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29番龍峰院 30番明月院31番浄智寺 29番龍峰院からは、建長寺前の道を北鎌倉方向(右)へ向い、横須賀線の踏切手前を右に入り、道標の立つ分岐点を右に曲がる。 あとは道なりに歩けば明月院の総門に出る。建長寺総門から約900m、18分ほどの距離だ。 建長寺からバスを利用した場合、踏切を渡った先の明月院バス停で下車。それでも400mほどは歩く。 |
鎌倉街道を北鎌倉駅方面に歩いて行くと、横須賀線の踏切がある。
踏切の手前を右に入り、広い道が終わったところを右へ、小川に沿って暫く歩くと正面に明月院入口がある。
拝観料を納め、あじさいの植え込まれた参道をのぼり切り、山門をくぐると、本堂の仏殿がある。
大きく方丈と書かれた扁額のかかる仏殿は、昭和48年(1973)の再建という。
明月院史料によると、北条時頼の子「時宗」が、時頼の建立した最明寺を前身として「福源山禅興仰聖禅寺」を再興。
建長寺開山の大覚禅師の五世法孫の地位にあった蜜室守厳禅師を開山とした。
康暦2年(1380)、時の関東公方足利氏満が、鎌倉公方の管領であった上杉憲方に禅興寺の中興を命じ、寺域を拡大、支院を配置した。
この支院が明月院の前身で、上杉憲方を開基、密室守厳を開山とし明月庵と称した。
三代将軍足利義満のとき、禅興寺を関東十刹の第一位とし、明月庵は明月院と改められて、支院の第一位におかれた。
明治初年、禅興寺は廃寺となり、明月院のみが残されたとのことである。
北条時頼御廟所
総門を入って左側の小さな石橋を渡ると、北条時頼御廟所と墓所への道となる。
廟所は二間四方の小さい堂で、左手奥に墓所といわれる宝篋印塔が立っている。
このあたりが禅興寺の跡であるという。
開山堂
仏殿前を左へ行くと、宝珠をのせた茅葺屋根の開山堂(宗猷堂)がある。
堂内には、明月院開山の蜜室守厳禅師の木像が安置されている。
瓶ノ井
開山堂の右側には鎌倉十井の一つに数えらる瓶ノ井がある。
岩盤を垂直に掘り抜いて造ったとみられ、内部が水瓶のようなふくらみがあるので瓶ノ井と呼ばれたと、案内板に記されてあった。
鎌倉十井は、各々それなりに謂れがあるようですが、“十井”と十ケ所指定してあるのは観光目的とのこと。
明月院やぐら
開山堂の左側の崖にはやぐらがある。
羅漢洞ともいわれ、間口7m、奥行6m、高さ3mの大やぐらで、鎌倉最大のものである。
明月院を中興開基した上杉憲方の墓所といわれ、中央に宝篋印塔が置かれている。
回りの壁面には、中央に釈迦如来、阿弥陀如来が、両脇には十六羅漢が浮き彫りにされている。
二つの庭園
仏殿の前には枯山水の庭園が設けられている。
自然石が配され、石の間につつじが植え込まれている。右側が本堂裏手の庭園。
仏殿で有名なのが丸窓で、仏殿の後ろに広がる庭園を窓越しに見ることができる。
中に上がってみると、丸窓の先にはぬれ縁があって、そこから観る庭園も素晴らしい。(写真上右)
仏殿前からと、丸窓の外から仏殿前を見た写真とを掲載してみた。
訪れたときはちょうど昼時だったので、納経帳は預かりとなり、じっくりと明月院を観てまわれた。
創建 |
応永元年( 1394年 )以前 | |||
上杉憲方 | ||||
開山 | 密室守厳 | |||
拝観 | 9:00〜16:00 6月 8:30〜17:00 | |||
拝観料 | 300円 6月は500円 | |||
納経所 | 本堂右手の授与所 | |||