信州の善光寺と元善光寺・甲斐善光寺を三善光寺として、7年に一度の御開帳に、これらの寺院を巡るツアーなどが催されています。
誰が決めたかは定かではありませんが、この3ヶ寺を三善光寺と呼んでいるようです。
今回は、この三善光寺を紹介いたします。
平成21年に行われた善光寺前立本尊御開帳では、三善光寺に善光寺東海別院・関善光寺・岐阜善光寺を加えた六善光寺同時開帳が開催されました。
信州善光寺 |
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参道入口から本堂まで続く石畳を進むと、大きな仁王門が建っています。 幾度かの倒壊や焼失の後、現在建っているのは大正7年(1918)に再建された門です。善光寺としては、比較的新しい建物です。 三間一戸で間口約13m、奥行約7m、高さ約14mと大きく、屋根は銅瓦葺で正面に唐破風を付け、定額山の扁額が掲げられています。 門の手前左手に、善光寺を護持する大本願が建っています。 |
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仁王門をくぐると、その先は仲見世通りで、四十数件のみやげ物屋や飲食店が軒を連ねています。 お店を診て回るのも、善光寺参りの楽しみの一つでもあります。 圧倒的に土産物屋と食べ物屋が多いですが、仏具店が5店もあるのは、門前町だからでしょうか。 美容室も1店ありました。 |
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仲見世通りの先に、大きな三門があります。 国重文指定の三門は、中央3間が吹き放しになった、五間三戸の二階二重門で、屋根は栩葺の入母屋造りになっています。 松代群発地震などの影響で建物の基礎が損傷、楼門全体の老朽化もあり、平成十四年から5年をかけて大修復工事が行われました。 修復完了を機に、2階への登楼参拝が40年振りに再開されました。 平成21年の前立本尊御開帳の際、拝観してきました。 階段が急勾配で危険なため、入口や楼上には警備員が配され、登楼人数を制限しながらの拝観でした。 内部は撮影禁止だったため、映像記録はありませんが、南側は窓で、長野の市街地が一望できます。 北側には、文殊菩薩像、四天王像、十一面観音像、弘法大師像が、部屋周囲の長押の上に四国八十八ヶ所霊場御分身仏が安置されていました。 楼上には”善光寺”と書かれた扁額が掲げられています。 この額は、通称「鳩字の額」と呼ばれており、善光寺の3文字の中に鳩が5羽隠されています。 また、”善”の字が牛の顔に見えると言われいます。 なるほど、先入観を持ってみると確かに牛の顔でした。 |
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善光寺で毎日行われている行事に、「お朝事(おあさじ)」があります。 善光寺全山の僧侶が出仕して勤める朝の法要です。 善光寺を護持する天台宗・浄土宗の山内寺院が、日の出と共に毎朝1回ずつ法要を行います。 お朝事の導師を務める善光寺住職が、本堂を往復する際、参道にひざまずく参拝者の頭を数珠で撫でて功徳を授ける「お数珠頂戴」の儀式があります。 遊びに来ていた若いお兄ちゃん達に、「列に並びなよって」言ったら、「俺達はいいっすよ」と言っていたものの、住職が近づいたら神妙に頭を垂れていた。 …善光寺パワーって凄い! |
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本堂裏から北へ1kmほど離れた大峰山の中腹に、朱色のお堂があります。
このお堂は「雲上殿」といい、善光寺の納骨堂です。 本殿は昭和24年(1949)に落慶し、内仏殿には善光寺如来の分身仏が祀られています。 |
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善光寺ご朱印 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大勧進
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善光寺の山門を出た先の右手にあるのが大勧進です。
写真は大門で、寛政元年(1789)の作といわれています。 門を入ると萬善堂と呼ばれる本堂の他、諸堂が建て込んでいます。 |
日の出直後の大門。手前は放生池に架かる橋。 |
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大勧進は天台宗大本山で、善光寺山内にあって善光寺の護持・運営を司る寺院の一つです。 大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、善光寺の住職を兼ねています。貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっているといいます。 毎朝、日の出に合わせて行われる「お朝事」の、最初に上がって来られるのが大勧進の貫主で、 善光寺本堂で天台宗の法要があります。 写真右で、手前に建つのが位牌堂、奥が本堂の萬善堂です。 |
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写真左は護摩堂で、中には不動明王を中心に愛染明王、元三大師が安置されています。 大勧進には川中島で戦いを繰り広げた武田信玄,上杉謙信の位牌が納められています。宝物館で拝見することができます。 |
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大本願 |
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仁王門を出た先の右手にあるのが大本願で、浄土宗の七大本山の一つです。
門を入ると、本誓殿と呼ばれる本堂をはじめ、表書院(写真右)・奥書殿・明照殿・光明閣・寿光殿・宝物館などの堂宇が建っています。 |
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大本願の住職は、大勧進と同様善光寺の住職を兼ねています。
大本願は尼寺で、住職は「善光寺上人」と呼ばれ、代々皇室関係の方々が入山しています。 平成22年(2010)現在の大本願上人は鷹司家出身の121世鷹司誓玉です。 尼公上人は、大勧進貫主の法要の後にお朝事に来られ、浄土宗の法要を行います。 また、同様に 本堂への往復の祭、「お数珠頂戴」の儀式があります。 但し、仲見世通りではお数珠は受けられません。 |
中央は誓圓尼公上人、右は智榮尼公上人。 |
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北向観音堂 北向山 常楽寺
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北向観音堂は、近隣にある天台宗別格本山 常楽寺が管理するお寺です。 北向きという名称は、観音堂が北向きに建っていることに由来するのだそうです。 南向きに建つ善光寺に相対することから、「裏善光寺」とも呼ばれているそうです。 |
三善光寺とは直接の関係はありませんが、 善光寺では来世の利益を願い、北向観音では現世の利益を願うという....「善光寺だけでは片詣り」と元善光寺のキャッチに似たような話がここでも出てきます。 と言う訳で掲載しました。 |
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危なっかしい舞台の上に建つ瑠璃殿(左)、不動堂(中)、山門から真直ぐ続く参道(右)の両側には飲食店や土産物屋が並んでいます。 |
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北向観音堂は、天長2年(825)慈覚大師円仁によって開創。1182年(寿永元年)木曽義仲の戦乱により焼失。このとき安楽寺の八角三重塔、常楽寺の石造多宝塔以外は焼失したという。 |
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善光寺の宿坊 |
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宿坊は西院通り・釈迦堂通り・法然通りに沿って39あります。 各々の宿坊にはお堂があり、本尊が祀られています。 住職がおられて、宿泊者の世話をしてくれます。 また、お朝事への案内や、本堂参拝のサポートをして貰えます。 |
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宿坊以外のホテル・旅館 |
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善光寺周辺
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長野駅周辺 |
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松屋旅館仁王門の内側にある旅館 |
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長野駅周辺のホテルに宿泊してもお朝事OKです。 |
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車利用 |
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上信越自動車道 長野IC(新潟方面からは須坂長野東IC)から約40分 |
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電車・バス利用 |
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・長野新幹線・信越本線 長野駅下車。善光寺行バスで善光寺大門バス停下車。所要時間約15分 |
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ご当地関連商品 |
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