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上総國に上陸した肥後国造の一族だった多氏が、開拓を行いながら常陸國に勢力を伸ばした。この際、出雲國の拓殖氏族によって農耕神として祀られたのが起源とされているとのこと。
蝦夷に対する大和朝廷の前線基地として、鹿島神宮と共に重要拠点であったという。
五代将軍徳川綱吉は元禄13年(1700)に社殿を造営、現存する本殿は国指定重文である。
明治4年(1871)、官幣大社に列し、その後勅祭社となった。
昭和23年(1948)、近代社格制度の廃止に伴い、別表神社に定められている。
全国に約400社ある「香取神社」の総本社である。 |