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観音堂 |
5回目の打出しは飯能市平松の圓泉寺から。マイカー巡礼がお奨め。 飯能駅からタクシーでも、10分以内で到着する。 バス利用…飯能駅より 西武バス 下川崎経由 狭山市駅西口行(狭山25)で平松下車。一番近いが、1日1便と悲惨。 国際興業バス 新光行(飯13)で工場前下車。徒歩約20分だが1時間に1便はある。 仏子駅より西武バス 西武ぶしニュータウン行(ぶし01)で終点下車(2〜3本/毎時)。徒歩約20分 東飯能駅から徒歩…約45分は掛かる。歩道もない道路なので注意が必要。 徒歩による本格的な巡礼を行うのでなければ、マイカーやレンタカーで巡った方が無難かもしれない。 ※トヨタレンタカー飯能駅前店 圏央道狭山日高ICから飯能方面へ向い、最初の信号「狭山日高IC西」を右折、道なりに走って下川崎交差点を左折、道なりに走ると右手に円泉寺がある。参道入口を越した先に駐車場がある。 |
手入れの行届いた境内、妙見堂。 |
名門、久邇CCの南に位置する広々とした飯能市の郊外にあり、背後には高麗丘陵の低い山並みが続いている。道路に面し表門があるが、駐車場入口は表門の西側にある。
歴史的な話
圓泉寺は、弘法大師縁の寺でもある。
天長年間(824〜833)、弘法大師が奥州に向かう途中、当地に留錫し、周辺一帯の風光明媚なことに感じ、草堂を建立し、唐より伝来した十一面観音の金銅仏を安置した。一本の梅の木がよい香を漂わせていたので、梅松山圓泉寺と号した。…と伝わる。
寺は衰退したが、享保年間(1716〜1735)中興開山慶秀が再建したとされている。
参道から本堂へ
梅松山円泉寺と刻まれた石柱が立つ表門を入ると、六地蔵が迎え入れてくれる。
本堂まで真直ぐに延びた参道は、ツツジが奇麗に刈り込まれ、左手には大きな松が枝を伸ばし、右手には石造の十三重塔が立っている。
その先には両側に大きなイチョウの木が立ち、そこを過ぎると簡素な山門が建っている。
山門を抜けると正面が本堂である。
六地蔵 |
参道 |
山門 |
本堂
天保15年(1844)に再建された本堂は、寄棟造、桟瓦葺きのどっしりした建物。
向拝がないので、スッキリした正面になっている。
正面軒下には「梅松山」と書かれた扁額が掛かっている。
本堂内には本尊の不動明王,薬師如来や武蔵野七福神の一つである福禄寿が安置されている。
福禄寿は正月の七福神巡りの時期のみ開扉され、拝観する事ができる。
観音堂
札所本尊を安置している観音堂は、本堂左手に建つ二間四方の小さなお堂である。
宝形屋根に簡素な向拝を付してある。中には木造十一面観音像が安置されている。
前述した弘法大師の安置による金銅仏ではない。
大師堂
平成20年に参拝した時は、観音堂の手前に露座していた奥多摩新四国八十八ヶ所の札所本尊が、新たに建てられた大師堂に安置されていた。
石の台には第五十七番と刻まれた台座と共に弘法大師と阿弥陀如来の石像が置かれている。
円泉寺は弘法大師縁の寺であり、観音堂の前には弘法大師の修行像が立っている。
妙見堂
円泉寺の見どころの一つである妙見堂は、境内左手の駐車場の奥、一段高い築山の上に建っている。
入母屋造の小さなお堂の中に、平将門が信仰した妙見菩薩が祀られている。
中は暗くてよく分からないが、厨子が3基安置されていて、扉半分が開扉された中央の大きめの厨子に納められているのが妙見菩薩なのだろうか。
平将門が、洛北の中村妙見宮に危難を救われたという経緯から、東国に帰るにあたって、将門はその尊像を拝受し、守り本尊として持ち帰った。との伝承がある。
後の江戸時代終わりに、圓泉寺でこの尊像をお祀りすることとなり、村民総出で築山を造り、お堂を建立して安置したそうだ。
今なお「平松の妙見さま」として慕われ、12月第一日曜日の例祭日には多くの参詣者で賑わっている。
妙見堂背後からの眺望は素晴らしい。
神を祀る諸堂
妙見堂の下には神を祀る幾つかの小さなお堂が建っている。
右側は天神社、左側は八坂神社である。
12月第一日曜日に妙見さまの大祭があり、近在より多くの人が参拝に来る。
正月は武蔵野七福神詣で参詣客がある。
それ以外は、法事でもない限り、静かな佇まいのお寺である。