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21番高正寺22番圓照寺 札所21番高正寺からは、参道から前の通りへ出て左へ。信号のある横断歩道を渡り、その先を右に入って仏子小学校の前を通って、突当りを左折。 50mほど先の十字路を右折して入間川を渡ると、踏切の手前に圓照寺が見える。 前の道を左へ行き2つ目の信号を右折して入間川を渡る。西武池袋線の踏切手前が円照寺。 |
七不思議伝説の池、各界名士染筆寄進の絵馬。
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高正寺から入間川を渡って来ると、白壁の先に圓照寺の山門がある。
門前には「奥多摩四国第五十八番、武蔵野七福神弁財天、武蔵野観音霊場第二十二番円照寺」の石標が立つ。
門の右側に建つお堂には大きな地蔵尊が3体、小さいのが2体安置されている。
境内は砂利が敷詰められ、池がかなりの面積を占めている。
池の中央の道を進むと突当りが本堂。池の右側は駐車場でその先に鐘楼が建ち、その奥は客殿である。
圓照寺に沿って西武池袋線が通っているので、時折電車の音が境内に響きわたる。
歴史的な話
圓照寺の草創は古く、平安時代に弘法大師が巡錫した折、霊泉を加持して堂宇を建立したのが始まりという。 創建は鎌倉時代初期で、加治豊後守家茂が、元久2年(1205)二俣川の戦いで畠山重忠と合戦、討死した父家季の菩提を弔うため、円照上人を開山に招き開基した。
円照上人は厳島より弁財天を、高野山より丹生明神勧請し諸堂を整備した。 以降、武蔵七党の丹党に属する加治家の菩提寺となった。
慶安2年(1649)徳川幕府より朱印十五石を賜わり隆盛したが、明治初年、廃仏毀釈の煽りを受け、寺領を奉還して現在に至っている。
本堂
境内の左奥に建つ本堂は昭和38年(1963)に建替えられたものだが、元禄年間(1688〜1704)に再建された本堂の天井裏、床下等を一部活かして建てられた。
以前の本堂は、建具を外せば、三方の大部分を吹き放せる構造で、8月15日の施餓鬼法要のときは大勢の檀家が集まるので、すべてを吹き放って真夏の暑さを凌いでいた。
本堂平面は四角形ではなく、内陣の部分が背面に出た凸形の平面をしている。
本堂内は、外陣が畳敷、内陣は板の間になっていて、中央の須弥壇には中央に行基菩薩の作とされる本尊阿弥陀三尊像が安置されている。この阿弥陀如来は、加治氏の守り本尊であったという。
阿弥陀三尊像の左手前には、厨子に収められた札所本尊の如意輪観音坐像が安置されている。
普段は非公開だが、武蔵野観音霊場総開帳の時は、開扉され、その尊像を拝見することができた。細身の小さい観音像である。
弁財天堂
心字池の中央にある中島に建つ弁財天堂には、厳島より加治氏が勧請の弁財天が安置されている。
以前は本堂側からしか弁天堂へは行けなかったが、現在は山門側に橋が架けられ、両方向から弁財天堂へ行けるようになった。
武蔵野七福神の一つで、毎年1月14日は弁財天の縁日で、境内及び寺周辺には出店が並び、大勢の参拝客が訪れ、この地域の一大イベントになっている。
不動堂
入口を入って池の手前を行くと、突き当たりに不動堂が建っている。
創建は不明だが、安永8年(1779)に再建された堂宇は、方三間の寄棟造、銅板葺で、正面に一間の向拝を付け、縁を廻らせている。
正面、丹塗りの扉上には「金剛殿」の扁額が掛かっている。堂内には、運慶作と伝えられる、北向き不動尊を安置している。
心字池
境内の中央には大きな池がある。
武蔵野霊場でこのように大きな池がある寺院は他に無い。
池には鯉が放たれていて、近所の子供がパン屑を与えている光景を目にする。
また、スイレンも有名で、開花の時期になると日々素人カメラマンが撮影に来ている。
弘法大師が加持したといわれるこの池には、七不思議の伝説がある。
(1) 流水の尽きることなし (5) 水濁れば3日のうちに雨降る (2) 鉱泉の瑞現 (6) うなぎの片目 (3) 蛙なくことなし (7) たにしの金色 (4) 雑草生えることなし …確かに、本堂左手前にある井からは、絶えず水が湧き出ている。大雨の後などは、本堂左端の縁の下辺りから水が染み出ている時がある。「流水の尽きることなし」は事実である。
鐘楼
池の北側に鐘楼が建っている。
吊り下がっている梵鐘は重要無形文化財保持者(人間国宝)香取正彦の作で、富山県高岡で鋳造されたものである。
かつて、NHKの「ゆく年くる年」でも放映されたことのある梵鐘である。
弘法大師堂
鐘楼の隣に方一間、切妻造の小さなお堂がある。
奥多摩新四国八十八ヶ所 58番の札所本尊が安置されている。
左側に弘法大師、右側が札所本尊の千手観音の尊像である。圓照寺も露座ではなく、お堂に入れて安置している。
大切に扱われているのが伝わってくる。
圓照寺は他にも関東八十八ヶ所 73番、高麗坂東三十三観音 11番の札所を兼務している。
国指定重文の板碑
境内の左奥の植え込みの中に国指定重文の板碑が保存されている収蔵庫がある。
この中の1基は、鎌倉時代末期の元弘3年(1333)の紀年銘があり、高さ133cm、幅38cmの緑泥片岩でできた板碑である。
三尊種子板碑といわれるもので、胎蔵界大日如来の種子、その下に脇侍として、降三世明王の種子と大威徳明王の種子が彫られている。
収蔵庫の前には、芝増上寺にあった石燈籠が2基置かれている。
いずれも、徳川第九代将軍 家重 諡号:惇信院の霊廟に献上されたもの。
絵馬
絵馬寺の別称で呼ばれるほど、圓照寺には数百点にもなる各界名士染筆の絵馬が奉納されており、その一部が本堂・客殿の長押に掲示されている。
棟方志功、武者小路実篤、阿部晋三、三遊亭円生、水谷入重子など政財界、文化芸能の著名な名が並んでいる。先々代住職の時代から奉納が始まっている。
※先代住職の許可を得て掲載してます。
1月14日の弁財天縁日と8月15日の施餓鬼法要には、多くの人が来寺され、納経所は受付に変わるので、この日の納経は避けた方が良いでしょう。
施餓鬼法要のとき、法要申込者には本場香川県で製造された団扇が授与され、読経時に僧侶たちが散華を撒く。