諸國放浪紀武蔵野三十三観音霊場
第28番 寶雲山 瀧泉寺ほううんざん りゅうせんじ
名称
寶雲山 瀧泉寺
本尊
 
千手観世音菩薩
宗派
 
真言宗智山派
ご詠歌
 
みなかみは などかはからん 瀧泉の
   千々の御手にて 救う誓いは
御真言
 
おん ばさらだるま きりく
他の霊場
 
高麗坂東三十三観音 第28番
所在地
 
埼玉県日高市横手79-1
042-982-1682
最寄駅
 
本堂
道のり
 
6回目の打出しは、武蔵横手の瀧泉寺から。

西武池袋線 武蔵横手駅下車。駅前の国道を高麗方向へ。
石垣に囲まれた瀧泉寺が見えてくる。交通量が多く、横断歩道も無いので要注意。

圏央道狭山日高ICを飯能方向に出て、道なりに走るとやがて国道299号と合流する。国道299号を暫く走ると「久保」が出てくるので、ここからは慎重に。右手に現れる石垣の上に丈の低い白壁に囲まれた一画が瀧泉寺である。 寶雲山 瀧泉寺と刻まれた石柱が立っているところが入口だが、トラックの通行が多い所なので、減速・右折には細心の注意を。
見どころ
 
本堂の天井曼荼羅、百数十種の蓮の花。
参拝メモ

いよいよ、奥武蔵野の山岳部分に近づいて来た。
石垣最寄駅の武蔵横手駅まで、池袋から休日なら最短55分で行く直通があるが、平日だと1時間3分〜1時間45分かかる。

国道沿いに、石垣が続いているの見えたらもう近い。
大きな石を築きあげ、その上に白壁の塀が伸びている。
山門は無く、寶雲山 瀧泉寺と彫られた石標が立っているところが入口である。

歴史的な話し
瀧泉寺の歴史は古く、万寿元年(1024)、龍尊上人による開山にて創建したとある。
およそ600年の後の寛永2年(1625)、尊慶上人が再興したという、現在の様子からは想像もつかない千年にも近い歴史を持つ古刹である。
江戸時代までは、真言宗御室派総本山 仁和寺の直末であったが、その後真言宗智山派に属している。

本堂の天井曼荼羅
本堂入口のスロープを上がって行くと、後ろの山と道路に挟まれた、横に長い境内が広がっている。
右へ行くと左手に青い屋根が特徴的な本堂が建っている。
昭和26年(1951)造立という堂々とした建物は、桁行七間の入母屋造で、正面中央に本堂の半分はあろうかという唐破風屋根の向拝を付けている。

向拝の奥には「寶雲山」と描かれた金文字の扁額が掛けてある。銘には「高尾山秀順」と記されてあり、智山派の高僧、高尾山薬王院第三十一世貫首山本秀順の筆によるものであろうか。

鰐口の下に立つと、ガラス戸が少し開いていて、隙間から色鮮やかな天井絵が見えた。
外陣に上がってみた。 外陣には平成4年(1992)に完成したという胎蔵界曼荼羅が、内陣には平成10年(1998)に完成した金剛界曼荼羅の諸尊が描かれている。
何れも信者によって描かれたものだと言うから凄い。


十三重塔 十三重塔と五輪塔
境内左奥に2009年に建立した石造十三重塔が建っている。10mを越すかという大きな塔である。
また、六地蔵の斜め後ろには同時期に建立された五輪塔が建っている。
最初に瀧泉寺を訪れた時にはまだ無かったので、新しい景色である。


何のお堂?
本堂の左手に建つ小さなお堂は何だろう...?
中を覗いたら十王が安置されていた。
中央には地蔵菩薩像らしき立像が祀られている。

納経の時伺ってみれば良かった。

鐘楼と境内諸像
入口のスロープを上がった右手に建つ鐘楼は、やぐらのような形をしている。左手には「南無蓮華不動尊」と彫られた石標と石造のお堂の中に祀られた不動明王像が安置されている。
本堂手前には、真言宗の寺院らしく修行姿の弘法大師が立っている。

鐘楼
蓮華不動尊
弘法大師


観音寺朱印

蓮鉢 … 境内一帯に置かれた蓮鉢には、百数十種の蓮が咲くという。
開花の時期に参拝したいものだ。

駐車場という表記はないが、十三重塔脇の広くなった場所に駐車した。
前の道路は、秩父方面がカーブになっており、入場時もそうだが、道路へ出る時は注意が必要。
場所がらダンプの通行が多いので、気を付けたい。

7月17日 施餓鬼会  8月 観蓮会  8月23日前後の土日 獅子舞


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