第4番 諸宗山 回向院しょしゅうざん えこういん通称:本所回向院
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3番大観音寺 4番回向院 3番大観音寺からは、都営浅草線 人形町から押上方面に向かい、浅草橋でJR総武線に乗換え、両国駅で下車。 |
案内板には”明暦3年(1637)江戸大火(振袖火事)に依る死者十万八千余人を弔うために建立された。”と記されている。
観音堂は本堂前を左に折れた先に建つ塔のようなお堂。札所本尊の馬頭観音は、時の将軍家綱公の愛馬が死亡し、その亡骸を回向院に葬ることになった。
観音堂 馬頭観音
第二世信誉貞存上人は馬頭堂を建立し、馬頭観世音菩薩像を安置したとの事である。
この馬頭観音は、諸病平癒のご利益があるとして人々の信仰を集めている。
尚、当初の観音像は消失してしまい、新たな観音像が祀られている。
本尊阿弥陀如来
延宝3年(1675)に造立されたが消失し、宝永2年(1705)に再鋳された仏像である。
昭和45年(1970)の本堂再興までは堂外に安置されていた。
像高282cmの立派な仏像で、都指定有形文化財。
背後には千体地蔵尊が安置されている。
余り見ない光景なので印象的だった。
力塚
回向院は大相撲とも縁のある寺院で、江戸時代の勧進相撲の興行を機に、旧両国国技館が完成する明治42年(1909)まで、回向院で行われてきたという。
境内には、昭和11年(1936)相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊のために建立した『力塚』が立っている。
時折、近隣の相撲部屋から力士が参拝に来る姿を見掛ける。
鼠小僧の墓
境内奥の方に「鼠小僧次郎吉」の墓がある。
鼠小僧次郎吉は、江戸時代に大名屋敷を専門に狙った窃盗犯である。
「貧困者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与える」という義賊伝説があるが、盗んだ金銭の使途に付いては、博打・女・酒に浪費したというのが有力な説である。
武士階級が絶対であった江戸時代に大名屋敷を専門に窃盗をことから、反権力の具現者のように扱われたのである。
墓標の前に小さな墓石のようなものが立っていて、参拝者はこの石を削り取っていく。
これは「鼠小僧の墓石を持っていると博打で勝てる」という俗信から始まった風習で、現在でも祈願に訪れた者が削り取っていくようである。
塩地蔵
鼠小僧の墓の手前に立つ石仏、看板を見ると『塩地蔵』とある。
風化が激しく地蔵か否かもよく分からないが、涎掛けが施されているのでそうなんであろう。
左手に宝珠らしきものを携え、右手は欠損しているがお地蔵さんなら錫杖だと推察。
『日参の諸人心願成就の上 塩を供す』と記されており、たくさんの塩が供えてあった。
「東都四十八塩地蔵の四十七番目」とある。そう言えば西新井大師に塩塗れの「塩地蔵」があったのを思い出した。
創建 | 明暦三年 (1657) | ||||
拝観 | 9:00〜16:30 | ||||
納経所 | 本堂入口を入って右側の寺務所 | ||||
駐車場 | 境内に駐車スペース有り | ||||
江戸33観音 |
本尊朱印 |