諸國放浪紀武蔵野三十三観音霊場
第4番 光明山 如意輪寺こうみょうざん にょいりんじ通称 保谷観音
正式名称
光明山 福生院 如意輪寺
札所本尊
 
如意輪観世音菩薩
本尊
 
大日如来
宗派
 
真言宗智山派
ご詠歌
 
光明の 利益もあらたか 如意輪寺
   野に咲く花は 保谷のみほとけ
御真言
 
おん はんどま しんだまに じんばら うん
他の霊場
 
多摩四国八十八ヶ所 第35番
所在地
 
東京都西東京市泉町2-15-7
0424-21-3014
最寄駅
如意輪寺
道のり
 
3番三寶寺 4番如意輪寺

札所3番三宝寺からは、石神井公園駅へ戻り、ひばりヶ丘まで電車で移動。
ひばりヶ丘駅から西友前の道を進み、ひばりヶ丘駅入口バス停先の信号を左折、突当たりを右折して道なりに行く。
時間が合えば、ひばりヶ丘駅からコミュニティバス「はなバス(100円)」に乗車、19番 如意輪寺で下車が便利。    はなバス公式サイト

三寶寺を右に出てすぐの信号を右分岐〜富士街道に出たら左折〜保谷町交差点右折〜道なりに走ると泉小の先に如意輪寺の看板あり。
富士街道が空いていれば、約12分で着く。
見どころ
 
安永5年建立の観音堂。
参拝メモ

この辺りは、田無市と合併して西東京市になる前は保谷市と言い、駅名にも残っている通り、辺り一帯を保谷と呼んでいた。保谷観音と呼ばれているのはその名残である。
昭和30年代には、光学ガラスで有名なHOYAの前身保谷ガラスの工場があった。
当時は畑や雑木林が多く存在し、武蔵野の雰囲気が漂っていたが、今はその面影もない。

道路から長い参道が延び、途中に山門があり、その先は広い境内になっている。

本堂
本堂参道から斜め左方向に、大きな鉄筋コンクリート造り二階建ての本堂大日殿が建っている。
本尊は2階に金剛界大日如来を祀っている。

如意輪寺の本尊はかつて不動明王であったが、明治25年(1892)の火災により本堂、庫裡などと共に本尊の不動明王なども全て焼失してしまった。
以降は享保5年(1720)鋳造の金剛界大日如来を本尊として安置しているという。

現在の本堂は、昭和51年(1976)落慶の建物である。

観音堂
観音堂本堂右手にある入母屋造りの古い堂宇が安永5年(1776)に建立された観音堂である。

本堂などが焼失した際、境内の端にあった観音堂のみ焼失を免れたという。
大正2年(1913)当初の場所から移されたのだそうだ。

観音堂前の香炉は向拝まで続く屋根に覆われており、雨の日でも不自由なく献香、礼拝ができる。

向拝の柱には、右側に「南無如意輪観世音 武蔵野三十三観音 第四番札所」、左側に「南無大師遍照金剛 多摩四国八十八ヶ所 第三十五番札所」の札が掛かっている。

山門
山門前の道路から整然と刈込まれた庭木に挟まれ、4列に敷かれた石畳の参道が延び、途中に瓦葺切妻屋根の山門が建っている。

車は参道に並行した道を通って境内に入るので、一旦駐車してから再び山門に来て見た。

朱塗りでコンクリート造りの山門である。三間一戸の門の中央には、山号である「光明山」と書かれた扁額が掛かり、門の両脇には大きな金剛力士像が安置されている。
金剛力士像なんでも、東大寺南大門の仁王像を模して鋳造されたものだという。
戦没者慰霊地蔵
門を抜けると、綺麗に選定された梅の並木になっており、その先で本堂、観音堂へと二又に別れている。

その左側、車用の通路の端に戦没者慰霊地蔵尊と青面金剛塔が祀られていた。



如意輪寺朱印Memo

如意輪寺は多摩四国八十八ヶ所の札所でもある。納経印をいただくときは要注意。専用納経帳の場合は問題ないが、差替えの場合がある。

境内には旧上保谷村(江戸時代)の富士街道の路傍に立てられていたという石仏、庚申塔が数基置かれている。
これらは、この地域に残る文化財であり、地誌を紐解きながらひとつひとつ見てみるのも興味深い。
納経印を集めて走り回るより、歴史や文化に触れながら巡礼する方が楽しい。

7月10日 大施餓鬼会

札所4番辺りから、交通至便とは言えなくなってくる。歩き巡礼を目指す向きには関係のない話だが、移動時間を短縮したい場合、そろそろ車の出番か...。


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