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29番高野山東京別院 30番一心寺 5回目の打出しは北品川の一心寺から。 京急新馬場駅を出て右方向に歩き、旧東海道との交差点を左折し、北品川本通り商店会を行くと右手に一心寺がある。 |
1番浅草寺から打出した、昭和新撰江戸三十三観音霊場の巡礼も今回で結願を迎える。
品川から京急の各停電車で新馬場に向う。急行・特急の多い京急で各駅停車は少ない。10分間隔は不便な感じを受ける。
一心寺があるのは旧東海道品川宿。といっても今は商店街の中である。
一心寺は安政2年(1854)、当時の大老井伊直弼により開山され、町民代表等によって建立されたと伝えられている。
その後、火災により焼失したが、明治8年(1884)再興されたとのこと。
時は昭和に移り、中僧正弘道大和尚により成田山分身の不動明王を本尊とし中興された。
以来、延命・商売繁盛にご利益があるとして信仰を集めている。
本堂
商店街(旧東海道)に面して可愛らしい山門がある。
一心寺の境内は広くないので、山門を入るとすぐに本堂が建っている。
焼失した堂宇に代わって、明治8年の再興時に京都の宮大工によって、京都本願寺と同じ材料で建立されたものである。
堂内には、本尊不動明王、札所本尊の聖観世音菩薩像、東海七福神の寿老人などが安置されている。
ほうろく灸
納経に行った際、本堂内で十数人の人たちが車座になって頭に皿を載せ、もうもうと煙を出している姿に出くわし、唖然と見てしまった。
それがほうろく灸である事に時間は掛からなかったが、ほうろく灸をすえている姿は初めて目にする光景なので、しばし言葉がでなかった。はたして本堂に入ってよいものなのか躊躇してしまった。
因みに、ほうろく灸は素焼きの皿(ほうろく)を裏返しにして頭に載せ、もぐさ・みそ・どくだみ等の灸をすえる方法である。一心寺のほうろく灸は、昭和6年(1931)より続いているそうで、多くの人たちに親しまれている。
受付で納経印をいただく際、お灸をやっている最中なので、「出直しましょうか」と尋ねたら、「大丈夫ですよ」と親切に応じてもらった。
創建 |
安政二年(1854) | |||
開基 | 井伊直弼 | |||
納経所 | 本堂内の受付 | |||
毎月28日は一心寺の縁日で参拝者や ほうろく灸をすえる人が多い |
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駐車場 | 近隣のコインパーキングを利用 | |||
荏原神社 一心寺から徒歩約5分
一心寺前の旧東海道を南に進み、川に出たら川沿いの道を右に行けば参道がある。
品川には二つの天王社があり、和銅2年(709)南品川(後に現在地へ遷座)に創建された品川大明神・天王社を「南の天王」と呼んでいる。
明治8年、品川の総鎮守として崇敬されてきた品川貴船社の名を改めて、荏原郡の名をとり「荏原神社」に改称した。
主祭神 : (たかおかみのかみ) 創 建 : 和銅2年(709) 社格等 : 旧郷社 鎮座地 : 東京都品川区北品川2-30-28 寺社を巡る旅−関東・江戸東京編
品川神社 一心寺から徒歩約4分
駅まで戻り、第一京浜を渡ると国道に面して長い石段がある。
品川神社は、北の天王と呼ばれ、創建は古く、文治3年(1187)と聞く。
幾度と無く社殿は焼失したが、時の将軍により再建がなされるなど、徳川家の庇護を受け発展を遂げていった。
明治に入り、明治天皇より准勅祭神社に定められた。 東京十社の1社である。
境内には富士塚があり、上ってみると眺めが良い。
主祭神 : 天比理乃命(あめのひりのめのみこと) 創 建 : 文治3年(1187) 社格等 : 旧郷社 鎮座地 : 品川区北品川3-7-15 東京十社巡り−品川神社