諸國放浪紀鎌倉三十三観音霊場
第2番 金龍山 宝戒寺きんりゅうざん ほうかいじ
正式名称
  金龍山 釈満院 円頓宝戒寺
宗派
天台宗
札所本尊
 
准胝観世音菩薩
本尊
 
地蔵菩薩
御真言
 
おん しゃれい しゅれい じゅんてい
そわか
ご詠歌
 
御仏に 頼む力の 強ければ
  水も炎も 身にかかるかは
他の霊場
  鎌倉二十四地蔵霊場 第1番
相模二十一ヶ所弘法大師霊場 第1番
所在地
 
鎌倉市小町3-5
0467-22-5512
駐車場
  門前周辺にコイン 2ケ所
バス停
京急バス 鎌20・23・24・36 大学前 徒歩約1分
公式サイト
  宝戒寺 公式サイト 
宝戒寺本堂
道のり
 
7番光触寺 2番宝戒寺24番寿福寺
7番光触寺からは、鎌倉駅行きのバスで移動する。
大学前で下車し、小町大路方面に少し歩く。

参拝記

札所7番光触寺からバスで一気に中心街へ戻ることに。
大学前でバスを降り、横大路と小町大路との交差点に行くと宝戒寺参道の入口がある。

参道 宝戒寺は萩の寺とも呼ばれ、花の時期になると、参道の石畳の上に両側から萩の枝が覆いかぶさり、道を塞いでしまうほどだ。

参道に入ると八角形の敷石が山門まで連なっている。山門を入ると拝観受付があり、購入する拝観券は本堂に上がり、内陣を拝観するとき使用する内陣拝観券である。

境内は樹木が多く、本堂の全容をカメラに収めるのは難しいほどだ。

枝垂れ梅 宝戒寺の梅
萩寺として有名な宝戒寺だが、萩だけではなく梅の見どころでもある。
多くの梅の木がある中、特に本堂左手前の枝垂れ梅は一見の価値ありと思う。

宝戒寺は鎌倉幕府滅亡ゆかりの寺であり、この地は北条氏代々の屋敷跡で、最後の執権十四代北条高時の居住跡。
近くには北条氏一門が火を放って自害したと言われる東勝寺跡や、「高時腹切りやぐら」がある。

足利尊氏も後醍醐天皇に奏して、寺領を寄進。その「寄進状」に 『ひとえに亡魂の恨みを宥め、遺骸のつみを救うために....云々』   とあり、痛ましい死をとげた怨霊への恐れを述べている。

本尊
子育経読地蔵菩薩。法衣に袈裟をかけ、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ一般的な地蔵菩薩像。
ヒノキの寄木造りで玉眼入りの坐像は、国の重要文化財に指定されている。
鎌倉二十四地蔵尊霊場第1番札所の本尊でもある。

観音霊場の札所本尊は地蔵菩薩像の左側に祀られている准胝観世音菩薩。
准胝観音は観音霊場では数少ない札所本尊である。
知っている範囲では、秩父三十四ヶ所第5番札所「語歌堂」と西国三十三観音第10番札所「三室戸寺」の札所本尊が准胝観世音菩薩である。
坂東・昭和新撰江戸・武蔵野の観音霊場の札所本尊にはない。

境内諸堂
境内は本堂左手が樹木の多い庭、鐘楼や宝篋印塔が、右手には諸堂が並んでいる。

大聖天 大聖天
大聖歓喜天堂
本堂の右隣の大聖天と書かれた扁額が掛かっている白壁の堂は、大聖歓喜雙身大王が祀られている堂である。
この歓喜天は日本最大の木造歓喜天像といわれ、国重文に指定されている。
徳崇大権現 太子堂
徳崇大権現堂
聖徳太子堂
大聖歓喜天堂の右側には北条高時公を祀る徳崇大権現の社がある。
更にその右、 4段ほどの石段の上に建つ、扉に菊の紋を付した二間四面宝形造りの小さな堂は、聖徳太子を祀る聖徳太子堂である。(写真右)

本堂の左側には
徳崇大権現 太子堂
鐘楼
宝篋印塔
鐘楼と元弘三年(1333)に滅亡した北条氏並びに鎌倉合戦東勝寺戦没慰霊の宝篋印塔が立っている。

本堂に上がり、先ほど受付で購入した内陣拝観券で諸仏を拝観した。
内陣拝観券を山内への拝観券と思い、本堂内に上がらない参拝者がいるが、それはもったいない話である。
本堂内では多くの仏様を間近で拝観することができる。


Memo
  杉本寺朱印  
創建
建武2年(1335) 
  開基 後醍醐天皇
  開山 国師円観恵鎮慈威和上  
  拝観 9:30〜16:30 (4〜9月) 
    9:30〜16:00 (10〜3月) 
    拝観料:300円
     
  納経所  本堂の中
    ここは杉本寺と兄弟寺なので、仏母准胝…の上に梵字を入れておきました。」など丁寧に解説をしていただいた。
         

Map


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