第6番 錦屏山 瑞泉寺きんぺいさん ずいせんじ
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23番高徳院 6番瑞泉寺5番来迎寺 23番高徳院からは、バスを乗り継いで大塔宮(鎌倉宮)で下車。鎌倉宮脇の道を道なりに歩く。 大塔宮バス停より、約800m、16分程の距離。 |
花の寺で有名な瑞泉寺にやってきた。
鎌倉宮脇の道をどこまでも行くと、道が急に狭くなった先に総門がでてくる。
総門先の拝観受付で拝観料を納め......その先にあるのは石段だけで堂宇がない。
石段
石段は2つあって、かなり擦り減った古い階段と、新しいというか主たる石段がある。まともな方の石段を上っていった先に山門があった。
古い方の石段は風情がある。こちらの石段を通るなら上りが良い。下りは足元が不安定で怖い。
四季の花が絶えることのない境内には、均整のとれた棟反りをもつ二層屋根の本堂、総門、山門、仏殿、客殿、地蔵堂、開山堂、鐘楼などが建ち並んでいる。
山門 鐘楼歴史について調べてみると、嘉暦2年(1327)鎌倉末期の武将である二階堂道蘊の開基、開山を夢窓疎石として瑞泉院を創建した。
二階堂道蘊は甲斐国に領地を有していたことから、甲斐国で幼児期を過ごし出家した夢窓疎石を迎え入れたのではないかとされている。
夢窓疎石は夢窓国師とも呼ばれ、7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与されるほどの高僧で、鎌倉末期から南北朝時代にかけて、後醍醐天皇や足利尊氏などに崇敬され、建長寺・円覚寺・浄智寺などを歴住している。
夢窓疎石作の庭園
疎石は作庭にも優れた才能を持ち、京都天竜寺・西芳寺など多くの名庭を残している。
瑞泉寺本堂裏にある庭(国指定名勝)も疎石の作で、自然の地形を生かして造られた造形は、見ていて飽きない。
瑞泉院が瑞泉寺に改称されたのは、後に足利基氏が再興してからのことである。
本堂には本尊の釈迦如来、札所本尊の木像千手観音坐像 などが安置されている。
どこもく地蔵尊
庭園に行く途中に地蔵堂がある。
『どこも苦しいのは同じ』であると言って堂守をさとしたという伝えのある「どこも苦地蔵」が祀られている。
鎌倉二十四地蔵尊霊場の札所本尊である。
創建 |
嘉暦2年(1327) | |||
開基 | 二階堂道蘊 | |||
開山 | 夢窓疎石 | |||
拝観 | 9:00〜17:00 入門締切 16:30 | |||
拝観料:200円 | ||||
納経所 | 庫裏の玄関 | |||