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8番明王院 7番光触寺2番宝戒寺 8番明王院から十二所に向う。十二所バス停から右に下っていく道へ分岐する。 明王院から約9分程で光触寺の山門に着く。 |
鎌倉の中心からちょっと離れた十二所にある光触寺は、三十三観音霊場の中では東のはずれに位置する札所である。
三方を山で囲まれたこの谷は、宇佐小路ヶ谷と呼ばれている。
小さな山門をくぐると、狭い石畳の参道が真直ぐのびており、両側には墓石が並んでいる。
墓石の前にはサルビア、パンジーといった季節の草花が参道に沿って植えられていて、訪れる人の心を和ませてくれる。
建長寺や長谷寺のような大きな寺院ではなく、里山にひっそりと建つ田舎のお寺という雰囲気を漂わせている。
開山は作阿上人で、当初山号を籐触山と称し、真言宗の寺であったが、開山の作阿が一遍上人に帰依したことから時宗に改宗したといわれている。と言う事情で、開山を一遍上人としているという。
本堂は間口五間、銅板葺の屋根に流れ向拝を付してある。
元禄年間(1688〜1704)に再建された堂宇だが、 安政六年(1895) に大修理を施しているそうだ。その後も改修の手が加えられている。
正面の”触”が読みづらい「光触寺」と書かれた扁額は、後醍醐天皇が書かれた文字だとのことで、この寺の格式の高さをうかがい知ることができる。
本尊は頬焼阿弥陀で知られる阿弥陀如来像、脇侍は観音菩薩と勢至菩薩。典型的な阿弥陀来迎(お釈迦さまを迎える)の三尊像である。
三尊像は各々運慶、快慶、湛慶の作と言われているが明確ではないという。しかし、鎌倉前期の作である事は確かであるから、もう700〜800年もの歳月を経ているのは間違いない。
これら三像は戦前には国宝であったが、戦後の見直しで、国の重文になってしまったとのこと。人によると『戦後の見直し時、仏像は奈良のものが重視され鎌倉のは軽視された。』と聞いた。
三像とも光背に放射状、それを繋ぐ円形の輪を供えていて、これが“阿弥陀くじ”の謂われとのことである。(本当?)
通常非公開の阿弥陀三尊像も、事前予約すれば拝観可能とのこと。
境内の右側の祠には塩嘗地蔵が祀られている。よく知られた伝説のあるお地蔵様で、本当に頭部から額、顔にかけて風化され、やっと目・鼻・耳が分かる程度だ。
赤い帽子と前掛けをしている。
前には六地蔵が並び、やはり赤い前掛をしている姿がかわいらしく印象的である。
本堂をお参りし、納経の方はインターホンを...と記されていたので、ピンポ〜ンと押すと、後方で庭木の手入れをしていた人が「はい」と返答された。
驚いて振り返ると、何と住職だった。植木屋さんだとばかり思っていたので......。
どうやら書き入れをしていただいた納経帳を仏前に供えて、「南無〜…」と拝んでいる様子で、寺務員が書き入れ朱印を行う大きな寺院とはえらい違いだ。
以後、この納経帳の扱いには注意を払うようになった。本来、すべての納経帳がそうであるが....。
創建 |
弘安2年(1279) | |||
開基 | 一遍上人 | |||
開山 | 作阿上人 | |||
拝観 | 10:00〜16:00 | |||
要予約 10名以上 拝観料:300円 | ||||
納経所 | 本堂 インターホンで連絡 | |||