諸國放浪紀 鎌倉仏像散策
 
番外編 街からはずれた十二所・二階堂の寺

この四回で「鎌倉シテイガイド協会」のイベントは終わったのですが、自分の気持は‘終了’にはほど遠く、その後何度か鎌倉へ出かけました。
 
その中で印象深いお寺をご紹介します。普段あまり行かない街から一寸離れたお寺です。

 
  第1回 山ノ内界隈 第2回 雪の下・扇ヶ谷界隈 第3回 極楽寺・長谷方面
  第4回 大町・小町・雪ノ下界隈 番外編 十二社・二階堂  
 

 
 光触寺  こうそくじ : 鎌倉市市十二所793
 
鎌倉の最も東のはずれにある七時宗寺院の一つ。もとは真言宗 の寺であったが、開山の作阿上人が一遍に帰依して時宗となった寺
 

入ったとたん、鎌倉によく見られるいかめしい総門や三門,本堂ではなく、こじんまりした田舎のお寺の雰囲気を漂わせる親しみを覚えます。
 
普段は公開されていない本堂の「阿弥陀三像」を拝観させてもらいました。
本尊は頬焼阿弥陀で知られる阿弥陀如来像、脇侍は観音菩薩勢至菩薩。典型的な阿弥陀来迎(お釈迦さまを迎える)の三尊像ですが

  1. 各々運慶、快慶、湛慶の作と言われているがはっきりしない。しかし鎌倉前期の作である事は確かとの事ですから、もう700〜800年もの歳月を経ていますので思わず息が止まります。
     
  2. これら三像は戦前は国宝であったが、戦後の見直しで国の重文になってしまったとの事。(こんな事ってあるんだろうかと、仲間の人に聞くと『戦後の見直し時、仏像は奈良のものが重視され鎌倉のは軽視された。』との答えが返ってきました。)
     
  3. 三像とも光背に放射状、それを繋ぐ円形の輪を供えています。
    これが“阿弥陀くじ”の謂われとの事。

など教えてもらいました。
 
住職さんの説明の中に本堂正面の額を指差して、
    『これは後醍醐天皇が書かれた文字ですが、読めますか?
と質問され皆でしばらく考えましたが判らず。答えは『光触寺』。
“触”の字が簡略化される前の字ですから見当もつかなかったのですが、この寺の格式の高さをうかがいさせられました。
 
この本堂のわきに「塩嘗地蔵」が祀られてます。よく知られた伝説があるのですが、本当に頭部から額、顔にかけて風化されてますが、それがかえって庶民に親しまれた事を表わしている様です。
 
その回りには地獄・畜生・・・・までも救いに行くと言う六体の赤い舞掛けをした六地蔵が坐しており印象的でした。
 
印象的と言えば門を入った参道の両側に並ぶ石仏です。
片側15〜16体あるでしょうか。みな整った顔をして参道より少し高くなっている台の上に立っていたり、坐していたり。その下には見頃の赤いサルビヤの花。丸い頭の石仏が目を臥せ、先を尖がらせ天を指すサルビヤを見つめている姿が忘れられません。

本堂の阿弥陀三像は公開されてませんが、事前に予約すれば拝観出来るようです。
 住所:鎌倉市十二所 292 電話:0467(22)6864
 

 覚園寺  かくおんじ : 鎌倉市二階堂421
 
お坊さんの案内でしか拝観出来ないが、広大な寺域は全域国史跡になっている。
優れた仏像も多くまた草花も多い。最も鎌倉らしい寺と云われている。

覚園寺 覚園寺への路:大塔宮行きバスの終点(ここに鎌倉宮がある。)から、車がやっと通れる狭い、真直ぐな路を7〜8分歩いた突き当たりに覚園寺はあります。
どこからともなく漂ってくるキンモクセイの匂、石垣から垂れ下がった赤紫の萩に舞う黄色の小さい蝶、夏を惜しんでいるような赤いサルスベリ、鎌倉の秋らしい風情の小路です。

お坊さんの案内:

午前10:00, 11:00 、午後は0:00, 1:00, 2:00、3:00 の計6回。(平日の0:00は無し)
所要時間は約50分。一ケ所でもっと観たいと思っても出来ません。

お坊さんから最初に、
  『この寺は明治になってから真言宗になったもので、それ以前は種々な宗派であった為その名ごりが残っている。
との断りがあり、そのためではないでしょうが鎌倉でこれ程多くの種類が集まっている寺はない、との事。
 
柵に入る前に愛染堂のお像の説明があるのですが、遠方からの拝観ですからよく分かりませんでした。(お像は未公開)また敷地は広く、建長寺に隣接していると聞き、驚きました。
 
柵内に入ってまず感じますのは、うっそうとした樹木、遠望して目に入るのは山並みばかりでここは山深いお寺だ言う実感と、その静寂さです。それに包まれて本堂の薬師堂があります。
 
薬師堂正面には本尊の薬師如来像、脇侍の日光菩薩・月光菩薩、左右には十二神将像が六体ずつ安置され、その堂々とした体躯には圧倒されます。

それにこのお堂の中は土色で、外の鬱蒼とした緑とは対象的な別世界に入った錯覚を覚えます。内部の壁も土色ですが、ひときわ薬師像・両菩薩さまは全身土色の化粧をしている様です。
嘗っては、きらびやかな装飾を施されていたのでしょうが、数百年の歳月の間に余分なものは捨て去り本当に必要な最小限のお姿を晒して.......と無言の語りかけで迫ってきます。
 
この三像は国の重要文化財となっている宋風の仏さんです。それは衣(衲衣―ノウエ―)をだらりと下げているからですが、蓮弁の台坐からも垂れ下がっているので、‘垂下の仏'と言う説明でした。
言われて良く拝観しますと、普通観る仏さんとはどことなく違って異国の感じがする顔立ちです。
 
本堂にはこの他、右奥に阿弥陀如来像(‘鞘阿弥陀'、右脇に鎌倉特有の土紋装飾が見られる。)や月光菩薩の前方には、‘おびんづる尊者'の像が安置されてます。
このお像は自分の体の悪い所(例えば腰など)があれば、お像の腰をなでると治る、と言われているそうで皆がなでたため体中が光ってました。

天井には大きな竜の絵が描かれ、その両わきの梁の銘には‘文和3年(1354年)足利尊氏が再興した’事が書かれてます。
 
次に案内してもらったのは、茅葺の旧内海家住宅。江戸中期の上層農家の家を復元したもので智恵文殊菩薩が安置されてます。ここでお坊さんより、

茅葺きの家は人が住んで煙をたいていれば七十年はもち、茅葺きは七十年に一度でいいが、ここは火災報知器が設置されていて煙を出せない(県重文のため)。その為三年位で駄目になる。
 
三途の川とは、川を渡るのに1)浅い箇所、2)深い箇所を歩いて渡るか、それとも3)船で渡るか、の三通りあるから。
 
初七日から三十三回忌までの十三回の忌日には各々の仏様が十三おられる。(例えば三回忌は阿弥陀如来。)法要の事を‘追善供養'と言うが、その意味は
『我々がこの世(此岸)で善い事を行い、その事を仏様に報告、法要の度に追加してもらう。そうする事で彼岸に行った人の冥福を祈ることが出来る。』など仏教と日常生活の関わりについての話しを聞きました。

最後はこじんまりした地蔵堂に安置されている黒地蔵。
右手に錫杖、左手には宝珠をのせ典型的なお地蔵様です。木造で彫刻的にも優れているそうですが、よく分かりませんでした。
全体的に黒っぽく、その上時間があまりなくて良く拝観出来なかった事もありますが..........。

お堂の前に、
『そで振り合うも他生の縁』
と書かれた看板があります。お坊さんから‘多生'ではなく‘他生'が正しいと言われました。
【他生:現世(今生)以外の前世(前生)、来世(後生)の事】
 
このお地蔵さんは子育て地蔵としての信仰があり、8月10日の縁日はたいそう賑う様です。

場所を移動する道すがら、珍しい花を教えてもらいました。

玉アジサイ:直径1cm位のつぼみが弾けて開く大きい花。
サクラ升麻:細長い茎に沢山の白い花。根は解毒、解熱剤。
ジンジャー:葉はショウガに似た白い花。香りがいい。
トリカブト:鶏のとさかの様な紫の花。

覚園寺は仏像の他に折々に咲く草花も多い様です。
お坊さんが言うには、春は梅とアジサイ、秋はモミジ、冬至の桜、がいいとの事でした。

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