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2番宝戒寺 24番寿福寺25番浄光明寺 2番宝戒寺からは、横大路を鶴岡八幡宮方向に進む。八幡宮の前を通り過ぎて道が急な右カーブになるあたり、小町通が左から合流する。 ここは 鎌倉十井「鉄の井」がある場所で、そこを左折し小町通に入り、最初の路地を右折する。 暫く狭い道を車の往来に気を付けながら歩き、横須賀線の踏切を渡ると市役所前からの道に突当る。右に進むと寿福寺の総門に出る。 |
鎌倉駅西口から横須賀線に沿って12分ほど歩いた左手が寿福寺である。
銅板葺きの赤く塗られていたであろう古い惣門があり、右手に「寿福金剛禅寺」と刻まれた石標が立っている。
この地は、源頼朝の父である義朝の旧邸があった場所であるという。
寿福寺の歴史について調べてみると、
義朝は平治の乱(1159)で殺害されたが、義朝亡きあと、岡崎義実が義朝の廟堂を建立していた。
頼朝没後の正治二年(1200)、北条政子が栄西禅師を招き、この地に寿福寺を創建した。
栄西は宋から茶の種を持ち帰り、栂尾の明恵上人に作らせたのが、日本の茶の始まりといわれている。
創建当初は七堂伽藍を配し、14の塔頭がある大寺院であった。
しかし、応永年間(1394〜1427)と、応仁年間(1467〜68)に大火に遭い、後に惣門、仏殿が再建されたという。
現在は、惣門、 中門、仏殿、方丈、鐘楼などを残し、風格を感ずる禅宗の寺院である。
臨済宗建長寺派に属し、鎌倉五山第三位の寺格を持つ。
惣門の先は、「桂敷き」と呼ばれる石が敷かれ、両側には杉・楓・梅などの樹木が植えられた参道が中門へ真直ぐに続いている。
禅宗様の中門の先には、正面に正徳四年(1714)ころ に建立された、五間四面の宝形造瓦葺の本堂である仏殿が建つ。
左前にある柏槇の大木の枝が本堂の前に張り出し、本堂が半分隠れるほどである。
この柏槇の木は鎌倉十名木の一として、鎌倉市の天然記念物に指定されている。
仏殿には、釈迦如来像、仁王像、札所本尊の十一面観世音菩薩像が安置されている。
一般にはこの中門までしか入ることができない。
納経は庫裏で受付けていて、この中門の通行止めを無視して右側へ進み庫裏の窓口へ行く。
途中、梵鐘などを拝観できる。
庫裏 鐘楼
鎌倉33観音 |
鎌倉十三仏 普賢菩薩 |
鎌倉五山 |
創建 | 正治2年(1200) | |
開基 | 北条政子 | |
開山 | 明庵栄西 | |
拝観 | 中門内非公開 | |
拝観料:志納 | ||
納経所 | 庫裏窓口 (巡礼者は通行止めを無視してもよい。) | |