈、客殿などの小規模な伽藍となっている。
浄智寺の境内は、周囲を山に囲まれ、仏殿左側から境内を一巡できる。
書院や庫裡を巡ってくると、狭くなった路の先が開けていて墓地があり、山際にはやぐらや横井戸がみられる。
北側のやぐらには布袋尊の石像が安置されており、鎌倉江の島七福神の一となっている
納経は庫裏の朱印所で行う。
朱印所は仏殿左から境内を巡ってくると、朱印所の前に出る。
創建 : 弘安6年(1283) 開基 : 北条宗政及び師時
開山 : 大休正念
拝観 : 9:00〜16:30 拝観料 : 200円
駐車場 : 有り。(無料) 惣門の先から参道を横切って駐車場に入る。