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19番東光寺20番龍圓寺 札所19番東光寺からは、前の広い方の道を右折して西に進み、突当りの信号を左折すると右手に参道がある。 約5分程の距離。 徒歩の場合と同ルートを辿る。 |
本堂裏からの眺望と北狭山茶場の碑。
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仏子駅へ通じる道路から、緩やかな坂道の参道を上がって行くと、横に広い境内に出る。
正面の本堂を挟んで、右側が納経所になっている庫裏、鐘楼を越えた左側が観音堂である。
歴史的な話し
開創時期は不明だが、自伝によると建仁年間(1201〜4)に寂蓮法師が東国を巡錫していた際、この地に草庵を結び千手観音を安置したのが始まりという。
慶安2年(1649)には、三代将軍徳川家光公より寺領十五石二斗の朱印状を与えられるなど隆盛した。
その後度重なる火災などに遭い荒廃の歳月を経て、宝永6年(1709)に亡くなった俊誉和尚が中興するものの、明治34年(1901)近火により類焼し、本堂を含む一切が焼失したなど、波乱な歴史を刻んできたようだ。
本堂
現在の本堂は、梁間七間、桁行五間、入母屋造、唐破風向拝付きの大きな建物で、昭和42年(1967)に再建されたものである。
本堂内には、本尊の虚空蔵菩薩が祀られている。
観音堂
本堂左手のスロープを上がって行くと、一段高いところに札所本尊を祀る新しい観音堂が建っている。(最上部の写真)
明治34年の火災の後、大正3年(1914)に入母屋造のお堂が再建された。
平成20年3月29日旧観音堂と同じ場所に、五間四方の宝形造、銅板葺の旧観音堂とほぼ同じ大きさの新観音堂が再建された。
観音堂に安置される千手観音は、小名田谷の井戸から出現したという10cmほどの金の仏像で、安産子育ての観音さまとして古くから篤く信仰されていたが、新堂建築を機に新仏像が祀られた。
観音堂が建つ一画には大きな十一面観音石造が立っている。
弘法大師堂
観音堂の脇から裏にかけての一画は、美観よく石が積まれ、ツツジが植え込まれるなど庭園の様を呈している。その上に登ってみると、上から堂宇を一望でき、更にその先の眺望が開けている。
大師堂には奥多摩新四国八十八ヶ所の札所本尊が祀られている。
観音堂と比べると簡素なお堂ではあるが、奥多摩新四国の石造は露座している場合が多く、このようにお堂に祀られているのは、大切にされているようで気持ちが良い。
弘法大師とペアになっているのは十一面観音である。お堂に比べて大きな本坪鈴が付けられているのが面白い。
昭和23年再建の鐘楼本堂裏の梅
観音堂上からの眺望 大樹が美しいシルエットを....。
1月16日と8月16日は新久観音の例祭が行われ、境内は人出で賑わう。
こういう日の納経は避けたほうが無難である。