諸國放浪紀 鎌倉仏像散策
 
第3回 極楽寺・長谷方面
 
コース :高徳院(長谷大仏) 〜 長谷寺 〜 成就院 〜 極楽寺
       
  第1回 山ノ内界隈 第2回 雪の下・扇ヶ谷界隈 第3回 極楽寺・長谷方面
  第4回 大町・小町・雪ノ下界隈 番外編 十二社・二階堂  

長谷時計台前広場から上記のコースを歩くのですが、長谷大仏に行く途中で

鎌倉市立御成小学校:もと御用邸のあった所で、看板の文字は虚子の筆。
名門の小学校で木造のため鉄筋にしようとしているが、市民の反対にあっている。理由は鉄筋の基礎造りには土を深く掘ると遺産を破壊するおそれがあるからとの事。
 
なんでも鎌倉は1〜2m掘ると何かしら出てくるそうで、この為に鎌倉市民は発掘事業に敏感で、この種の運動の先鞭をつけたそうです。
ですからこの学校は今だに仮校舎で二部授業をしているとの事。
 
甘縄神明神社:ここで源頼義が祈願し八幡太郎義家をこの地で生んだ、と言われ源発祥の地。この下に安達盛長(幕府創設の基礎を築いた重鎮)の屋敷があったそうで、安達氏にかかわる話しをるる聞きました。

この話しに限った事ではないのですが出所は「吾妻鏡」です。
日記風に書かれたこの資料を読んでくれるのですが.........。
分かったことは鎌倉の歴史を理解するには「吾妻鏡」を読む必要がある事位で、その他は頭に残っていません。
 
などの説明や吉屋信子記念館、鎌倉文学館の話しがあって大仏さんに着いたのは11時半を過ぎていました。
 

 高徳院  (長谷大仏)  こうとくいん : 鎌倉市長谷4-2-28
 
鎌倉の大仏さまで知られているが、正式な名前は「高徳院清浄泉寺(こうとくいんしょうじょうせんじ)」という。いつも観光客で賑う鎌倉の名所。
 

この大仏さんは高徳院の本尊で正式名は「阿弥陀如来坐像」。
私も何度か拝観していますが、良く観ましたのは初めてで、‘頭がパンチパーマの螺髪、手の指を丸めている’ことで阿弥陀如来さまである事がすぐに分かりました。
 
意外な事にこの大仏像は鎌倉にある仏像のうち、唯一の国宝だそうです。
造立は建長四年(1253)以降で完成の年次は不明。金属の含有率は、銅 64.3%、錫 9.2%、鉛
13〜12%で鉛が多い。(古代の金銅仏では、1%以下)。 
     
高さ1,150.5cm(因みに奈良東大寺の大仏は16m)、立てば20m位あって大阪まで歩くと8時間で行ける、と言ってましたがその根拠は分かりません。
 
東大寺の大仏との比較で、先生は、

造営の動機:奈良の大仏は聖武天皇の発願により、国の威信をかけて造られたのに対し、鎌倉の大仏は一人の遁世僧の発願で諸国を勧進して浄財を集め、十数年の歳月をかけその悲願が達成されたもの。

補修の有無:奈良の大仏は幾度か補修が行われたが、鎌倉の大仏は一度も補修されず七百五十年前のお姿のままである。

を強調されてました。
 
こう言う話しの他に大仏殿(明応4年(1495)まであった。)を守る為に軍勢五百人が一度に死亡した事などを聞きますと、親しみと慈しみを感じます。
過去の大仏拝観は多分に観光気分でしたが、歴史を知る事は心を豊かにしてくれると感じた次第です。
このあと長谷寺へ行くのですが、その途中「桑ケ谷療養所跡」の石碑があります。この様な療養所は他にも数箇所あり、中には馬の療養所もあったそうです。
 

 長谷寺  はせでら : 鎌倉市長谷3-11-2
 
「長谷観音」の名で有名。天平八年(736)創建と言われている。山号の海光山にふさわしく、見晴らし台からの景観は素晴しく鎌倉南部の市街地や由比ケ浜が一望出来る。

この寺は坂東三十三観音の第四番の札所(鎌倉にはこの他に一番札所の杉本寺、三番の安養院の三ケ所あります。)として知られいますが、創建の時期は明らかでなく梵鐘の銘から鎌倉時代末期には建立されていたのは確かとの事。

鎌倉と言えば、鶴岡八幡宮、長谷の大仏そしてここの長谷観音ですが、高さは9m18cmの十一面観音で木造ではわが国最大のもの。
珍しいことに錫杖(シャクジョウ)を持って、きらびやかで、なんとなく今まで拝観しました仏さまとは異質な感じがしました。
 
ここには数千体もの水子地蔵や、境内の片隅には小さい石像が沢山あります。それらを観ながら先生から「船形後背」、「半肉彫り」などと言う言葉を教えてもらいました。


境内からの眺望

 

 成就院  じょうじゅいん : 鎌倉市極楽寺1-1
 
三代執権北条泰時が承久元年(1219)創建した真言宗の寺。弘法大師空海がここの裏山で説法されたと言われ、境内に弘法大師像がある。
 
成就院 虚空蔵堂の前の道をへだてた丘に成就院があります。ここの参道にも紫陽花があり、明月院と比べると規模は小さいのですが見事だそうです。
当日はやっと咲きはじめた時期でした。
 
ここの本堂は公開されていないのですが、我々は特別に内拝させてもらいました。
本尊の不動明王像や腕をくんだ文覚上人の荒行像が安置されてます。
いずれも暗所におられ、持参した懐中電灯が役に立ちました。
成就院参道
成就院の参道に咲く紫陽花


 極楽寺  ごくらくじ : 鎌倉市極楽寺3-6-7
 
江ノ電「極楽寺」駅の近くにある。忍性が開山した古刹。正元元年(1259)創建。
昔は栄えた大寺院であったが、室町中期の火災や大地震で衰退した。
 

極楽寺 開山の忍性は貧民救済の為に諸施設を造ったり(桑ケ谷療養所もその一つ)、多くの寺院に住し、道路・橋・伽藍などの修築し慈善事業に尽くしたので、忍性菩薩と呼んで敬われた。
 
八十七歳で亡くなられたのですが、遺骨は極楽寺など六ケ所に分骨され、墓塔が建てられているそうで、お人柄が偲ばれます。
 
現在は山門と金堂・庫裡そして転法輪殿と、こじんまりしたたたずまいですが、多くの文化財が保存されいます。
その一つが国重文になっている本尊の釈迦如来立像
このお像は京都嵯峨清涼寺の釈迦如来像(国宝)を模刻したものですが、秘仏となっており厨子に安置されて直接拝観出来ません。
開扉されるのは4月7〜9日だけでそれ以外は住職さんも拝観出来ないそうです。
従って普段は厨子前に置かれた写真を拝観します。
 
その他お釈迦さまが初めて説法されたお姿の釈迦如来坐像釈迦十大弟子像(例えば「阿難陀」、は多くを聞き取り忘れないことを第一とする多聞第一像など十の弟子像。皆それぞれ個性のあるお顔をされてます。)など観るものが沢山ありました。
 
これらの仏さまの前で住職さんの説法を聞きました。
先生が知り合いとかで我々だけにしてくれたのですが、お経をあげた後、

住職:『よくおいで下さいました。皆さん手を合わされて何をお祈りされましたか?
我々:『………?
住職:『何の目的もなくただ手を合わすだけでは、もつたいない事です。
     せっかく仏さんに会われたのですから、何か一つでもお願いし、それに向かって努力しなければなりませんよ。

これには穴でもあったら入りたい気持になり、皆シュンとしてしまいました。
 
住職さんの話:

開山は忍性、スポンサーは北条重時で社会福祉に尽くした人。
清涼寺の釈迦像のお顔はお釈迦様にそっくりで、ここの釈迦如来像はそれを真似した貴い仏さま。
一周忌、三回忌とかの供養は「追善供養」と言って、死者に代わって善いことをし、お願いするため。
お彼岸の目的は一つは先祖への感謝、もう一つは自分自身の反省。
仏教の世界では他人に迷惑をかける事を最も嫌う。

などの身近い話しの終わりに次の漢字の意味を教えてもらいました。

』 ……
お寺へ行った時には何かをもって帰ること。
』 ……
人の為にする行いは、一方通行であって見返りを求めてはならない。それは‘いつわり’の行為となる。
怪我』 …
自分があやしくなっている状態を言う。(肉体だけでなく、心の状態をも含めて。)善い事をし、正しい信念をもっていればケガはしない。
住職さんは話しは分かり易く、その上話し上手なのに感心しました。
重荷が軽くなった様な気分で、帰りの江ノ電に乗りました。




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