諸國放浪紀鎌倉三十三観音霊場
第25番 泉谷山 浄光明寺せんごくざん じょうこうみょうじ
名称
 
泉谷山 浄光明寺
宗派
真言宗泉涌寺派
札所本尊
 
千手観世音菩薩
本尊
 
阿弥陀三尊
御真言
 
おん ばざら たらま きりく
ご詠歌
 
有難や 泉が谷の 清水に
  心の垢を 洗ふ諸人
他の霊場
 
鎌倉二十四地蔵霊場 第16・17番
鎌倉十三仏霊場 第9番
相模二十一ヶ所弘法大師霊場 第6番
所在地
 
鎌倉市扇ガ谷2-12-1
0467-22-1359
駐車場
山門内右側 山門左側から回込む
最寄駅
鎌倉駅西口 徒歩約14分
本堂
道のり
 
24番寿福寺 25番浄光明寺26番海蔵寺
24番寿福寺からは、総門を出て左へ、横須賀線の踏切を渡り道なりに進むとT字路に突当る。
そこを右に折れ、住宅街を暫く歩くと左手に参道が現れる。
寿福寺総門から約300m、6分程の距離だ。

参拝記

鎌倉三十三観音霊場巡りで初めて真言宗のお寺に参拝した。
鎌倉三十三観音には真言宗のお寺が4ヶ寺。つまり4/33と天台宗に次ぐ少数派。鎌倉全域でみても数は少ない。

歴史について調べたが、詳しいことは分からなかった。
頼朝が発願し、文覚上人の開山といわれ、当初は浄土宗の寺であった。その後の建長3年(1251)六代執権北条長時が中興し、真阿上人を開山とした。
浄光明寺の寺域が泉ガ谷の山に囲まれているところから、泉谷山の山号が付けられたのではないかと思う。

民家に挟まれた参道を進み、小さな山門をくぐると広々とした境内が拡がる。
最初に目にする左手の入母屋造りの堂宇は、本堂に間違えられるが、客殿である。

山門客殿

不動堂
不動堂境内右側には、木に囲まれた中に、宝珠を乗せ、美しい反りを持たせた銅板葺屋根の不動堂がある。
三間四面の宝形造りで、ぬれ縁を付した古いお堂である。
ハイキングを楽しんだと見られるおばちゃん達が、ぬれ縁に腰をかけて弁当を食べていた。

その脇を通って奥の石段をのぼると、本堂である阿弥陀堂がある。
阿弥陀堂は茅葺きの堂々とした建物で、現在は無いが二階堂の永福寺に頼朝が中尊寺を模して建立したものをここに移したといわれている。

収蔵庫 収蔵庫
阿弥陀堂の隣にある収蔵庫には、本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観音菩薩像・勢至菩像、の三尊像が安置されている。

三像とも国重文に指定されており、檜の寄木造の鎌倉末期のもので、目は玉眼。
鎌倉時代の仏像はこの玉眼が特徴であるとされる。
また、阿弥陀如来像の法衣には土紋装飾されているが、これも鎌倉時代の代表作であるといえるそうだ。
阿弥陀三尊像は阿弥陀堂拝観日なら拝観できる。

阿弥陀堂裏の段の付いた狭い路を登っていくと、裏山の中腹に出る。
途中、振返ると諸堂の甍や、谷に佇む住宅、寿福寺の森、材木座海岸が望める。
手前の宝形屋根が阿弥陀堂、その後ろに見えるのが収蔵庫、その右手の小さな宝形屋根が観音堂で、札所本尊の千手観世音菩薩像が安置されている。

諸堂の屋根眺望

網引地蔵 網引地蔵
その先のやぐらに、網引地蔵が祀られている。
85cmの坐像で正和2年(1313)の銘がある。

網引の名は、由比ヶ浜で漁をしていた漁師の網にかかったのでそう呼ばれているらしい。

やぐらの手前は開放的な原っぱが広がっている。
「平場」と呼ばれ武士の集合場所だったという。


冷泉為相の墓 冷泉為相の墓
綱引地蔵から奥ヘ50mほどのところに、石段がある。
のぼりきったところに、冷泉為相(藤原定家の孫)の墓がある。

墓の前には警戒色のロープが張られており、その先は崖だ。
墓に向き合ったら、後ろに要注意!
写真撮影しようと後退りしたら崖から落ちる危険性もある。

墓は、高さ2mの宝篋印塔で、南北朝期のものといわれている。


   
  浄光明寺朱印 坂東三十三朱印 阿弥陀如来朱印
鎌倉33観音
鎌倉十三仏 勢至菩薩
本尊朱印
Memo
  創建 建長3年(1251)
開基 北条長時
開山 真阿上人
拝観 9:00〜16:00 無料
  石段上の阿弥陀堂・収蔵庫等は曜日限定公開
  木・土・日・祝の10:00〜12:00、13:00〜16:00(雨天不可)のみ公開
  拝観料:200円
   
納経所  庫裏 (客殿左側) 書き終わるのを待つ腰掛が用意されている。
   


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