諸國放浪紀武蔵野三十三観音霊場
第17番 福聚山 徳林寺ふくじゅざん とくりんじ
名称
福聚山 徳林寺
札所本尊
 
聖観世音菩薩
本尊
 
釈迦三尊
宗派
 
曹洞宗
ご詠歌
 
唐國の いわれも古き みほとけは
   かんばせ匂う 憂い含みて
御真言
 
おん あろりきゃ そわか
所在地
 
埼玉県狭山市入間川2-3-11
04-2952-2507
最寄駅
道のり
 
16番慈眼寺17番徳林寺
札所16番慈眼寺からは、寺の前の道を横断してから左へ進み、右手に八幡神社が出てくるので、越えた先の左側の一方通行路に入り、更に交差点を越えた突当たりが徳林寺。徒歩約8分の距離。

車の場合も徒歩ルートと同じ。
見どころ
 
新田義貞守護仏の聖観音。境内に咲く紅梅。4月に展示公開される市指定文化財の釈迦八相図。
参拝メモ

狭い道路を行くと軒の反った楼門が建っている。徳林寺は駅からも近い町中にあるお寺である。
創建の年代は明確ではないが、入間市金子の瑞泉院末といわれ、開山は瑞泉院三世一樹存松和尚で、開基は小沢主税であると伝えられているらしい。
また、元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めの際、小手指原で鎌倉軍との合戦に臨み、この地に本陣を置き、守護仏として聖観音を安置したという伝承から、新田義貞の滞陣の跡という説もある。
草創期の宗旨は不明確だが、天文元年(1532)に曹洞宗に改宗されたという話も聞く。
まぁ、歴史のある寺院だと言うことは分かった。

山門
楼門道路の正面に建つ山門は、一間一戸の楼門で、大きく張出した軒が印象的だ。

上層の三手先、力強く張り出た尾垂木などの組物や、二軒の垂木などの意匠が素晴らしい。
山号の「福聚山」と書かれた大きな扁額も特徴的である。
上層には十六羅漢や十二神将などを安置している場合が多いが、何が祀ってあるか伺えばよかった。

本堂
本堂山門を入った正面に建つ本堂は、平成5年(1993)に再建された建物で、寺院としてはまだ新しい部類である。

本尊の釈迦如来が、普賢菩薩,文殊菩薩を脇侍に従えた釈迦三尊像の形で祀られている。この釈迦如来は宝冠をかぶった宝冠釈迦如来像である。

開創時は聖観音が本尊であったが、曹洞宗に改宗した際、釈迦如来を本尊とするようになったそうだ。

観音堂
大観音像札所観音札所本尊が祀られている観音堂は、本堂裏手の墓地の上、高台に建っている。 (最上部写真)

一旦門を出て、左手の道を寺域に沿うように歩いて行くと、右手に観音堂へ上がる石段がある。

上がった先には、堂宇が建ち並んだ平場があり、観音堂は一番左奥にある。

平成19年の落慶で、金ピカの宝珠を載せた宝形造の赤く派手な感じの観音堂である。

入口には「武蔵野観音霊場第十七番札所」と「狭山福聚観世音菩薩」と金文字で書かれた額が掛けてあり、一層の派手さは元弘3年(1333)新田義貞が小沢主税に渡した歴史ある観音像を安置しているようには思えない。
背後に座している、基壇を含めた総高が12mの大観音石像にも驚かされる。

福徳院不動尊
観音堂の右側に建っているのが、平成18年に再建した不動堂である。
安置されている「福徳院不動尊」は、中興開基の綿貫家二代目孫兵衛に守護仏として授与されたものだという。


耳地蔵
地蔵堂本堂手前左側に六角形の小さなお堂が建っていて、中には石造のお地蔵さんが祀られている。
周囲には安産子育地蔵願王菩薩と染め抜かれた奉納幟が立てられいる。

穴のあいた石を紐で結んで供えると、悲願が成就するといわれる延命耳地蔵と呼ばれるお地蔵さんである。
そのためか、お堂周囲の欄干や、香炉の屋根にまで石がぶら下がっている。
理由を知らなければ、奇妙な光景である。


その他の堂宇

薬師堂 鐘楼
 
薬師堂
鐘楼


徳林寺朱印

8月の入間川七夕まつり開催時期は、混雑するので要注意。

1月18日 初観音大般若祈祷
8月14日 盂蘭盆会大施食会





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