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3番三寶寺 4番如意輪寺 札所3番三宝寺からは、石神井公園駅へ戻り、ひばりヶ丘まで電車で移動。 ひばりヶ丘駅から西友前の道を進み、ひばりヶ丘駅入口バス停先の信号を左折、突当たりを右折して道なりに行く。 時間が合えば、ひばりヶ丘駅からコミュニティバス「はなバス(100円)」に乗車、19番 如意輪寺で下車が便利。 はなバス公式サイト 三寶寺を右に出てすぐの信号を右分岐〜富士街道に出たら左折〜保谷町交差点右折〜道なりに走ると泉小の先に如意輪寺の看板あり。 富士街道が空いていれば、約12分で着く。 |
安永5年建立の観音堂。 |
この辺りは、田無市と合併して西東京市になる前は保谷市と言い、駅名にも残っている通り、辺り一帯を保谷と呼んでいた。保谷観音と呼ばれているのはその名残である。
昭和30年代には、光学ガラスで有名なHOYAの前身保谷ガラスの工場があった。
当時は畑や雑木林が多く存在し、武蔵野の雰囲気が漂っていたが、今はその面影もない。
道路から長い参道が延び、途中に山門があり、その先は広い境内になっている。
本堂
参道から斜め左方向に、大きな鉄筋コンクリート造り二階建ての本堂大日殿が建っている。
本尊は2階に金剛界大日如来を祀っている。
如意輪寺の本尊はかつて不動明王であったが、明治25年(1892)の火災により本堂、庫裡などと共に本尊の不動明王なども全て焼失してしまった。
以降は享保5年(1720)鋳造の金剛界大日如来を本尊として安置しているという。
現在の本堂は、昭和51年(1976)落慶の建物である。
観音堂
本堂右手にある入母屋造りの古い堂宇が安永5年(1776)に建立された観音堂である。
本堂などが焼失した際、境内の端にあった観音堂のみ焼失を免れたという。
大正2年(1913)当初の場所から移されたのだそうだ。
観音堂前の香炉は向拝まで続く屋根に覆われており、雨の日でも不自由なく献香、礼拝ができる。
向拝の柱には、右側に「南無如意輪観世音 武蔵野三十三観音 第四番札所」、左側に「南無大師遍照金剛 多摩四国八十八ヶ所 第三十五番札所」の札が掛かっている。
山門
前の道路から整然と刈込まれた庭木に挟まれ、4列に敷かれた石畳の参道が延び、途中に瓦葺切妻屋根の山門が建っている。
車は参道に並行した道を通って境内に入るので、一旦駐車してから再び山門に来て見た。
朱塗りでコンクリート造りの山門である。三間一戸の門の中央には、山号である「光明山」と書かれた扁額が掛かり、門の両脇には大きな金剛力士像が安置されている。
なんでも、東大寺南大門の仁王像を模して鋳造されたものだという。
門を抜けると、綺麗に選定された梅の並木になっており、その先で本堂、観音堂へと二又に別れている。
その左側、車用の通路の端に戦没者慰霊地蔵尊と青面金剛塔が祀られていた。
如意輪寺は多摩四国八十八ヶ所の札所でもある。納経印をいただくときは要注意。専用納経帳の場合は問題ないが、差替えの場合がある。
境内には旧上保谷村(江戸時代)の富士街道の路傍に立てられていたという石仏、庚申塔が数基置かれている。
これらは、この地域に残る文化財であり、地誌を紐解きながらひとつひとつ見てみるのも興味深い。
納経印を集めて走り回るより、歴史や文化に触れながら巡礼する方が楽しい。
7月10日 大施餓鬼会
札所4番辺りから、交通至便とは言えなくなってくる。歩き巡礼を目指す向きには関係のない話だが、移動時間を短縮したい場合、そろそろ車の出番か...。