諸國放浪紀武蔵野三十三観音霊場
第10番 遊石山 新光寺ゆうせきざん しんこうじ
正式名称
遊石山 観音院 新光寺
本尊
 
聖観世音菩薩
宗派
 
真言宗豊山派
ご詠歌
 
今の世に 正しき法を 夢殿に
  心を救う ちかいうれしき
御真言
 
おん あろりきゃ そわか
他の霊場
 
狭山三十三観音霊場 第8番
奥多摩新四国八十八ヶ所 第24番
所在地
 
埼玉県所沢市宮本町1-7-3
04-2922-3058
最寄駅
公式サイト
  所沢観音 新光寺 
新光寺
道のり
 
9番實蔵院10番新光寺

札所9番實蔵院からは、北へ5分の距離。
西側の門を出て旧鎌倉街道を右へ、小金井街道を横断し、突当るまで進む。突当った左手が新光寺。

旧鎌倉街道は一方通行なので、一旦一方通行の出口まで進んで左折。すぐの信号を再び左折し、元町交差点を直進すると小さな「東川」が流れており、橋を渡ってすぐ左折すると突当りが新光寺。
見どころ
 
明治初期の大絵馬、八角観音堂、境内の諸仏
参拝メモ

旧鎌倉街道を北に進むと弘法大師の伝説が残る東川にでる。川は新光寺のところで暗渠になっている。
新光寺の創建は定かではないと言われている。
よく引合に出されるのが、『新編武蔵風土記稿』などの地誌に、建久4年(1193)源頼朝が那須野に鷹狩りに向かう途中、ここで昼食をとった。とか 元弘3年(1333)の新田義貞鎌倉攻めの折、立寄って戦勝を祈願した。などと記されいるという解説である。
いずれにしても、近年創建された寺ではなさそうだ。

観音堂
観音像山門から続く石畳の先に昭和59年(1984)に造られた聖観世音菩薩石像が観音堂を背に立っている。大きく立派な観音像である。

先ずはこの観音さまを参拝し、右から回り込むように進むと観音堂に達する。
朱塗りの八角堂は、奈良法隆寺の夢殿を模して昭和40年(1965)建立された建物である。


本堂
観音堂の右手に建つ寄棟造りの建物が本堂で、行基菩薩作といわれる本尊の聖観世音菩薩が安置されている。
本堂内陣
本堂左側面の軒下には大きな絵馬が掲げられている。
大絵馬観音さまを礼拝する民衆の様子が描かれている。

人々の様子を見ると、髪型が髷であったり、散切りであったりで、明治初期の状況が良く表されているので、描かれた時期は明治以降と推察できる。


山門
竜宮門山門より脇の車用の通用口の方が通り易いせいか、山門の扉が閉じているときの方が多いような気がする。 新光寺の山門は珍しい竜宮門である。

竜宮城が実存した訳はないと思うが、昔話に出てくる浦島太郎が行ったという竜宮城がこのような形で描かれるので竜宮門と言うらしい。

門扉には真言宗豊山派の紋である輪違い紋を模った覗き窓が付けられている。

境内の諸仏
門を入った左手には、大きな枝垂桜を囲むように十三仏石像、子育て地蔵尊像、延命地蔵尊像など多くの仏像が安置されている。

その奥隣に、奥多摩新四国八十八ヶ所の札所本尊が他の仏像と共に安置されていた。
新光寺は第24番札所であるから、弘法大師の隣は四国24番の札所本尊虚空蔵菩薩である。
香炉の陰で台座の「二十四番」が見えない。
十三仏像奥多摩新四国本尊


實蔵院朱印

4月18日には「新光寺観音まつり」が開催され、境内には出店が出て賑わいをみせる。
この日は観音堂も開扉され、観音菩薩像を拝むことが出来る。
この日の納経は控えた方が良いかも知れない。

境内に駐車スペースはある。
但し、法事等が行われている時は、参列者の車で一杯になり駐車は無理。




所澤神明社 新光寺から徒歩約5分
所澤神明社日本武尊が東夷征伐の際、この地に立寄り休憩したんだそうだ。
日本武尊が天照大御神に祈られたことに因んで、この地の民が天照大御神を祀ったのが始まりであるという伝説があるとのこと。
まぁ、伝説と言うのはよくある話だが....。

社殿は大きな神明造りで立派な建物である。
毎年6月第1日曜日に人形供養祭が開催され、炊き上げ前までは参道階段下の人形殿に納められている。

所澤神明社DATA
御祭神 : 天照大御神・倉稲魂大神・大物主大神
鎮座地 : 埼玉県所沢市宮本町1-2-4
公式サイト : 所澤神明社 

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