諸國放浪紀武蔵野三十三観音霊場
第6番 安松山 全龍寺あんしょうざん ぜんりゅうじ
名称
安松山 全龍寺
札所本尊
 
一葉観世音菩薩
本尊
 
釈迦如来
宗派
 
曹洞宗
ご詠歌
 
安松の 清戸の里の 吹きなせる
慈悲の法かぜ 千代に変わらず
御真言
 
おん あろりきゃ そわか
所在地
 
東京都清瀬市中清戸1-524
0424-91-0020
最寄駅
全龍寺
道のり
 
5番多聞寺6番全龍寺

札所5番多聞寺からは、東久留米駅へ戻り、西武池袋線で1駅、清瀬駅下車。
北口を出て西友の前を上清戸1の交差点へ、右折し志木街道を水天宮まで行く。
西武バス 清64系統で水天宮前まで乗車してもよいが、1時間に1〜2便と少ない。  時刻表

多聞寺を出て右へ、市役所前の通りへ出たら左折。道路標識の小金井街道という方へ右折、道なりに走り、野火止1丁目の交差点を右折。小金井街道を進み郵便局前交差点を右折して志木街道を走る。
水天宮前の信号を過ぎると、右手に「曹洞宗 全龍寺」と書かれた塀が見える。その先の石標が立つ路地が全龍寺の入口。
見どころ
 
石灯籠の彫刻、十六羅漢像

参拝メモ

武蔵野の風情漂う志木街道の欅並木を行くと全龍寺へ通じる路地がある。右手に斎場と広い駐車場があり、その先が全龍寺の境内である。

全龍寺は400年を越す古刹である。創建は慶長元年(1596)、開基は当地在住の戦国時代の豪族並木主水正安松、開山に東久留米市の浄牧院九世玉室應珍大和尚を迎えている。
貞享4年(1687)と明治13年(1880 年)に火災に遭い焼失したという。

本堂と石燈籠
斎場の前を行くと、入口があるが、山門という建物はなく石柱があるのみ。
中へ入ると正面に本堂が建っている。入母屋造りで彫刻などは施されていないすっきりした建物である。

石燈籠金剛力士像本堂には、本尊の釈迦如来と、秘仏で見ることができないが、札所本尊の一葉観音が安置されている。
観音さまがその姿を変えて人々を救済する、という三十三応現身として選定された三十三観音のひとつ。
一葉観音は右ひざを立て、一枚の蓮の葉の上に坐した姿をしている。水上の蓮華に坐る姿から、水難から救ってくださると言われている。

手前には1対の石像の金剛力士像が立っている。更にその手前には派手というか何と言うか、高さ4mはあろうかという石燈籠が立っている。 石燈籠には獅子や龍などが深々と彫られてあった。

観音像と十六羅漢像
本堂手前左に赤い奉納幟に囲まれた観音像が立っている。入口内側の塀際には1列に並んだ十六羅漢石像と観音像が置かれている。
十六羅漢とはお釈迦様の弟子で、特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢という。

観音像十六羅漢像一葉観音

鐘楼 鐘楼堂
境内左手一帯は墓地で、その手前に赤い柱の鐘楼堂が建っている。
屋根は瓦葺入母屋の立派で重厚な感じなのに、どうもこの赤い柱が気になる。






多聞寺朱印Memo

十六羅漢とは次の16人の尊者をいう。
跋羅駄闍・迦諾迦伐蹉・諾迦跋釐駄・蘇頻陀・諾矩羅・跋陀羅・迦哩・弗多羅・戎博迦・半諾迦・羅怙羅・那伽犀那・因掲陀・伐那婆斯・阿氏多・注荼半託迦

4月18日 観音講、 8月16日 盂蘭盆会大施食法要、 8月23日 地蔵講






 
日枝神社 水天宮
 
日枝神社
 
水天宮
 
御朱印
 
日枝神社
 
水天宮
 
御朱印
  ご祭神:大山咋神・大己貴神
創 建:天正7年(1579)
  ご祭神:安徳天皇・底筒男神
表筒男神・中筒男神
創 建:明治年間
  2社が併記された御朱印
  鎮座地:東京都清瀬市清戸二丁目616
  全龍寺から徒歩約3分
  全龍寺前の志木街道を挟んだ向い側にある。 (Map参照)
参道から社殿に至るまで、2組が隣り合って並んでいるのが面白い。
授与所・手水舎だけが2社の中央に建っていて共有している。
境内社は水天宮の左手に座している。
全龍寺側から見ると異なる鳥居が並んでいるのが見える。
日本武尊が東征の折、境内の柊の蔭で涼をとったとの伝承が残る。
水天宮は安産の神として広く信仰を集め、戌の日は安産祈願の参拝者で賑う。
   

Map


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )


Prev   Next

諸國放浪紀 仏に出会う旅 HOME 仏に出会う旅 武蔵野三十三観音霊場

inserted by FC2 system