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17番徳林寺18番蓮花院 札所17番徳林寺からは、狭山市駅から西武新宿行に乗車、所沢で西武池袋線飯能行に乗換え、入間市で下車。駅北口を出て旧石川組製糸西洋館を目指す。ここで国道16号線を横断して左へ分岐、向橋を渡ると連花院の墓地があり、その先に参道がある。 電車で遠回りをしないで、バスで行くルートもある。 徳林寺に近いバス停、中央図書館から西武バス(狭山27)入間市駅行で入間黒須団地で下車、徒歩5分程度。 駅や電車内の路線図だと、狭山市と入間市はかなり離れている様に見えるが、両駅間は直線距離で2.5kmと極めて近い。 徳林寺からバス通りへ戻り右折、最初の信号を左折して、更に中之坂交差点を右折。その先の国道16号を左折。中央車線をキープしつつ黒須交差点を右折。突当りを右折してすぐの変則4差路を左手前に曲がり、霞川を渡って道なりに走れば蓮花院にでる。5〜6分ほどの距離。 |
1月17日に開扉される秘仏千手観音、四季折々で楽しめる日本庭園。
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黒須観音と呼ばれ永く信仰されてきた蓮花院は、正式名称を「世音山蓮花院妙智寺」と称し、本尊に不動明王を祀る真言宗智山派に属する寺院である。
院号の蓮花院を公称にしているのは、高麗の聖天院の末寺であることに関係してるのか。
入口を入ると、広い駐車場が左手に有り、参道が真直ぐに観音堂へ向っている。
現在の観音堂は、天保6年(1835)に再建されたもので、桁行三間、梁間四間の総欅造の平面に、桟瓦葺の寄棟屋根を付けている。一間の向拝を付け低い高欄を付した縁を廻らせた造りになっている。
外陣の天井には龍が描かれ、内陣の格天井には、東松山出身の狩野派画家江野梅青の手による花鳥の色彩絵165枚にが描かれている。
参道右手には弘法大師像が立っており、蓮花院は奥多摩新四国八十八ヶ所 第74番札所にもなっている。
観音堂から庫裏まで回廊が渡されており、その途中の奥に位牌堂がある。
蓮花院の本尊である不動明王立像はこの位牌堂こ安置されている。
旧来の本堂は明治33年(1900)に焼失したため、本尊は庫裡に祀られていた。昭和37年(1962)、回廊及び位牌堂が建立された際、本尊を位牌堂へ遷したそうだ。
庭園
観音堂から塀伝えに歩いてくると中門があり、一歩踏み入れると、庫裏の手前右側一帯が日本庭園になっている。
庭園は池を中心に自然石や燈籠が配置され、紅梅、楓、ツツジ、百日紅などが植えられ、四季折々の風情を楽しむことができる。
庭園は昭和39年より5年の歳月を掛けて作庭されたそうだ。
もう一つの入口
中門を背にして正面を見ると、敷石の先に高麗門が見える。車で入ったので気付かなかったが、こちらが本来の正門なのか。
その途中には、左手に蓮華を持った青銅の観音立像が立っている。
六地蔵・鐘楼
車で入った参道右側には、六地蔵が置かれ、隣の数段の石段が設けられた小高い部分に鐘楼が建っている。
蓮華院には、その歴史に多くの伝説があり、聞いても何れの説が真偽かよく分からない。
弘仁年間(810〜824)に弘法大師が湯殿山におもむく途中、当地で滞在して
一宇を建立した。
建仁元年(1201)「新古今和歌集」の代表的歌人寂蓮法師(俗名藤原定長)が
東国巡行の際、里人と共に一宇を建立した。
新田義貞の鎌倉攻めにおいて、入間川に布陣した際、霊夢を見て戦勝を
祈願。凱旋の後、正慶2年(1333)堂塔を建立。
札所本尊の千手観音は、養老年間(717〜24)に行基菩薩が感得した尊像である。
1月17日 観音例大祭 8月14日 施餓鬼法要