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御祭神 : |
倉敷魂神 (うがのみたまのかみ)
市杵島比賣神 (いちきしまひめのかみ) |
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御神徳 : |
強運厄除 |
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創建 : |
文正元年 (1466) |
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社格等 : |
旧村社 |
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例祭 : |
5月28日 |
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鎮座地 : |
東京都中央区日本橋小網町16-23 03-3668-1080 |
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最寄駅 : |
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公式サイト : 小網神社 |
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下谷神社から来る場合は、稲荷町駅から銀座線渋谷方面に乗り、次の上野駅で日比谷線中目黒方面へ乗換え、人形町駅で下車、A2番出口を出る。 地上へ出たら折り返すように甘酒横丁を背にして歩く。 「日本橋人形町一丁目一番地」という看板のところを右へ入る。 区営人形町駐車場(※1)の先に近代的なビルがある。良く見ると運動場もある。ここは日本橋小学校なのだ。 |
この小学校の前を左に入ると小網神社が見える。 ビルに挟まれた小さな神社である。 人形町駅から約4分ほど。 ※1:車でのアクセスなら、区営人形町駐車場が便利。ここに駐車して小網神社と水天宮を参拝して、甘酒横丁でランチをするのもよい。他のコインパーキングは収容台数が少ない。 |
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下町八社の中では一番ミニサイズの神社である。 しかし、その草創は古く、悪疫鎮静の神として小網稲荷大明神を祀ったのが始まりとされている。 明治維新後の神仏分離令によって、小網山稲荷院万福寿寺から寺社を分離し、小網稲荷神社となった。 現社殿は昭和4年(1929)に建立された建物で、東京大空襲を免れ、今日に至っているとのこと。 日本橋地区に残る唯一の桧造の神社建築物だそうだ。 社殿及び神楽殿は中央区の文化財に登録されている。 |
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東京銭洗い弁天 小網神社に祀られている市杵島比賣神(弁財天)は、万福舟乗弁財天と称し舟の上に乗った立像である。 もとは万福寿寺に安置されていた尊像だが、神仏分離令後に万福寿寺が廃絶となったため小網神社側に遷座されたそうだ。 万福・舟乗という名は、そうした事に由来するという。 境内に入ってすぐの所には「銭洗いの井」がある。この水で金銭を洗い清め、財布などに収めておくと財運を授かるという。 「東京銭洗い弁天」として人気を集めている。 |
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向拝・神楽殿・手水舎 |
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社殿は昭和4年(1929)竣工の総檜造で、小じんまりはしているが、重厚な趣の神社建築である。 向拝の海老虹梁に施された昇り竜/降り龍は、社殿右側の養老の滝の彫刻と共に有名である。 |
道路に面して建っている神楽殿も社殿同様昭和4年造営の建物で、共に区の文化財に指定されている。 狭い境内ではあるが、それなりに工夫された手水舎が建っている。 |
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御朱印は拝殿左側の授与所で受けられる。 御朱印は神社の御朱印(左)と日本橋七福神の2種類がある。 |
毎年11月28日に開催される新嘗祭は「どぶろく祭」と称し、どぶろく(にごり酒)が振舞われる。 |
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次に訪れたのは |
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御祭神 : |
天御中主大神 (あめのみなかぬしのおおかみ)
安徳天皇 (あんとくてんのう) 建礼門院 (けんれいもんいん) 二位の尼 (にいのあま) |
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御神徳 : |
安産子授け
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創建 : |
文政元年 (1818) |
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社格等 : |
無格社 |
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例祭 : |
5月5日 |
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鎮座地 : |
東京都中央区日本橋蛎殻町2-4-1 03-3666-7195 |
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最寄駅 : |
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公式サイト : 水天宮 |
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小網神社からは、日本橋小学校まで戻り右へ。広い通りへ出たら左に曲がれば水天宮前交差点に出る。 約7〜8分で着く。 |
地下鉄の駅前という交通至便な場所にあるので、ここを八社参りのスタートとしても良い。或いは、帰宅を優先して、八社目の参拝でも良い。 |
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安産や子授かりの祈願や、お礼参りに訪れる参拝者が多く集まる水天宮は、東京の名所でもある。 特に戌の日は、拝殿や授与所には列が出来、その目的以外での参拝は肩身の狭い思いである。 水天宮は、文政元年(1818)久留米藩9代藩主有馬頼徳が赤羽根(港区)の久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請したのが始まりである。 明治4年(1871)、藩邸の移転に伴い青山の中屋敷へ遷座し、翌年、有馬家下屋敷のあった現在地に移転した。 水天宮は有馬家の崇敬に支えられ今日に至っている、と言っても過言ではない。 同じ町内に、”有馬”の名が残る明治6年(1873)設立の「中央区立有馬小学校」があるのも納得できる。 |
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社殿等 |
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現在の社殿は昭和42年(1967)に落慶した権現造の美しい建物である。 境内は、大きな二階建て構造の二階部分に位置し、一階は40台ほどが駐車可能な有料駐車場になっている。 境内の左側奥にはエレベータが設置され、ベビーカーでの参拝にも配慮している。 社殿に向って右側に建っている建物は、額殿と呼ばれ、奉納された額、絵馬、古写真などが掲げられている。 |
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境内社 |
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2階の境内には5社が祀られている。 社殿の左隣に建つ紫灘神社(したんじんじゃ)は、幕末の志士である真木和泉守保臣を祀る。真木和泉は久留米水天宮22代宮司。 その手前に火風神社・秋葉神社・高尾神社を祀る社がある。 火風神社は、水天宮の「水」に因み、火と風の神様を祀ってあるそうだ。 秋葉神社は火防の神を祀る神社。 |
境内右側の額殿と社務所の間に建つ社は、宝生弁財天で、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を御祭神とする。 赤羽根の有馬家上屋敷に祀られていた弁財天を、水天宮に祀った。 毎月5日と巳の日に開扉され、御神像を拝観できる。 日本橋七福神の一つで、正月は七福神巡りで賑わう。 |
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御朱印は拝殿右隣の神札所で受けられる。 神札所が混雑している時は、右端の巫女さんがお願いし易い。 |
戌の日は混雑するので遠慮したい。 |
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次に訪れたのは |
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御祭神 : |
住吉三神
底筒之男命 (そこつつのおのみこと) 中筒之男命 (なかつつのおのみこと) 表筒之男命 (うわつつのおのみこと) 息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと) 東照御親命 (あずまてるみおやのみこと:徳川家康) |
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御神徳 : |
交通安全 |
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創建 : |
正保3年(1646) |
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社格等 : |
旧郷社 |
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例祭 : |
8月6日 |
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鎮座地 : |
東京都中央区佃1-1-14 03-3531-3500 |
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最寄駅 : |
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公式サイト : 住吉神社 |
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水天宮からは、半蔵門線押上方面へ乗車、次の清澄白河駅で都営大江戸線大門方面光が丘行に乗換える。 2つ目の月島駅で下車、6番出口を出て佃公園方面へ歩いて約5分ほど。 |
ライオンズタワーの超高層マンションの脇を通ったら、右手に見える超高層マンション群の方向を目指せば、住吉神社脇の運河に出る。 |
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再開発によりタワーマンションが乱立する佃ではあるが、一角には古くからの民家が建ち並び、子供達が路上で遊んでいる姿を見ると、江戸から引き継がれてきた下町の風情を感じる。 そんな中に佇んでいる住吉神社は草創期において、徳川家康と深い縁のある神社で、地域中心の講に支えられ現在に至っている。 佃島の埋め立て以降に埋め立てられて出来た月島,勝どき,豊海,晴海の鎮護と海上安全,渡航安全の守護神として多くの信仰を集めている。 月島駅から歩いてくると、社殿脇の入口から境内に入ってくるが、正規な入口は隅田川側にある。門柱から拝殿へと真直ぐに敷石が続いている。 |
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鳥居と水盤 参道途中の鳥居に掛かる中央区指定文化財の扁額は陶製とのこと。 明治15年(1882)制作で、白地に呉須で額字や雲文を染付けている。額字は有栖川宮幟仁親王の筆によるものだそうだ。 水盤は、石造で天保12年(1841)に寄進されたもので、水盤舎の欄間には佃島の風景が彫られている。 |
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宮神輿 住吉神社の宮神輿は、「八角神輿」と呼ばれる八角形をした神輿で、本殿右側の神輿庫に収められ窓から拝する事ができる。 神輿庫には2基が収められていて、一方は正保9年(1838)に制作された八角神輿、もう一方は宮神輿の痛みが進んだ為、平成23年に新たに制作された八角神輿である。 ガラス越しでよく撮れなかったが、見事な神輿である。 あれ! 正保9年製はどっちだったけ。 |
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境内社 |
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龍神社 (竜王弁財天) 境内社の中で一番大きな祠が末社の龍神社である。 御祭神に龍姫大神(たつひめのおおかみ)、於迦美大神(おかみのおおかみ)、竜王弁財天を祀る。 水の守護神として、文政5年(1822)境内に奉祀された。 天保9年(1838) 、竜王弁財天を合祀。翌年には日本橋白木屋(江戸三大呉服店の一つで、後の白木屋デパート。東急電鉄の傘下に入ったが経営不振で撤退、跡地にコレド日本橋が建つ)にあった大弁財天を合祀。 巳の日は竜王弁財天の縁日で、参拝客が集う。 |
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入船稲荷神社 脇の入口から入った所に鎮座する入船稲荷神社は、明治2年(1869)に奉祀された。 船魂神社 文久3年(1863)に奉祀されたという船魂神社は、船や航海の安全を守護する神社である。 |
疫神社・疱瘡神社 船魂神社の右隣にある社には、疫神社・疱瘡神社が祀られている。 |
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鰹塚 鰹塚は、鰹に感謝慰霊の意と豊漁を祈念して東京鰹節類卸商業協同組合が昭和28年(1953)に立てたもの。 |
水路越しに観る本殿 住吉神社を出て佃小橋を渡ると、隅田川の入江となった水路越しに本殿が見えます。 本殿左に見えるのは神輿庫。 |
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住吉神社界隈 |
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御朱印は参道左側の授与所で受けられる。 |
例祭は8月6日だが、三年に一度の本祭りは土日を含む4日間開催され、佃島に6本の大幟が立ち、獅子頭,八角神輿の宮出し、神輿を船に載せて氏子地域を廻る船渡御が行われる。 |
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