諸國放浪紀
寺社を巡る旅
近江・湖東三山
東北関東甲信越東海北陸近畿中国四国九州
湖東三山を往く近江寺社回廊

     
はじめに

国宝彦根城を起点に多賀へ、そして琵琶湖の東、鈴鹿山麓の南北方向に点在する天台宗の三ヶ寺「湖東三山」を訪れた。
新緑の時期に巡ったが、湖東三山は永源寺と合わせ紅葉の名所なので、晩秋に訪れるのも良いかと思う。

彦根城ひこねじょう彦根市金亀町


彦根城は現存12天守中の国宝四城の一つで、三重三階の天守と附櫓及び多聞櫓が国宝に指定されている。

徳川四天王の一人・井伊直政は、彦根城の築城を計画したが、関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず死去。その子直継が直政の意思を継いで慶長8年(1603)現在の地に築城を開始、元和8年(1622)彦根城が完成した。

徳川幕府の西国への重要な拠点とし、井伊氏は35万石を得るに至った。 これは徳川幕府下の譜代大名の中では最高の石高である。

表門から入ると、足元の悪い急な坂になっており、右手に天秤櫓の高い石垣がそびえ、廊下橋をくぐる。
更に左へ上がり、廊下橋を渡ると国重文指定の天秤櫓への門がある。

天秤櫓東端 廊下橋 天秤櫓
天秤櫓東端石垣
廊下橋
天秤櫓

国指定重文の太鼓櫓を抜けると眺望が開け、国宝天守が目の当たりに建っている。早速、天守に入ってみると、どこもそうだが階段がきつい。梯子のようだ。
さすがに天守だけあって眺望は抜群であった。

天守天守内遠景

天守を後に黒門から出る。 濠は満々と水を溜め多く茂った緑が美しい。

黒門濠

玄宮園 (げんきゅうえん)
玄宮園黒門を出て右に行くと、左手に国指定名勝の庭園「玄宮園」がある。
彦根城の観覧券で玄宮園にも入園できるので入ってみた。

玄宮園は延宝5年(1677)、4代藩主井伊直興により造営が始まり延宝7年に完成した回遊式庭園で、広大な池水を中心に、島や入江に架かる9つの橋などにより変化をもたらせている。




 
名称
彦根城
 
築城主
井伊直継
 
築城年
元和8年(1622)
 
城郭構造
連郭式平山城
 
通 称
金亀城 (こんきじょう)
 
所在地
滋賀県彦根市金亀町1-1
0749-22-2742
 
最寄駅
 
入 場
600円(含玄宮園) 8:30〜17:00
 
駐車場
3ヶ所有り 1日 400円
  公式サイト 彦根城・彦根観光ガイド 

彦根城の紋

  次は 滋賀県護国神社へ 車 で5分  


滋賀縣護國神社しがけんごこくじんじゃ彦根市尾末町



護國神社玄宮園を出て濠沿いに歩き、馬屋のところから城外に出たところの左手に護國神社がある。

明治戊辰の役から第二次世界大戦までに至る滋賀県出身の戦没者英霊34,752柱を祭祀している。

護國神社の歴史
明治9年(1876)に官祭招魂社として社殿を造営・鎮座した。
昭和14年(1939)に内務大臣指定護国神社となり「滋賀縣護國神社」に改称した。

第二次大戦後の占領期は「沙々那美神社」と改めていたが、日本が主権を回復した昭和28年(1955)に再び「滋賀縣護國神社」に改称した。

 
名称
滋賀縣護國神社
 
主祭神
滋賀県出身の英霊
 
創 建
明治9年(1876)
 
社格等
護国神社・別表神社
 
鎮座地
滋賀県彦根市尾末町1-59
0749-22-0822
  札 所 井伊家ゆかりのふく福めぐり 第7番 
  朱印所 祈祷受付
 
最寄駅
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 滋賀縣護國神社 
 
滋賀県護國神社朱印


   次は宗安寺へ 車 で約12分  



宗安寺そうあんじ彦根市本町



宗安寺道順
彦根城を京橋口から出ると、信号を渡った先が「夢京橋キャッスルロード」と呼ばれる商業施設。正式には夢京橋商店街と言うらしい。
宗安寺はその賑やかな通りの中にある。

参拝記
宗安寺は、群馬県の高崎城主井伊直政公が関ヶ原の戦いの勲功で、石田三成公の近江佐和山城を貰い受け彦根藩初代藩主となった折、佐和山麓に建立されたのが始まりとされている。
後の慶長8年(1603)、彦根城築城に伴い現在地に移転された。


赤門
赤門表門は朱塗であることから「赤門」と呼ばれており、佐和山城の門を移築したと伝えられている。
元禄14年(1701)に起きた元禄の大火では、この表門だけは焼失を免れたという。
山号「弘誓山」の扁額が掛かっている。

城の門なので、馬に乗ったまま駆け込めるように敷居がないというが、真意の程は如何か。



本堂
本堂焼失後再建された本堂は、長浜城の御殿を移築したそうで、入母屋造で間口が十二間と広い。
幅のある向拝の虹梁には、院号「天白院」、軒下には寺号「宗安寺」の扁額が掛けられている。
山門から弘誓山-天白院-宗安寺という順序の額となっている。
鰐口が小さな賽銭箱に取り付けられているのが面白い。

須弥壇には本尊の阿弥陀如来立像安置されている。
書院で厨子に納められた千体佛を拝見させてもらった。佐和山城付近に石田三成公が建立したとされる瑞岳寺に祀られてあったもので、佐和山城落城で瑞岳寺も延焼し、その時持ち出されたものが宗安寺に伝わったのだそうだ。
極めて小さな仏像が20段ほどの段に並べられているのだが、700体はあっても千体は無いと思う。

 
正式名称
 
本 尊
阿弥陀如来
 
宗 派
浄土宗
 
札 所
 
所在地
滋賀県彦根市本町2-3-7
0749-22-0801
  朱印所 庫裏
 
最寄駅
 
拝 観
建物内200円 8:00〜17:00
 
駐車場
有り 5台 無料
  紹介サイト 宗安寺(浄土宗)滋賀県彦根市 
宗安寺朱印




 
         
  夢京橋キャッスルロードを散策中に見つけた和菓子屋の「分福茶屋」。
ここで、名物の「つぶら餅」をいただいた。
毛氈を敷いた縁台があったので、休憩がてら焼きたてのアツアツを一つ。
 
         
 
つぶら餅つぶら餅中身
 
 
夢京橋キャッスルロード分福茶屋
 
         
  つぶら餅 : 1ヶ 60円  お土産用 6個入 380円 10個入 650円  
         
 
分福茶屋
 営業  11:00〜19:00 火曜日定休
 JR琵琶湖線 彦根駅 徒歩15分
  駐車場 店向かい側・6台
 
 


  次は 多賀大社へ 車 で約20分  


多賀大社たがたいしゃ犬上郡多賀町


多賀大社

道順
彦根城の駐車場を出たら、京橋交差点を左折し、中濠東西通りを道なりに走る。
東海道本線をオーバークロスし、更に国道8号外町交差点を横断すると左手に丘が出てきて景色も変わってくる。
案内標識の甲賀・東近江方面へ直進する。暫く行くと多賀大社 右の標識が現れるので、多賀の交差点を右折すると多賀大社の鳥居が右手に出てくるが、そこを通り過ぎた右側に駐車場への進入路がある。
彦根城から20分程で到着。

参拝記
多賀大社は、古事記にも記載があるというから、時期は分からないが草創は和銅5年(712)ということになる。
秀吉の厚い信仰もあり、昔から大いに栄えた神社である。

正月三が日の初詣客も日吉大社の10万人、近江神宮の15万人を遥かに凌ぐ47万人と、滋賀県最大の人気スポットである。


大鳥居拝殿
多賀大社入口に立つ大きな石の鳥居をくぐると、極端に湾曲したそり橋(太閤橋)が架かっている。
特に通行規制は無いので渡ることは可能だが、余りにもカーブがきつ過ぎて歩いて渡るには勇気が要る。
両サイドに通常の橋が架かっているので無難な方を選んだ。
鳥居太鼓橋

神門太鼓橋の先には立派な神門が建っている。
門の両脇は築地塀で、最高位を示す五条の定規筋が引いてある。つまり格式が高い神社だということ。

神門の先は広い境内になっており、正面に拝殿・神楽殿・本殿が一直線に建っている。近江一の風格が漂っている。


本殿・拝殿
拝殿前に立つと、左側の写真のように拝殿・神楽殿・幣殿・本殿の順に屋根が重なって見える。
拝殿は桧皮葺き入母屋造を平入りで建て、入母屋屋根の大きな向拝を石段三段の上に付けたT字型の建物になっている。
向拝部分は柱だけの吹き放しで、土足のまま参拝できる。

正面外観拝殿・幣殿・本殿屋根


拝殿と袖回廊更に拝殿は左右(東西)に袖回廊が張り出し、その途中から幣殿へ繋がる回廊が巡っている。
左の写真にあるように、唐破風の入口を設けた回廊以外はすべて拝殿である。

写真では見えないが、拝殿の本殿側には平成16年(2004)に新築した神楽殿が増設されている。向拝の屋根と同様、拝殿の屋根と直角に入母屋屋根を収めてある。

更にその奥、拝殿の屋根より幅広の屋根が幣殿である。
幣殿には左右に翼廊が付き、そこから回廊が繋がっている。

一段と高い位置に見える千木と鰹木が付いた屋根が本殿である。
三間社流造で、一間の向拝を付け、屋根は桧皮葺。築地塀と透塀で二重に囲まれて建っているので、全容を拝観することができない。

境内社
境内に15社の摂末社が祀られているが、時間の都合で数社のみ参拝した。

太閤橋の先、左側に天満神社(写真左)、右側に愛宕神社と秋葉神社が鎮座している。
天満神社 秋葉神社
天満神社
愛宕神社・秋葉神社
神門を抜けて、拝殿右側に数社が鎮座している。
左側の社は熊野新宮・天神神社・熊野神社、右側の社は三宮神社・聖神社
金咲稲荷神社参道前に竈神社・年神神社が鎮座している。
熊野神社等 竈神社
左:熊野新宮など三社 右:三宮神社など
竈神社・年神神社

摂末社以外の建物としては、能舞殿・神馬舎を拝観した。

神馬舎
能舞殿
神馬舎

能舞殿はよくあるタイプの能舞台だが、通常鏡板に描かれている松の絵がない。よく見ると、この鏡板にはシミのような模様がある。多分、松が描かれていたのだと思う。

寿命石 寿命石
神馬舎の左前に、神社でお馴染みのさざれ石がある。ところが、「寿命石」というのもあった。
中世初期、真言宗の「俊乗坊重源」なる僧侶が、後白河上皇から、東大寺再建を仰せつけられた。完成の時までの寿命を案じ、多賀大社に延命祈願をし二十年の延命を感得、大業を成し遂げたと云われている。
この寿命石は上人がその霊験を戴いた際の縁の石だと伝えられているという。
授与所で祈願用の白石を買い求め、氏名などを書いてここに収めるんだそうだ。
白石の初穂料は、確か500円だったか。


鐘楼
鐘楼多賀大社には鐘楼がある。神仏習合時代の遺物であろう。明治の神仏分離令で仏像等は町内の寺に持ち出されたが、梵鐘は大き過ぎて貰い手がなかったという話も残っているという。

梵鐘は天文24年(1555)、つまり室町時代後期に鋳造されたもので、鐘身156.2cm、竜頭からの高さ209.2cm、口径127cm。
近江八景「三井晩鐘」で有名な三井寺の梵鐘でさえ、総高208cm、口径124.8cmであり、これをも凌ぐ大きな梵鐘は日本屈指とも言われている。



 
名称
 
主祭神
伊邪那岐大神 (いざなぎのおおかみ)
伊邪那美大神  (いざなみのおおかみ)
 
創 建
古事記以前の神代?
 
社格等
旧官幣大社・別表神社・式内社(小)
 
鎮座地
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
0749-48-1101
  札 所 井伊家ゆかりのふく福めぐり 第10番 
  朱印所 授与所
 
最寄駅
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 多賀大社 
多賀大社朱印


   次は西明寺へ 車 展望台駐車場より約25分  



西明寺さいみょうじ犬上郡甲良町


琵琶湖の東、鈴鹿山麓の西山麓を南北方向に点在する天台宗の三ヶ寺を総称して湖東三山という。
永源寺と共に紅葉の名所として、秋には多くの観光客が訪れる寺院である。

西明寺道順
多賀大社を左に出て、多賀交差点を右折し近江グリーンロード(国道307号)を暫く走る。
途中、名神高速のガード抜け、犬神川の福寿橋を渡ると、左側に名神高速が迫ってくるともう直ぐだ。
西明寺の案内標識が現れ、道の両側に駐車場が出て、更に西明寺の入口が左手に現れる。しかし、今回はこれを無視して通り過ぎる。
右手に食事処「一休庵」の看板を見つけたら、その前を左折。
狭い橋で名神高速を渡って道なりに走ると、上の駐車場に出る。
今回は楽をさせてもらって、長い参道の3/4をバイパスした。

参拝記
西明寺は湖東三山の内、最も北に位置し、多賀大社から来ると最初に出てくるお寺である。
承和元年(834)三修上人が仁明天皇の勅願により開創した寺と言われている。

名勝庭園 「蓬莱庭」
蓬莱庭拝観受付の先、左手の本坊に国指定名勝の庭園「蓬莱庭」がある。
江戸時代初期の延宝年間に作庭された池泉観賞式の庭園で、鶴や亀を形どった石組みや、心字池を構成している。

しばし回遊してみるのも良いかも知れない。園内の通路は上り専用で、そのまま本堂脇へ出られるようなっている。






本堂(瑠璃殿)
織田信長による延暦寺焼き討ちが行なわれた際、延暦寺の傘下にある西明寺も信長の命により焼き討ちを受けたが、僧侶や村人によって二天門・本堂・三重塔は焼け討ちを逃れた。

七間四面の檜皮葺入母屋造の大きな本堂は、鎌倉時代前期の和様建築で、中世天台仏堂の代表作として国宝に指定されている。

軒下の小壁には出三斗と蟇股が規則的に並び、装飾のように美しい。
正面や向拝の蟇股には細工が施され、側面の蟇股とは様式が異なる。これは工事をした時代が違うからだという。
正面に三間の向拝を設け、外陣部のみ縁を巡らしているが、高欄が無いため、危険防止用の柵が置かれている。
本堂・縁本堂
縁に上がり側面に回って行くと堂内への入口がある。

堂内は外陣と内陣が菱格子の欄間で仕切られている。
内陣には、秘仏として厨子に納められた国指定重文の本尊薬師如来立像が安置されている。
他に須弥壇には脇侍の日光・月光菩薩,十二神将,国指定重文の二天王(多聞天・廣目天)が安置されており、これらは拝観できる。
秘仏の薬師如来は住職一代につき一度だけ開帳されるという。

三重塔
本堂に向かって右側に建つ檜皮葺、総桧造りの三間三重塔は、鎌倉時代後期の建築で国宝に指定されている。
三重塔
飛騨の匠によって釘を1本も使わず建てたというの三重塔は、初層の屋根の反りを大きくとり、二層,三層になるに従って反りを小さくして安定感を出しているという。.....確かに。

初層内部には大日如来が安置され、堂内一面に大日如来の脇侍仏三十二菩薩や法華経の図解が極彩色で描かれているそうだ。



二天門
参道の石段を上り切ったところに国指定重文の二天門が建っている。

室町中期の応永14年(1407)に建立された建物で、信長の焼け討ちを逃れた建造物の一つである。
柿(こけら)葺の入母屋造で、三間一戸の八脚門である。屋根の形がとても素晴らしい。
門でありながら、二軒繁垂木に二手先の組物を施すなど、さすがに国指定重文だけのことはある。

両側には、それぞれ持国天・増長天が安置されている。
上の写真は参道側から見た二天門で、右側は本堂の縁の上から撮った裏側の様子。

蓬莱庭から本堂へ通じる道を上がって来るとここに出る。
この石垣の上に本堂が建っている。

山門を通らないので、帰路は山門をじっくり拝観し、参道を下って行こう。






西明寺の紅葉
  上の2枚と下の2枚は、ほぼ同じ場所から撮影したものです。
紅葉の時期とそれ以外では、参拝客の数にも大差があります。
 




参道 石垣





参道以外の紅葉    


 
名称
龍應山 西明寺
 
本 尊
薬師如来
 
宗 派
天台宗
 
札 所
西国薬師四十九霊場 第32番
びわ湖百八霊場 第61番
 
所在地
滋賀県犬上郡甲良町池寺26
0749-38-4008
  朱印所 拝観受付
 
最寄駅
最寄に鉄道の駅なし
 
拝 観
600円 8:00〜17:00
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 西明寺 
西明寺朱印



   次は金剛輪寺へ 車 で約10分  



金剛輪寺こんごうりんじ愛知郡愛荘町


道順
金剛輪寺西明寺から再び近江グリーンロード(国道307号)へ左折で出て南へ進み、松尾寺の交差点を左折すると左手に金剛輪寺の山門が見えてくる。

参拝記
金剛輪寺は、天平13年(741)に行基が開創したと伝えられ、その後、嘉承年間(848−851)に天台宗の高僧・慈覚大師円仁によって中興されたとの事である。

信長の焼き討ちの被害に遭ったが、本堂・三重塔など主要堂宇は、総門や本坊から数百メートル奥にあったため見落とされたのではないという説があるという。

黒門明壽院庭園
黒門金剛輪寺の総門は黒門と呼ばれ、黒塗りの高麗門である。
門の中央には観音寺でよく見かける大提灯が吊られている。
他に明壽院の門である白門、赤門がある。

参道は黒門から本堂まで数百メートルに及ぶ石段である。事前に許可を受ければ、本堂付近まで車で行けるが、ここは頑張って歩いて上る方が、色々なもの触れることができる。


阿弥陀如来西谷堂拝観受付から少し行くと、西谷堂と呼ばれる宝形造の小さなお堂にさしかかる。堂中には阿弥陀如来立像が安置されている。

西谷堂前の案内板に沿って進むと、「本坊 明壽院」の看板が掛かる白木造の「白門」が建っている。

門を抜けて行った先に明壽院が建ち、国指定名勝の池泉回遊式庭園がある。


明壽院庭園1庭園2

護摩堂明壽院は昭和25年(1977)の火災により焼失し、後に現在の堂宇が再建された。
但し、正徳元年(1977)建立の護摩堂は焼失を免れ現存している。
護摩堂内には国指定重文の大黒天半跏像が安置されている。







参道・千体地蔵
参道の地蔵明壽院庭園を抜けると再び参道へ出てくる。
参道の両側には高さ約50cmほどの地蔵尊像が立っている。参道だけではなく、参道脇の平地にも多数の地蔵が整然と立っている。
千体地蔵

どれも綺麗な赤いよだれかけをして、セルロイドの風車が供えてある。個々の地蔵は個人所有で、家の名が彫られている。

大量の風車は、どことなく恐山を思い出し、異様な光景に思えてくる。風の吹く日にたった一人でここを歩くのはちょっと勇気が要る。

二天門
二天門やっと二天門にたどり着いた。
室町時代後期に造られた建築で、信長の焼け討ちを免れた建物の一つで国指定重文である。

桁行三間、梁間二間の檜皮葺入母屋造の一重であるが、当初は楼門として造られ、江戸時代中期に二階部分が取り払われ現在の形になったという。

両側に大きな草鞋が下げられている。金剛輪寺と真っ赤な文字で書かれた提灯も、どことなく地蔵の風車に似た雰囲気を漂わせている。

本堂(大悲閣)
本堂二天門の先には弘安11年(1288)の銘が残る国宝の本堂が建っている。
七間四面、檜皮葺入母屋造の大きな堂宇である。
正面はすべて蔀戸になっており、側面は外陣部が妻戸だが、内陣部に開口は無く、縁も外陣部のみ施されてある。
堂内も外陣と内陣が菱格子の欄間で仕切られ、内・外陣を確実なまでに区別している。

堂内には国宝本堂の附指定である厨子に納められた、秘仏の行基作本尊聖観世音菩薩が安置されている。
他にも国重文指定の阿弥陀如来,慈恵大師坐像.十一面観音立像,不動明王,毘沙門天,四天王像などが安置されている。

三重塔(待龍塔)
三重塔本堂左の一段高い所に国指定重文の待龍塔と呼ばれる三重塔が建っている。
方三間の桧皮葺で、室町前期の建物と言われている。

信長の焼け討ちを逃れた塔ではあるが、近世になって荒廃が進み、初・二重の骨組みが残るのみで三重目は欠損していた。
昭和50年(1977)から3年をかけて現在の形に修復されたという。




鐘楼
参道
鐘楼
参道

金剛輪寺の紅葉


 
名称
松峯山 金剛輪寺
 
本 尊
聖観世音菩薩
 
宗 派
天台宗
 
札 所
近江西国霊場 第15番
湖国十一面観音霊場 第11番
近江湖東二十七名刹 第10番
 
所在地
滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺873
0749-37-3211
  朱印所 拝観受付
 
最寄駅
最寄に鉄道の駅なし
 
拝 観
600円 8:30〜17:00
 
駐車場
有り 無料
  公式サイト 天台宗 金剛輪寺 
金剛輪寺朱印


   次は百済寺へ 車 で約15分  



百済寺ひゃくさいじ彦根市本町


道順
百済寺金剛輪寺から先程の松尾寺交差点まで戻り左折。近江グリーンロードを南下し、中里交差点を左折し県道508号を進む。名神高速のガードを抜けたら県道229号百済寺甲上岸本線へ左折する。
山門を右前方に確認したら、長〜い石段の参道をバイパスして本坊下の駐車場へ向う。
金剛輪寺からは、約15分ほど。

参拝記
百済寺は、推古天皇14年(606)、聖徳太子が建立したという伝承がある。
明応7年(1498)の火災で全焼し、数年後の文亀3年(1503)の兵火でも焼失、この2回の火災で創建以来の建物、仏像、寺宝などが灰燼に帰してしまった。再建したものの天正元年(1573)には信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。
本堂をはじめとする現在の堂宇は慶安3年(1650)の再興によるものである。

喜見院 (本坊)
喜見院駐車場の階段を上がると本坊の喜見院が建つ平地に出る。
百済寺境内は国指定史跡であるが、その境内の見処の一つに別名「天下遠望の名庭」といわれる喜見院の庭園がある。

山の斜面を利用した池泉回遊式且つ鑑賞式の庭園である。
池の畔に座って眺めるもよし、見晴台に立って遠景を眺めるも又よしの庭園である。





正門喜見院庭園

参道・仁王門
参道本坊下まで参道をバイパスしてきたので、山門から本堂までの約600mの内、残り半分程度の石段を上ればよい。
西明寺・金剛輪寺の長い参道を歩いてきただけに、半分救われた気分である。

参道の脇に見られる石垣は、敵兵襲来に備える為のものという。また、石垣に囲まれた平地は、かつて僧坊が建っていた名残であるという。最盛期には数百の僧坊が建っていたのだそうだ。

仁王門蛇行しながら続く石段をしばし上ると仁王門に着いた。
三間一戸の門には大きな草鞋が掛けてある。
仁王門なのに金剛力士がいないと思ったら、正面を向いているのではなく、門の中でお互いが相対して向き合っている。

仁王門は、信長の焼け討ちで焼失した後に建てられが、老朽化が進み大正時代に再度建替えられたのだそうだ。



本堂
仁王門から更に参道を上って行くと、石垣の上に国指定重文の本堂が建っている。

信長の焼き討ち後、天正12年(1584)仮本堂が建立され、慶安3年(1650)現在の本堂が完成した。

本堂
五間四面の桧皮葺入母屋造で、正面軒に唐破風を付し、背面に張出を付けている。内陣部分には高欄を付した縁を設けている。

本堂外陣 須弥壇   西明寺や金剛輪寺の本堂同様、天台仏堂の様式に則り、内外陣の引違格子戸による仕切りや縁の巡らせ方に、内外陣の空間秩序を保持している。

内陣の厨子には秘仏本尊の十一面観音立像を安置している。
鐘楼
鐘楼本堂の左手に鐘楼が建っている。
柱に説明書きが貼ってあり、”百済寺の梵鐘は余韻の長さと音色の美しさで「昭和の名鐘」といわれている”とあった。

試しに撞いてみた。大きな音が山中に響き渡った。先入観か、美しい音色に思えた。


百済寺の紅葉

 
名称
釈迦山 百済寺
 
本 尊
十一面観世音菩薩
 
宗 派
天台宗
 
札 所
近江西国霊場 第16番
湖国十一面観音霊場 第10番
びわ湖百八霊場 第64番

 
所在地
滋賀県東近江市百済寺町323
0749-46-1036
  朱印所 拝観受付
 
最寄駅
最寄に鉄道の駅なし
  拝 観 600円 8:00〜17:00
 
駐車場
有り 無料
 
公式サイト
百済寺朱印




彦根
     
湖東三山・八日市
     
       
     
       





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