諸國放浪紀武蔵野三十三観音霊場
第5番 寶塔山 多聞寺ほうとうざん たもんじ
正式名称
寶塔山 吉祥院 多聞寺
札所本尊
 
十一面観世音菩薩
本尊
 
毘沙門天
宗派
 
真言宗智山派
ご詠歌
 
ひばり鳴く 武蔵野恋し 南沢
   多聞の知恵と 聞けや松風
御真言
 
おん まか きゃろにきゃ そわか
他の霊場
 
多摩四国八十八ヶ所 第37番
所在地
 
東京都東久留米市本町4-13-16
0424-71-1234
最寄駅
多聞寺
道のり
 
4番如意輪寺5番多聞寺

札所4番如意輪寺からは、ひばりヶ丘駅に戻り、西武池袋線で1駅、東久留米駅で下車。
西口からメインストリートを市役所先の信号まで歩き、左折して川の手前の信号まで。左折するとすぐ左手に多聞寺がある。

如意輪寺を出て左〜都道112号〜中原小前〜笠松坂〜竹林公園入口〜橋を渡って信号を右折。
約7〜8分で着く。
見どころ
 
山門の彫刻 、境内諸仏。
参拝メモ

多聞寺は毘沙門天を本尊に祀る真言宗智山派の寺院である。
草創の歴史は古く、元仁年間(1224〜1225)に天満宮を祀って梅本坊と号したのが始まりとされている。

後の貞和5年(1394)、祐観上人が毘沙門天を本尊とし、寺号を現在の寳塔山吉祥院多聞寺に改めたとのこと。
この毘沙門天は東久留米市七福神の一つとして、正月は七福神巡りで賑わっている。

山門
山門道路から寺域に入ったところが駐車場になっており、その先に石段を上って山門がある。
市指定文化財の山門は説明書きによると、嘉永5年(1852)頃の建立で、銅板葺の屋根を載せた総欅造の四脚門である。

江戸の彫刻師に彫らせたという、控え柱上部の獅子鼻や妻側海老虹梁の彫刻は案内の通り見応えがある。

柱上部に二手先の斗きょうを置き、大屋根を支えており重厚な趣と言うが、離れて見ると何か頭でっかちで不安定な気がしないでもない。

本堂
内陣山門を抜けると目の前に鉄筋コンクリート入母屋造りの大きな本堂が建っている。屋根の鴟尾が金色に輝いているのがやけに目立つ。

多聞寺の本堂は幾度となく火災に遭い、現在の本堂は昭和50年(1975)に建立されたものだそうだ。

堂内には本尊の毘沙門天の他、札所本尊の十一面観音,大日如来,不動明王が祀られている。 また、開創当初からあった天満宮も本堂に祀られていて、学問の神様として信仰を集めている。

薬師堂
薬師堂本堂前左手に建つ三間四面のお堂は薬師堂で、薬師如来が安置されている。

宝珠を載せた銅板葺の宝形造りで、唐破風の向拝を付し、縁を巡らせた良く見掛けるタイプの建物である。
本堂建立前は阿弥陀如来など十体ほどの仏像が安置されていたという。



境内の仏像
本堂前には大き目の観音像と弘法大師像が立っている。多摩四国八十八ヶ所霊場 第37番札所でもある。
薬師堂前には小さな不動明王、地持地蔵尊・陀羅尼地蔵尊などと名称が台座に刻まれた六地蔵が立っている。
観音像弘法大師像六地蔵不動明王


多聞寺朱印Memo

毎年ではないが、10月14・15日には境内で『獅子舞』が奉納される。この獅子舞は伊勢から当地に伝えられたものだそうで、多聞寺境内と南沢氷川神社で秋祭りに開催される。

毘沙門天を祀って寺号を多聞寺としたか....毘沙門天は四天王の一つで、持国天・増長天・広目天そして多聞天。この多聞天が毘沙門天のことで、それが寺号の由来になったのではないかなぁと想像する。
あくまでも、勝手な解釈ですが....。

8月15日 大施餓鬼会


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