|
22番圓照寺22番浄心寺 札所22番圓照寺からは、元加治駅から飯能行電車に乗車。飯能駅南口を出で直進。 橋を渡った最初の信号を右折すると左手に浄心寺が見えてくる。 高正寺から来た道を県道195号まで戻り右折。 そのまま道なりに走り、阿須交差点を右折、橋を渡り加治橋交差点を左折。道なりに走り飯能駅前交差点を左折し、再び橋を渡り最初の信号を右折すれば浄心寺がある。渋滞が無ければ10〜15分で着く。 |
武蔵野七福神の毘沙門天。参道のサクラ。 |
飯能駅は西武池袋線の実質のターミナル駅で、一部の特急以外の殆どの電車が、飯能〜池袋間で運行され、秩父方面へは飯能〜西武秩父間で区間運行されている。
駅の北側は商業施設が多く建ち、賑わいのある街並みだが、南側は川があるせいか開発は進まず、北側とはかなり違った様相を呈している。
23番浄心寺は、南側の川を渡った先の街並みを一望できる高台にある。
浄心寺縁起によると、創建は明応〜文亀年間(1492〜1504)と古く、開山は聚栄常福和尚と伝えられる。 後の慶長12年(1607)、飯能にある能仁寺の五世吉州伊豚和尚が中興開山となり再興された。 開基は当地の豪族岩沢氏で、その戒名である瑞林院殿月叟浄心居士にちなんで、寺号を浄心寺とした。とある。
本堂
境内に入ると、昭和49年(1974)に建立されたという入母屋造の大きな本堂が建っているのが見える。
本堂には、本尊の阿弥陀三尊を安置する。
本堂前の高く伸びた三本杉がやけに目立っている。
本堂の左手には自然石を積んで造られた石垣に沿って庭が造られ、落ち着いた雰囲気を構成している。
観音堂
本堂手前左手に石段があり、石段を上がった一段高い所の右側に毘沙門堂、左側に観音堂が建っている。
入母屋造の観音堂は、昭和61年(1986)に再建された建物で、札所本尊の十一面観世音菩薩坐像を安置している。
像高約20cmの可愛らしい観音さまは、二十四の腕を持ち、衣の裾を蓮台の上に垂らした千手観音像だが十一面観音と呼ばれている。
十一面観音像はかつて、本山修験道の大悲山本明院の本尊であったが、明治の修験道廃止令により廃寺となったため、浄心寺に移された。
災難除け・開運出世にご利益があるといわれ、身代出世十一面観世音として篤く信仰されている。
毘沙門堂
観音堂の正面に相対して毘沙門堂が建っている。
切妻造の屋根に裳階を廻らせ、正面に唐破風の向拝を付している。
間口より奥行きの方が長い長方形の平面を持つ割と大きな建物で、内部も広い。
浄心寺六世梁観禅棟和尚が、江戸駒込の吉祥寺で修行された際、学業成就を寺に祀られていた毘沙門天に祈願したところ、祈願成就が叶った。浄心寺に戻った和尚は、近隣の堤家より伝来の毘沙門天像を譲り受け、報恩のために境内に安置した。
以来、学業成就、商売繁盛の信仰が高まり、「矢颪の毘沙門天」として親しまれ、今日武蔵野七福神の一つとして篤く信仰を集めている。と解説されている。
薬師堂
観音堂とは別の一段高い場所に薬師堂が建っている。古びた石段を上ると、切妻造の小さなお堂に「瑠璃殿」の扁額が掛かっている。
堂内には本尊の薬師如来三尊が安置されている。この薬師如来三尊は天文14年(1545)の作で、浄心寺最古の仏像だそうだ。他にも十二神将を安置している。
六地蔵尊・鐘楼
本堂手前右側には鐘楼と、参拝に訪れる人を優しく受け入れてくれる六地蔵が並んでいる。
毎年、1月7日は毘沙門天大祭が開催され、一番護摩を求めて午前0時から多くの人出があり、日中も出店が並び、参詣客で賑わう。
この日の納経は避けた方がよいかも。
主要行事
1月7日 毘沙門天尊例大祭、 8月15日:盂蘭盆大施食会
9月26日 開山忌