覚園寺への路:大塔宮行きバスの終点(ここに鎌倉宮がある。)から、車がやっと通れる狭い、真直ぐな路を7〜8分歩いた突き当たりに覚園寺はあります。
どこからともなく漂ってくるキンモクセイの匂、石垣から垂れ下がった赤紫の萩に舞う黄色の小さい蝶、夏を惜しんでいるような赤いサルスベリ、鎌倉の秋らしい風情の小路です。
お坊さんの案内:
午前10:00, 11:00 、午後は0:00, 1:00, 2:00、3:00 の計6回。(平日の0:00は無し)
所要時間は約50分。一ケ所でもっと観たいと思っても出来ません。
お坊さんから最初に、
『この寺は明治になってから真言宗になったもので、それ以前は種々な宗派であった為その名ごりが残っている。』
との断りがあり、そのためではないでしょうが鎌倉でこれ程多くの種類が集まっている寺はない、との事。
柵に入る前に愛染堂のお像の説明があるのですが、遠方からの拝観ですからよく分かりませんでした。(お像は未公開)また敷地は広く、建長寺に隣接していると聞き、驚きました。
柵内に入ってまず感じますのは、うっそうとした樹木、遠望して目に入るのは山並みばかりでここは山深いお寺だ言う実感と、その静寂さです。それに包まれて本堂の薬師堂があります。
薬師堂正面には本尊の薬師如来像、脇侍の日光菩薩・月光菩薩、左右には十二神将像が六体ずつ安置され、その堂々とした体躯には圧倒されます。
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それにこのお堂の中は土色で、外の鬱蒼とした緑とは対象的な別世界に入った錯覚を覚えます。内部の壁も土色ですが、ひときわ薬師像・両菩薩さまは全身土色の化粧をしている様です。
嘗っては、きらびやかな装飾を施されていたのでしょうが、数百年の歳月の間に余分なものは捨て去り本当に必要な最小限のお姿を晒して.......と無言の語りかけで迫ってきます。
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この三像は国の重要文化財となっている宋風の仏さんです。それは衣(衲衣―ノウエ―)をだらりと下げているからですが、蓮弁の台坐からも垂れ下がっているので、‘垂下の仏'と言う説明でした。
言われて良く拝観しますと、普通観る仏さんとはどことなく違って異国の感じがする顔立ちです。
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本堂にはこの他、右奥に阿弥陀如来像(‘鞘阿弥陀'、右脇に鎌倉特有の土紋装飾が見られる。)や月光菩薩の前方には、‘おびんづる尊者'の像が安置されてます。
このお像は自分の体の悪い所(例えば腰など)があれば、お像の腰をなでると治る、と言われているそうで皆がなでたため体中が光ってました。
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天井には大きな竜の絵が描かれ、その両わきの梁の銘には‘文和3年(1354年)足利尊氏が再興した’事が書かれてます。
次に案内してもらったのは、茅葺の旧内海家住宅。江戸中期の上層農家の家を復元したもので智恵文殊菩薩が安置されてます。ここでお坊さんより、
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茅葺きの家は人が住んで煙をたいていれば七十年はもち、茅葺きは七十年に一度でいいが、ここは火災報知器が設置されていて煙を出せない(県重文のため)。その為三年位で駄目になる。
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三途の川とは、川を渡るのに1)浅い箇所、2)深い箇所を歩いて渡るか、それとも3)船で渡るか、の三通りあるから。
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初七日から三十三回忌までの十三回の忌日には各々の仏様が十三おられる。(例えば三回忌は阿弥陀如来。)法要の事を‘追善供養'と言うが、その意味は
『我々がこの世(此岸)で善い事を行い、その事を仏様に報告、法要の度に追加してもらう。そうする事で彼岸に行った人の冥福を祈ることが出来る。』など仏教と日常生活の関わりについての話しを聞きました。 |
最後はこじんまりした地蔵堂に安置されている黒地蔵。
右手に錫杖、左手には宝珠をのせ典型的なお地蔵様です。木造で彫刻的にも優れているそうですが、よく分かりませんでした。
全体的に黒っぽく、その上時間があまりなくて良く拝観出来なかった事もありますが..........。
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お堂の前に、
『そで振り合うも他生の縁』
と書かれた看板があります。お坊さんから‘多生'ではなく‘他生'が正しいと言われました。
【他生:現世(今生)以外の前世(前生)、来世(後生)の事】
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このお地蔵さんは子育て地蔵としての信仰があり、8月10日の縁日はたいそう賑う様です。 |
場所を移動する道すがら、珍しい花を教えてもらいました。
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玉アジサイ:直径1cm位のつぼみが弾けて開く大きい花。 |
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サクラ升麻:細長い茎に沢山の白い花。根は解毒、解熱剤。 |
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ジンジャー:葉はショウガに似た白い花。香りがいい。 |
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トリカブト:鶏のとさかの様な紫の花。 |
覚園寺は仏像の他に折々に咲く草花も多い様です。
お坊さんが言うには、春は梅とアジサイ、秋はモミジ、冬至の桜、がいいとの事でした。