諸國放浪紀諸国一の宮巡り
 
 
小野照崎神社 (おのてるさきじんじゃ)
小野照崎神社
 
御祭神 : 
小野篁 (おののたかむら)
 
相殿神 : 
菅原道真 (すがわらのみちざね)
 
御神徳 : 
学問芸能
 
創建 : 
仁寿2年(852)
 
社格等 : 
旧村社
 
例祭 : 
5月19日に近い土日
 
鎮座地 : 
東京都台東区下谷2-13-14
    03-3872-5514
 
最寄駅 : 
 
公式サイト : 小野照崎神社   
 
アクセス
 
ここを巡拝のスタートとするなら、日比谷線 入谷駅4番出口を出て、 根岸方面へ徒歩約1分の距離。
1番ホーム(中目黒方面行)からなら、3番出口でもよい。
 
台東区循環バス「北めぐりん」利用なら、25番入谷駅入口停留所が便利。 (1回100円)
参拝メモ
   
大木の緑に囲まれた境内は静かである。
入口は2ヶ所あって、通りに面さない路地のほうから入ると、鳥居が2本建っている。
正面に立っているのが小野照碕神社、左の鳥居は稲荷社の扁額が掛かっている。 この稲荷神社は、小野照碕神社が上野寛永寺建立に伴い遷座してくる以前よりこの地の地主神として尊祀されていた神社だそうだ。
富士塚や庚申塚など境内には見どころも多い。

現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、この地にあって関東大震災や東京大空襲から難を逃れた貴重な建物である。

富士塚 (下谷坂本の富士塚)
   
社殿の左側に富士塚がある。
高さ約5m、直径約16mの富士塚は、文政11年(1828)に築造されたもので、塚全体を富士の溶岩で覆っているらしい。

東京に三つ存在する国の有形民俗文化財に指定された内の一つである。

均整の取れた美しい形状の富士塚を見るだけでもその価値はある。
普段は閉鎖されているが、毎年6月30日と7月1日に一般開放されるので登ってみるのも良いであろう。
1合目の岩屋に役行者像を祀り、5合目付近には富士講の祖といわれる藤原角行を祀っている。

庚申塚
   
社殿手前右手にある庚申塚には、11基の塔が祀られている。
これだけ纏まって立っているのも珍しいが、最古の塔は正保2年(1647)の作だという。
台座に三猿が彫られた青面金剛の塔で、仏教では庚申の本尊を青面金剛としており、説明書きでは大阪四天王寺のものと同作と記されている。

神道では庚申の祭神を猿田彦神としていることから、猿田彦神が彫られるケースもある。

三猿が彫られた庚申塔が多く立っているが、富士塚の前にも風雨による侵食が進んだ神猿が1対立っている。

境内末社
   
富士塚の富士浅間神社の他にも、2ヶ所の参道入口脇に祀られている。

御嶽神社・三峯神社・琴平神社
古くから御嶽神社が創建されていたが、江戸末期に琴平神社を、大正9年には三峯神社を合祀したと参拝の栞に記されてあった。
鳥居の扁額には御嶽神社・三峯神社と彫られている。
狛犬も三峯神社と同じ狼であった。

御祭神
御嶽神社:国常立命,国狭槌命,豊斟命
三峯神社:伊邪奈岐命,伊邪奈美命
琴平神社:素盞雄命

稲荷神社・織姫神社
参拝の栞によると、稲荷神社は長左衛門稲荷と称し、小野照碕神社が遷座される以前から当地の地主神として祀られていたそうだ。
参道が独立しているのは、地主神に敬意を払ってのことか...。

昭和29年、織姫神社を合祀したとのこと。

御祭神
稲荷神社:宇迦之魂命
織姫神社:栲幡千々姫命

御朱印  
御朱印は拝殿右隣の授与所で受けられる。
 
境内に駐車場はない。根岸方面へ200m以内にコインパーキングが5ヶ所ほどある。

旧別当寺は小野山嶺照院禅定寺。

次に訪れたのは


鷲神社 (おおとりじんじゃ)
三嶋大社
 
御祭神 : 
天日鷲命 (あめのひわしのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
 
御神徳 : 
商賣繁昌
 
創建 : 
不明
 
社格等 : 
旧村社
 
例祭 : 
酉の市 11月酉の日
 
鎮座地 : 
台東区千束3-18-7
    03-3876-0010
 
最寄駅 : 
 
 
 
アクセス
 
小野照崎神社から徒歩10〜12分。
分かり易いルートだと、小野照崎神社を左へ出て、昭和通を横断してそのまま直進。千束1の五差路を左折して直進。
右手に鷲神社の叉木が見えてくる。

歩きたくないなら、小野照崎神社を左へ出てすぐの所に「北めぐりん」の25番入谷駅入口バス停がある。
 
5つ目の30番台東病院で下車。途中、千束2丁目で鷲神社へはここという案内があるが、酉の市開催日以外は無視。
(台東病院では東口玄関から院内に入り西口玄関から出るとすぐ先が鷲神社) 
バスは15分間隔で運行されている。料金は100円。

北めぐりんの分かり易いwebサイトはこちら
 
参拝メモ
   
通称「おとりさま」として有名な鷲神社は、もともと道路を挟んだ隣にある長國寺に祀られてあった鷲宮だという。
明治の神仏分離令に伴い、長國寺から独立して鷲神社となった。

毎年11月の酉の日開催される「酉の市」には、境内を埋め尽くすほどの縁起物の熊手を売る店が並び、自分の意思では動けない位の人出がある。

拝殿に祀られている大きな「おかめ」は”なでおかめ”と呼ばれ、顔の各場所を撫でる事によって、それぞれ異なったご利益を授かるというもの。

向って右の頬を撫でれば、恋愛成就だそうで、若い女子が一生懸命撫でるもんだから、一段と黒光りしている。
     
参道・鳥居
国際通りに面して参道入口がある。入口には提灯や大熊手を飾る叉木が立ち、そこを抜けると朱塗りの大きな明神鳥居が立っている。

参道は真直ぐ社殿へと延び、大鳥居の奥には天保10年建立といわれる鳥居が立っている。
 
神楽殿・瑞鷲渡殿
二の鳥居の先には、小さめの叉木があり、くぐった先の左手に平成11年再建の新しい手水舎がある。
手水舎の隣は2階建の神楽殿で、1階は神札などを売る授与所である。
 
神楽殿の奥は瑞鷲渡殿と呼ばれる建物が続いている。
酉の市開催日は境内が一方通行で、社殿で参拝の後、この瑞鷲渡殿の下を抜けて出口へと誘導される。
手水舎
神楽殿と叉木
瑞鷲渡殿
       
御朱印  
御朱印は参道左側の授与所で受けられる。

御朱印には神社の御朱印(左)と浅草名所七福神の2種類がある。
 
境内に参拝者用駐車場があるが、酉の市開催日は利用できない。

都バス利用の場合 都08,草43,草63系統だと千束バス停から鷲神社まで徒歩2分。
     
 
次に訪れたのは

 
今戸神社 (いまどじんじゃ)
三嶋大社
 
 
御祭神 : 
應神天皇 (おうじんてんのう)
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
福禄寿 (ふくろくじゅ)
 
御神徳 : 
縁結び
 
創建 : 
康平六年(1063)
 
社格等 : 
旧村社
 
例祭 : 
6月第1土・日曜
 
鎮座地 : 
東京都台東区今戸1-5-22
    03-3872-2703
 
最寄駅 : 
 
公式サイト : 今戸神社 公式ホームページ    
 
アクセス
   
徒歩だと20〜25分の距離。
鷲神社を左へ出て、千束の大きな交差点を左折。最初の信号を右折(角の酒店”カクヤス”が目印)。次に千束三丁目6差路を左から2本目へ左折(白とベージュのビルの間)。
しばらく行くと、浅間神社の前を通る。浅草七丁目の交差点をそのまま直進して一方通行出口の方へ。二又を左へ行くと都立浅草高校に出る、その右側が今戸神社。

バスで行くなら台東区循環バス北めぐりんが便利。
30番台東病院から乗車して、4番リバーサイトスポーツセンター前で下車する。
 
都バス利用なら
千束から都08系統錦糸町駅行きに乗車、東武浅草駅で下車し、同停留所の別のりばから再び、東42-1・2系統なら浅草七丁目、東42-3系統ならリバーサイドスポーツセンター前で下車する。

または、草43系統浅草雷門行きに乗車、浅草雷門で下車し、東武浅草駅まで移動の後、前述の東42-1・2・3系統を利用する。
乗換えを考えると、やはり北めぐりんが有利。
   
参拝メモ
   
康平六年(1063)奥羽鎮守府将軍伊豫守源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を勧進し今戸八幡を創建したといわれている。

昭和12年(1937)、隣地に鎮座していた白山神社を合祀し、社名を現在の今戸神社に改称した。入口の今戸神社社標脇に「元今戸八幡宮」と書かれた柱が立っている。

現在ある権現造りの社殿は、昭和46年(1971)に再建されたもので、それまでは、関東大震災,東京大空襲や度重なる戦乱兵火により被災と再建を繰り返してきた。

今戸神社は、招き猫発祥の地として知られており、拝殿他各所に招き猫が飾られている。
江戸時代末期、浅草に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、その猫が夢枕に現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして売出したら大評判になったという。
これが招き猫の発祥と言われる所以である。

また、この地の粘土が良質だった事から、今戸焼が栄えた事もあり、境内には「今戸焼発祥之地」と刻まれた石碑が立っている。

御祭神に伊弉諾・伊弉冉の夫婦の神様を祀っている事から、縁結びに縁があるとされ、若い女性の参詣が多い。
また、今戸神社の絵馬は丸い形をしている(写真左端)。これは単に縁と円の語呂合わせである。

鳥居と本殿
リバーサイドスポーツセンター前でバスを降りると、ここにやってくる。

鳥居があるのはこちらだけ。対面側の入口は叉木のみなので、こちらが正門に当たるのであろう。

ちなみに、無料のパンダバスの停留所は境内にある。

参道を進んで行くと、右手に社殿へ向う参道が出てくる。
右側にはガーデン用のテーブルと椅子が備えられてあり、何やら若い女性三人連れが絵馬に書き込んでいた。
拝殿から左側へ回ると、空地から本殿が見えた。
     
御朱印  
御朱印は拝殿右隣の授与所で受けられる。

御朱印は神社の御朱印(左)と浅草名所七福神の2種類がある。
 
バス関連のサイトは下記を参考に。
北めぐりん:台東区循環バス「めぐりん」
都営バス東42-1東42-2東42-3

旧別当寺は八幡山無量寺松林院。
     

次に訪れたのは

 
第六天榊神社 (だいろくてんさかきじんじゃ)
 
浅間神社
御祭神 : 
天神第六代坐榊皇大御神 (あまつかみむつのみよにあたりたまうさかきのすめおおみかみ)
面足尊 (おもだるのみこと)
惶根尊 (かしこねのみこと)
 
御神徳 : 
健康長寿
 
創建 : 
景行天皇40年 (110)
 
社格等 : 
旧村社
 
例祭 : 
6月第1土・日曜日
 
鎮座地 : 
東京都台東区蔵前1-4-3
    03-3851-1514
 
最寄駅 : 
都営浅草線 蔵前駅 徒歩約2分 
 
公式サイト :
第六天榊神社 公式 Twitter   
 
アクセス
今戸神社から、浅草七丁目バス停まで行き、都営バス 東42-1系統 東神田・東京駅八重洲口行に乗車、7つ目の蔵前一丁目で下車する。
バスを降りたらそのまま進行方向へ歩き、須賀橋交番前を左折すると左手に榊神社がある。
参拝メモ
多くの緑に覆われた神社である。
古来より第六天神宮と称され浅草鳥越の地に鎮座していたが、江戸時代、造成の為幕府の命により蔵前に移り、再度遷座の後、昭和3年現在地に遷座した。
第六天神宮は明治6年(1873)榊神社に改称した。

第六天は国之常立神から始まる神代七代(かみよななよ)の六代目、面足尊・惶根尊のことである。
榊神社は全国の第六天を祀る神社の総本社になっている。

須賀橋交番から路地に入ると、大きな鳥居と両側を大木に覆われた参道が見える。
参道を進んでいくと、右側に手水舎がある。

突当りが社殿だが、左側からも入口があり参道が交差している。

こちらの参道を入ったところに境内社、神楽殿、授与所などが建っている。
榊神社の建物は、授与所を除いてオフホワイトで統一されている。

神楽殿も高欄を含め屋根以外は白く塗られている。

写真右は拝殿前の狛犬。
境内社
西側入口を入った両側に4社が鎮座している。

七福稲荷神社・豊受神社・事比羅神社
入口を背に、参道左側には小さな鳥居の先に「七福稲荷神社」が、その先に並んで「豊受神社」「事比羅神社」を祀る社が建っている。

写真左の七福稲荷神社は、倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)を祭神とし、穀物・商売繁盛のご利益があるとされている。

写真右は豊受姫神(とようけひめのかみ)を祭神とする豊受神社と、大己貴神(おほなむちのかみ)を祭神とする事比羅神社が一緒に祀られている。

繁昌稲荷社
参道の右側、神楽殿隣の奥まったところに繁昌稲荷社が鎮座している。
ここにだけある朱塗りの鳥居が目立つ。まるで、モノクロの世界に一点の彩りを差し入れた感じがする。

倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)を祭神とし、五穀豊穣・商売繁盛のご利益があることから、近隣の商店主と見られる方が参拝に来れていた。

右の写真では木の陰で見づらいが、 稲荷社の手前に立っている4m程の石碑は「浅草文庫跡碑」である。
榊神社のある辺りは、明治7年(1874)創設された官立の図書館である浅草文庫が建っていた。
文教の旧地を記念して、昭和15年11月建立された石碑である。
     
御朱印  
御朱印は拝殿左側の授与所で受けられる。

授与所が不在の時は、拝殿右側にある社務所のインターホンでお願いする。
 
榊神社から徒歩6分ほどの所に鳥越神社があるので、時間があったら参拝するのもよい。

境内に駐車場はないが、付近にコインパーキングは割りとある。
     

 次に訪れたのは

 
下谷神社 (したやじんじゃ)
 
主祭神 : 
大年神 (おおとしのかみ)
 
配祀神 : 
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
 
御神徳 : 
家内安全
 
創建 : 
天平2年 (730)
 
社格等 : 
旧郷社
 
例祭 : 
5月10日前後の土・日曜
 
鎮座地 : 
東京都台東区東上野2-29-8
    03-3831-1598
 
最寄駅 : 
銀座線 稲荷町駅 徒歩約2分 
 
 
アクセス
 
榊神社からは、地下鉄で移動する。
江戸通りに出て、右へ行くと蔵前一丁目交差点の先に都営浅草線の蔵前駅A1番出入口がある。
 
浅草方面行に乗車、浅草で銀座線に乗換えて2つ目の稲荷町で下車。1番出口を出てそのまま歩くと左手に鳥居が現れる。
徒歩で移動しても、20分〜25分。
 
参拝メモ
   
浅草通りを上野方面に歩いて行くと、道路に面して赤い大きな鳥居が出てくる。分かり易い神社である。

下谷神社は、天平2年(730)に行基により慈雲山長栄寺正法院と共に創建された神仏習合の神社であった。
かつては下谷稲荷社と称していたが、神仏分離令以降、現在の下谷神社に改められた。旧町名や稲荷町の駅名は下谷稲荷社に起因している。

二の鳥居を入ると、境内には神楽殿、境内社、手水舎が建ち、社殿は更に神門を入った中に建っており、周囲を木造の塀で囲んでいる。
神門には、少しでも涼をとれるようにとの配慮から、ミストシャワーが設置されていて、細かい霧が噴霧されていた。

手水舎の脇から隆栄稲荷社へ抜けられる。
更に塀に沿って裏手の入口へと敷石が延びている。
この小路がなかなか風情があってよい。
片側は稲荷社の赤い柵、反対側の塀は縦格子に造られていて、歩いて行くと拝殿が見え隠れする。
縦格子は透塀にかわる。

塀の上からは、権現造の弊殿,本殿の様子がよく分かる。

境内社
   
境内東の一角に赤い柵で仕切られた場所に、末社の隆栄稲荷社が鎮座している。
御祭神は宇賀魂命(うがのみたまのみこと)。商売繁昌,家内安全の守護神である。
手水舎の脇から稲荷社の入口に入ると、参道は南に折れ下谷神社社殿と同じ向きで真っ赤な一間社が建っている。


     
御朱印  
御朱印は拝殿右側にある授与所で受けられる。
 
寛政10年(1798)、初代 三笑亭可楽により、境内で初めて寄席が開かれた。寄席発祥の碑が立っている。

旧別当寺は、慈雲山長栄寺正法院。現在は豊島区西巣鴨にある天台宗の寺院。
     

 

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