諸國放浪紀鎌倉十三仏霊場
第11番 鷲峰山 覚園寺じゅぶせん かくおんじ
正式名称
 
鷲峰山 真言院 覚園寺
札所本尊
 
本尊
薬師如来
宗派
 
真言宗泉涌寺派
ご真言
 
おん あきしゅびや うん
他の霊場
 
鎌倉二十四地蔵霊場 第3番
所在地
 
鎌倉市二階堂421
0467-24-3476
最寄駅
京急バス 鎌36 大塔宮 約9分
来迎寺
道順
 
9番報国寺 11番覚園寺
札所9番報国寺からは、金沢街道を鎌倉駅方面に歩き小学校脇の路地に入り、先ずは鎌倉宮を目指す。鎌倉宮前を左に進んで狭い道を行くと突当りに覚園寺の山門が見える。約20分程の距離だ。
参拝メモ

覚園寺を訪れる人は、報国寺や瑞泉寺を訪れる人ほど多くない。
寺名や場所が知り渡っていないのかも知れない。

山門鎌倉宮の前から左の道を行く。乗用車が一台やっと通れるほどの、緩やかなのぼり坂となった狭い道である。閑静な住宅が並び、右側は山からのせせらぎが流れている。
そのせせらぎが左側に移るあたりから一段と狭い道になる。

やがて正面に覚園寺が見えてくる。石段をのぼると覚園寺の境内が広がっており、大きな九輪塔が目立つ。

九輪塔覚園寺は、三方山に囲まれた薬師ヶ谷の谷あいにあり、山の中腹に静かな佇まいをみせている山寺である。
覚園寺の寺域は広く、奥は建長寺に隣接しているという。その全域が国の史跡に指定されている。

覚園寺の裏山の、平子、杉ケ谷と呼ばれる左右の谷の斜面に、「覚園寺百八やぐら」と呼ばれる大小二百余りのやぐらが点在しているが、一般の者は立入禁止となっているため見ることはできない。

建保3年(1218)、二代執権北条義時が覚園寺のあるこの地に、霊夢により大倉薬師堂を建て薬師如来を安置した。この堂が覚園寺のはじまりとされる。

大倉薬師堂は、寛永元年(1243)と建長3年(1251)に火災で焼失したが、永仁4年(1296)に、執権北条貞時が、元冠を退けるための祈願寺として伽藍を整備し、智海心慧を開山とし、鷲峰山真言院覚園寺と号した。

建武中興の時、後醍醐天皇の勅願所となり、のち足利尊氏が再興し足利氏の勅願所にもなった。
江戸時代に入って、徳川家康が朱印七貫百文を寄せている。

覚園寺は、寺の人が参詣者を案内する。
境内拝観の時間が定められ、その時間になると一同を引率して案内する。勝手な時間に自由に拝観することはできない。参詣者を案内する寺は、鎌倉では覚園寺だけである。

拝観は、午前10、11時、午後1、2、3時の計5回、1回の拝観時間は約50分となっている。
また、8月いっぱいと12月20日〜1月7日は、拝観できない。強風・降雨の時も拝観中止の場合がある。

時間になると愛染堂前に集められ、愛染堂の説明と拝観の諸注意があったあと、左側の拝観入口で拝観料を納め中へと入って行く。

樹木の茂る中を行くと、やがて正面に茅葺きの薬師堂が見える。五間四方の寄棟造りの堂宇で、質素で美しいお堂である。
薬師堂は、北条義時が持仏堂として建立した大倉薬師堂にはじまり、現在の薬師堂は、文和3年(1354)に足利尊氏が再興したものといわれる。

堂内に入ると、空気の冷たさを頬で感じる。天井は高く、下は土間である。照明はなく、外からの光と、ろうそくの灯りのみで薄暗い。
正面に高い台座があり、中央に本尊の薬師如来坐像、左右に脇侍の日光菩薩、月光菩薩の坐像が安置されている。いずれも鎌倉期の代表的な仏像で、国重文に指定されている。


瑞泉寺朱印Memo

御朱印は拝観受付でいただけるが、居ない時間は愛染堂右の庫裏の玄関で受付けている。

創建 : 建保6年(1218) 開山 : 智海心慧

拝観 : 指定時刻 拝観料 : 愛染堂 無料 案内拝観は500円

駐車場 : 覚園寺より少し手前の左側に「覚園寺駐車場」の標記有り、左折して突当りが駐車場。


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仏に出会う旅

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