諸國放浪紀鎌倉三十三観音霊場
第24番 亀谷山 寿福寺きこくざん じゅふくじ
正式名称
 
亀谷山 寿福金剛禅寺
宗派
臨済宗建長寺派
札所本尊
 
十一面観世音菩薩
本尊
 
宝冠釈迦如来
御真言
 
おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌
 
清水を てつ井にうつす 観世音
  末の世までも 光輝く
他の霊場
 
鎌倉十三仏霊場 第4番
相模二十一ヶ所弘法大師霊場 第7番
所在地
 
鎌倉市扇ガ谷1-17-7
0467-22-6607
最寄駅
鎌倉駅西口 徒歩約9分 
本堂
道のり
 
2番宝戒寺 24番寿福寺25番浄光明寺
2番宝戒寺からは、横大路を鶴岡八幡宮方向に進む。八幡宮の前を通り過ぎて道が急な右カーブになるあたり、小町通が左から合流する。
ここは 鎌倉十井「鉄の井」がある場所で、そこを左折し小町通に入り、最初の路地を右折する。
暫く狭い道を車の往来に気を付けながら歩き、横須賀線の踏切を渡ると市役所前からの道に突当る。右に進むと寿福寺の総門に出る。

参拝記

鎌倉駅西口から横須賀線に沿って12分ほど歩いた左手が寿福寺である。
銅板葺きの赤く塗られていたであろう古い惣門があり、右手に「寿福金剛禅寺」と刻まれた石標が立っている。

この地は、源頼朝の父である義朝の旧邸があった場所であるという。
寿福寺の歴史について調べてみると、
義朝は平治の乱(1159)で殺害されたが、義朝亡きあと、岡崎義実が義朝の廟堂を建立していた。
頼朝没後の正治二年(1200)、北条政子が栄西禅師を招き、この地に寿福寺を創建した。
栄西は宋から茶の種を持ち帰り、栂尾の明恵上人に作らせたのが、日本の茶の始まりといわれている。

創建当初は七堂伽藍を配し、14の塔頭がある大寺院であった。
しかし、応永年間(1394〜1427)と、応仁年間(1467〜68)に大火に遭い、後に惣門、仏殿が再建されたという。

現在は、惣門、 中門、仏殿、方丈、鐘楼などを残し、風格を感ずる禅宗の寺院である。
臨済宗建長寺派に属し、鎌倉五山第三位の寺格を持つ。

参道 惣門の先は、「桂敷き」と呼ばれる石が敷かれ、両側には杉・楓・梅などの樹木が植えられた参道が中門へ真直ぐに続いている。

禅宗様の中門の先には、正面に正徳四年(1714)ころ に建立された、五間四面の宝形造瓦葺の本堂である仏殿が建つ。

左前にある柏槇の大木の枝が本堂の前に張り出し、本堂が半分隠れるほどである。

この柏槇の木は鎌倉十名木の一として、鎌倉市の天然記念物に指定されている。

仏殿には、釈迦如来像、仁王像、札所本尊の十一面観世音菩薩像が安置されている。

一般にはこの中門までしか入ることができない。
納経は庫裏で受付けていて、この中門の通行止めを無視して右側へ進み庫裏の窓口へ行く。
途中、梵鐘などを拝観できる。

庫裏 鐘楼
庫裏
鐘楼


   
  寿福寺朱印 坂東三十三朱印
鎌倉33観音
鎌倉十三仏 普賢菩薩
鎌倉五山
Memo
  創建 正治2年(1200)
開基 北条政子
開山 明庵栄西
拝観 中門内非公開
  拝観料:志納
納経所  庫裏窓口 (巡礼者は通行止めを無視してもよい。)
   

 


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